神様と私の幽霊奇談(神様と私シリーズ)
▼ 第十話『傷の形2』



 このまま、目が覚めなければ祐真くんは死を迎えるしかない。肉体は行き続けるかもしれないけれど、中身はここに居て、それが戻らないのならば、やはりそれは“死”と同意だと私は思う。
 だから、余計にそれは、一番生きることを願って欲しい人の口から紡がれては、絶対にいけない台詞に思えて、私はベッドの足元の柵を握っていた手に力が籠もる。 

「この子、小さな頃から絵を描くのが大好きだったの。主人が居ないから、一人で遊ばせることも多かったせいもあるのだけど……自分の好きなものをよく描いていたわ。ぬいぐるみや自動車、公園の滑り台に……仔犬に仔猫……そして私」 

 祐真くんの鼓動を伝えるピッピッという規則正しい機械音が、まるでその呟きに対して返事をしているように聞こえる。
 当然、あれだけ上手いのならば、描くことが好きなのだということは分かる。おばさんは私の返事も相槌も期待していないのだろう、表情は伺えないからおばさんの本心も見えない。 

「私がいうのもなんだけれど、本当に上手なの。だから、好きなだけやらせてあげたかった。なのに……もう……」 

 そしてようやく顔を上げたおばさんは、そっと祐真くんの頬を撫でる。はにかんだような笑顔を溢したあと直ぐにくしゃりと顔を潰して消え入りそうな声で呟いた。 

「光を失うことになるなんて……」
「え」 

 手にしていた包みがぐしゃりと皺を掴んだ。どういうことか分からなくて一瞬言葉に詰まる。
 今、おばさんはなんて? 光を失うって……そんなこと……そんな……私の見開いた瞳は何も捕らえては居なかった。

 ―― ……違う……

 でも視界の隅で祐真くんが、動揺に頭を振っているのに気がついて慌てて気を取り直す。 

『祐真くん落ち着いて』 

 私は心の中で語りかけた。そんな有体の言葉しか出ない。そのせいなのか、祐真くんには届かない。 

 ―― ……ウソだ…嘘だ…うそ、だ。ボクは信じない。

 ふるふると頭を振り、背景が透けて見えるほど色がはっきりとしないのに、真っ青な顔をしているような気がする。

『祐真くん、お願い』

 落ち着いてと繰り返す私の声は届かない。
 周りの状況など、おばさんには全く関係ないとばかりに、おばさんは淡々と話の続きをしてしまう。

「打ち所が良くなかったの。まだ意識が戻らないからはっきりとは分からない。弱視で済むかもしれない、でも……それでもそう遠くないうちに……」

『祐真くん! 落ち着いて、おね、が、い』

 ―― ……違うっ!
 嘘だっ!
 嘘だ嘘だ嘘だっ!!
 ボクは、イヤだ!
 嫌だよ!! 嫌だっっ!!

 イ・ヤ・ダ …… ―― 

 もう祐真くんの目には私の姿はもちろん、おばさんの姿もベッドに横たわる自分の姿も見えていないのだと思う。

 ずんっと、室内を取り巻く空気が濃密になって、私が息を詰めるのと、ほぼ同時に、ぱんっ! と、軽い音をたてて室内の蛍光灯が割れた。
 室内灯はカバーのお陰で室内に散乱することはなかったが、入り口付近の間接照明が落ちた。細かな粒が光を反射する。

 おばさんは周囲のそんな様子を気に留めるでもなく、再びベッドに突っ伏すと肩を揺らした。
 ガタガタと窓ガラスが揺れる。

『おち、ついて、ゆーま、くん』

 祈っても全く届くことはなく、その思いに呼応するように私の体に何かが纏わりつき、ぎりぎりと締め上げてくる。

 ―― ……苦、し、い。
 痛、い……――

 余りの息苦しさに瞳が潤む。 
 巨大な蛇が体に巻きつくように、締め付けられ、手足の自由も利かない。膝ががくがくと震え、床が私を引き寄せようとしている。

 視界に霞が掛かって、頭がぐらりと傾きそうになったところで

 ―― ……すっ

「失礼します」 

 扉が開いた。
 こいつはいつもギリギリだ。
 軽いノック音と共に扉が横に開きミカミが入ってくる。こつと一歩入室した時点で、私を締め付けていたモノが散った気がした。
 その音に顔を上げたおばさんは、今始めて私の異変に気がついたというように「大丈夫?」と私を見上げて訪ねてくる。
 私はベッドの柵を掴んで背を丸めると、数回咳き込んだあと「少し風邪気味で」と苦笑した。 

「これを祐真さんに活けてあげてもらえますか?」 

 ミカミは、来る時には手ぶらだったはずなのに、売店ででも買ってきたのか切花をおばさんににっこりと手渡す。おばさんはほんの少し恥ずかしそうに微笑んで、ありがとう。と呟くと花瓶とそれを持って病室を出た。
 男前は得だな。

 ミカミの登場で先ほどまでの緊迫感はすっかり失せて元通りだ。
 ただ戻っていないのはたった今、私の耳に飛び込んでしまった事実くらいなもので気が重くなる。祐真くんの悲痛な声、というよりは感情そのものが未だ私の心を締め付けて離そうとしない。 

「大丈夫ですか?」 

 歩み寄ってきたミカミの手がそっと私の髪を撫で背を撫でていく。 

「祐真くんは、大丈夫? 鈴奈は?」 

 私の言葉にミカミは「僕はひなたさんのことが心配なんですけどね?」と苦笑した。そんなことは分かっている。でも、祐真くんの胸の痛みが拭えない。私の体を締め付けた祐真くんの負の感情が、解放された今でも纏わりついているようで目頭が熱くなる。 

「大丈夫でしょう。小鳥遊さんは暫らく帰ってこないかもしれないですけど」 

 ちらりとベッドに横たわる祐真くんを見たあと「まあ、問題ないと思います」と付け加える。 

「源さんの方も、大丈夫だとは思いますが」
「が、何?」 

 含みのある物言いをしたミカミに眉を寄せる。ミカミはうーんと唸ったあと

「直接、ひなたさんに話を聞いて欲しいそうです」
「神様より私に?」
「ええ、源さんにとってひなたさんには絶対的信頼を置いているのでしょう? 逃げ出したことを詫びていました」 

 それは信頼する相手を間違っているのではないだろうか? 私は曖昧な笑みを溢して「そう」とだけ頷いた。 

「で、ミカミは知ってたの? この事。それに、祐真くんも? 知らなかったのは私だけなわけ?」 

 別にミカミを責めるつもりも、祐真くんに物申すつもりも全くなかったが、確かめないわけにも行かなかった。
 頬に朱色のささない祐真くんを見つめながら口にした私にミカミはまず詫びた。 

「すみません。僕は医師ではないので何かとは断定できませんでしたが、彼が何かを失っている、もしくは失いつつあるのは分かりました。小鳥遊さん自身の魂も揺らいでいましたし、此処にきてはっきり欠けているのだろうと実感しました。ご本人も同じようなものだと思います」
「じゃあ、今祐真くんの受けたショックはかなり大きかったよね」 

 ぽつりと溢した私に、ミカミは「そうですね、きっと」と頷いた。
 そして、何かを確認するように私の髪や肩に触れた。くすぐったくて、私がミカミから一歩離れたところでおばさんが戻ってきた。

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