神様と私の幽霊奇談(神様と私シリーズ)
▼ 第十話『傷の形1』

 

 ―― ……確かに私は祐真くんのことを何も知らない。

 実際、祐真くんの口から聞いたことしか知らないわけだし、それでは知っているとはいえない。右京さんのことだってそうだったし、知らないってだけで済ますわけには行かない。そのくらいはもう関わってきているはずだと思う。

 私たちは遅い夕食をとったあと、リビングで母がバラエティ番組を見ているのを眺めながら食後の珈琲を飲んでいた。
 相変わらず、祐真くんは家には入って来れないみたいだしミカミは帰りの話を自ら持ち出そうとはしない。確実にミカミは何か知ってると私は踏んだ。それを黙っていると思うと憎らしく、ちらと睨みつける。すると、その視線に気がついたミカミは、にっこりと微笑んだだけだった。それなのに、

「明日、また病院へ行ってみましょうか」

 そう話を切り出したのはミカミだった。
 私は、少し驚いて「え?」と間抜けな声を上げて、ほんの少し舌を火傷した。テーブルに撥ねた珈琲をふき取りながら聞き返したが私の聞き間違いではなかったようだ。

「小鳥遊さんのこと知りたいと思ってるんでしょう?」

 静かにカップを傾けつつそう口にする。

 ―― ……何でもお見通し、か。

 私は答える必要もなく、盛り上がって笑い声の響くテレビへと視線を移した。

 ***

 翌日曜日は梅雨の晴れ間。
 驚くほどの晴天で空が高く眩しい。天気予報で梅雨明け宣言はしていなかったから、ただの気まぐれだろうケド、ほんの少しだけでも足取りが軽くなる。

 でも…… 

「暑い」 

 分かってるよ、ここは地形的にも山に囲まれた盆地だし、過ごしにくいことこの上ない場所だって! でも、まだ夏じゃない。もう少し穏やかでも良いのに。
 眉の高さに手を翳して青い空を仰ぎ見る。

 ああ憎らしい。

 絵の具を融かしたような空。夏に限りなく近い、白い雲。もう直すればあの雲がどっかりと分厚くなって夏の空を鬱陶しいくらい彩る。
 はあ、と溜息を吐いても、やっぱり雨よりは良いか。

 今日はちゃんとお見舞いというか手土産持参だ。

 この間は思いつきで何も用意できなかったのが口惜しかった。祐真くんは、まだ目が覚めないし今は必要ないと思うけど、きっともう一度手にしたいと思ってくれるはずだ。買いに行く暇がなかったので、お下がりで申し訳ないが私には絵心がないし、特に自分から描こうという心意気もないので無用だったからほぼ完品だ。 

「それ、ボクにですか?」 

 ま、ここで昼間っからうろうろしているんだから、目が覚めるわけない。私は苦笑しつつ小さな声で「そうだよ」と答えて頷く。
 日曜日の昼間は人通りが少ないわけじゃない。加えてミカミは一緒に歩いているだけで、かなり人目を引くので、他者には目視できない存在と普通に話をするわけにはいかないのだ。今欲しいと両手を突き出してくるが、受け取れないという事実に気がついて欲しい。

  
 ***


 日曜日の病院は休診日なのだろう。
 先日と同じようにロビーの照明は落ちているし人影は疎らだ。今日はそのまま真っ直ぐに祐真くんの病室へと足を進めた。エレベータから降りて直ぐ、祐真くんの病室の前に立ち尽くしている人影に目が止まる。 

「鈴奈」 

 そういえば前もここで会った。
 もしかしたら祐真くんと同じクラスだったり、友人だったりしたのかもしれない。私は何も気を使わずに歩み寄って声を掛けたら、鈴奈は思い切り肩を跳ね上げて振り返ると「すいません」と一言謝罪して走り出してしまった。 

「え、ちょ、待って?」 

 泣いてた? 慌てて私も鈴奈のあとを追おうと思ったら、病室の扉も開き医師とおばさんが出てきた。医師は私たちをちらりと見たあと、特に何をいうでもなく廊下を歩き出す。
 おばさんに詫びて鈴奈を追いかけるつもりだったのに、医師に向かって深々と頭を下げたおばさんを見ると、それは出来なくなった。

 ハンカチで口元を覆っていたおばさんは、もう涙こそ流れてはいなかったけれど、ついさっきまで、泣いていたのではないかと思われる風だったから。

 くいっとミカミの袖を引いて小さな声で「お願い」と呟いた。
 直ぐに意を解してくれたのだろう、もう流れてはいない涙を拭うおばさんに軽く会釈してミカミは踵を返した。これで多分鈴奈は大丈夫だろう。

 何せ神様が話を聞いてくれるのだから。
 あ、でも、厳しいこといわなければ良いけど。

 私は一抹の不安を残しつつも、先日と同じように迎え入れてくれたおばさんに続いて病室へと入った。
 相変わらず、祐真くんはベッドに横たわって器械のお世話になっているようだ。でもこの間よりお日様の光が入ってくるお陰か経過良好に見える。
 ま、中身は私の後ろに居るけど。

 はぁ、と溜息を溢してしまったあとで、しまったと思ったが幸いおばさんの耳には届かなかったようだ。 本当に溜息を吐いたり憂いだりしたいのはおばさんのはずで、私がすべきことじゃなかった。

「あの」 

 祐真くんのベッド横のパイプ椅子に腰掛けて、ベッドの端に肘をつき祈るように組んだ手に額を押し付けて黙ってしまったおばさんに堪えかねて、私が口火を切るとおばさんと被った。
 おばさんは、私の声など聞こえなかったようにぽつぽつと話し始めた。 

「祐くん、もうこのままの方が良いかもしれないわ」 

 え? おばさんの言葉に耳を疑う。


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