▼ 第七話『終焉の色1』
月明かりが僅かに差し込んできて私たちの姿を照らし壁に影を作った。
今、影に何か映っていなかっただろうか? 先生が銃刀法違反で捕まりそうなものを担いでいたような気がする。
私は引きつる頬を空いた手で擦って先生を見上げる。
「あ」
何でこんなにはっきり違うのに気がつかなかったのか、私の前で揺れている先生の髪が白いというか、銀髪だ。慌てて足を止めると、同じタイミングで先生も足を止めたらしい、どんっ! とその背中にぶつかってしまった。
「ここだな。それにしても……ミカミくん遅いなあ」
「いや、来ないでしょ? 予定では、ぐるっと回って戻るだけだったんだし、いや、そうじゃなくて、先生髪白い!」
私の言葉に「遅い突っ込みだよね」と、笑いながら先生は立ち止まった部屋に手を掛ける。
プレートを見るまでもなく此処は音楽ホールだ。吹奏楽部とかが練習に使っている、だだっ広い防音効果抜群の部屋だったと思う。でも、こんなに嫌な感じのする場所じゃなかったと思うけど。
「来ると思うよ。だって奥さんが他所の男と二人きりってやっぱり心配だと思うし」
「いやいや、奥さんじゃないし。答えになってないし」
「あっちでは有名だけど? それに髪、綺麗じゃないかな。俺は銀髪も嫌いじゃないんだけど。とりあえず髪の色は奇異で、嫌かもしれないけれど、少し我慢して、仕事の時は仕方ないんだ」
あっちって仕事って、先生もしかして
「ミカミと同業者?」
恐る恐る問いかけた私に、先生はにっこりと振り返り「そんな感じ」と告げて扉を開く。もわっと纏わりつくような空気がどっと流れ出てきた。
陰鬱な空気が首を絞めていくようで息苦しささえ感じる。これは普通じゃない。
「うわー、でっかい穴が空いてる」
はぁと中を覗いて先生は嘆息した。
その溜息と重なるように「手を離してもらえませんかね?」という耳に馴染んだ声が聞こえる。
「ミカミ遅い」
本当に来たよこの人は。
私は呆れつつも胸を撫で下ろす。感謝こそすれ悪態つくのは筋違いなのは分かっているが、私から出た言葉に、ミカミは素直に「すみません」と謝る。
ミカミが来れば多分大丈夫だ。
私にとって悪いようにはならないだろう。
それは確信に近いものがあった。ミカミが居れば大丈夫。……少なくとも私だけは、という範囲なのだけど。
ミカミは、すっと私と先生の間に割って入る。溢れてきていた嫌な空気が、私の前でぴったりと遮断されたように私は息苦しさから解放された。
「良いタイミングだね。手を貸してよ」
「嫌です」
即答だ。
どちらかといえば怒ってるみたいだ。
ミカミの怒りの矛先が私に向くことはまずないから、先生にだろうけど、全てを凍りつかせるような冷たい声色はちょっと怖い。しかし先生は、そんなこと全く気にしないというように口角を引き上げてにっこりと笑みを浮かべる。
「これでも温厚に運んだつもりだけど? 俺の仕事をちまちま邪魔してくれてたのだって、見逃してあげてるのに」
「ああ、貴方がこの地区担当の死神でしたか? 怠慢されているのが良くないのではないですか?」
「いうねぇ。君だってこの状況見れば分かるだろ? 俺だけのせいじゃない」
僕のせいではもっとないですね? 疑問系だが質問しているわけではないだろう。先生は「ああ、もちろん。そうだ。違いない」と楽しそうに笑いながら部屋の中へ入った。
かつん……かつん……と、床板を踏む音に合わせて充満する黒い空気が散っていく。そして先生の傍だけ仄かに白く保たれている。
「君としてもこんなの置いておいたら、良くないと思うよ。暁さん見ちゃうみたいだし、怖いのわさわさ出てきちゃうよ」
先生自身が穴と呼んだ場所まで歩み寄ると、こつこつといつの間にか手に持っていた死神と呼ぶにふさわしい鎌で嫌な空気が渦巻いている中心を叩く。鎌の柄に手を掛けようと出てきた黒い腕のようなものを先生は簡単に打ち散らす。
思わず何か出てきた! と、体を強張らせてしまった。ミカミはそれに気がついたのだろう。小さく嘆息した。
「貴方一人でも事足りるでしょう? 私に何をして欲しいのですか?」
心底呆れたように口にしたミカミを、先生は気にすることもなくにこにこと子どもが悪戯を企んでいるときのような顔で話を続ける。
「俺、空間の隔離苦手なんだよね。穴は俺が閉じるから、空間隔離掛けてもらえると嬉しいな。ほらほら暁さんからも頼んで頼んで。君の頼みなら二つ返事だよ、そのために来てもらったんだからさ」
いいつつにこにこと、先生は、いつもの笑顔で穴から溢れ出し外へ出ようとする何かを片手間のように消している。
そんなことよりも、そんなことを口にしてから私が頼んでも意味ないと思うのだけど。どうなんだろう? いわれてミカミの背を見上げると思い切り肩を落としたようだ。
「生命管理部の方はもっと清廉で高潔な方ばかりだと思っていました」
「じゃあ、俺は新手ってことで認識しておいて」
毒のない笑顔。
この人には何をいっても無駄だ。私でもそう思ったくらいだから、ミカミはもっと強くそう痛感しただろう。続けて落とす溜息が逆に切ない。
「ひなたさん、僕の傍から離れないでくださいね」
諦めたようにミカミはホールへと足を踏み入れて、私がついて入ったのを確認すると扉を閉めた。息苦しさは感じないが異様な雰囲気は変わらない。
「ミカミ、祐真くんは?」
くいくいっとミカミの袖を引っ張って耳打ちすると、いつもの柔らかな笑みで「大丈夫ですよ」と頷いた。
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