種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種95『闇猫』

 

 月の綺麗な夜だ。
 二つ月は欠けることも陰ることも知らない。

「殺さないでくれ! 金ならいくらでも! だからっ! 頼む」

 聞き飽きた台詞。
 大抵、闇猫を前にしたものはそういって足下にひれ伏す。その姿に浮かぶ情などない。そして正直気分の良いものでもない。
 小さく嘆息する。

「申し訳ありませんが、私はこの依頼を受けたのです。完遂する必要がある」
「で、では、その倍で、その依頼を持ち込んだ輩をっ!」

 別にかまわない。そう口に仕掛けてブラックは飲み込んだ。
 目の前の男の死は変わらない。ここで、この男の話を聞いてやっても良い。
 昔の自分ならそうしていただろう。
 何も考えることなく。器を一つ壊すも二つ壊すも大した差はない。

「どちらにしても貴方に命はないのです。無意味なことに魂を汚すことはないと思いますよ」

 ―― ……魂

 自ら発した単語に笑いそうになる。器にそんなものがあるなんて馬鹿げている。けれど、ちらとだけ背にした窓の外を見る。

 白い月がじっと見つめているような気がする。

 マシロなら、きっとそんな風にいうのではないか? などということを考えてしまった。
 嗚咽を漏らしていた気配が急に消えた。

 ―― ……ボンッ!

 屋敷が歪んだ。
 突然起こった爆発。

 火薬的なものではなく、魔力的なもの。続けて、がんがんっと火の玉が打ち付けられる。

「わ、ワタシとて、魔術素養がゼロではないっ! 闇猫などにみすみすっ!」

 みすみすなんだというのだろう?
 ブラックは最小限の動きでそれらをやり過ごす。直ぐに魔力切れになり次を打ち込むことができなくなると、ふぅと嘆息して、袖口に付いた埃をぱんっと払った。

「汚れるのでやめてください」
「ひっ、バケモノッ!」

 ずるずるっと尻餅を付いたまま後退していく男の台詞にブラックはゆるりと口角を引き上げた。

「そうですよ。その化け物を前に貴方は何を焦っているのです。無駄だと知りつつも足掻かなくてはいけない……もう、無駄話にも飽きました」

 すっと静かに銃を構える。
 あわあわと恥も外聞も気にすることなく、命ごいをする。

 その声すら、闇猫の耳には届かない。

「誰かっ! 誰か助けろっ!」

 嗄れてしまった喉から絞り出される声。
 いつもの屋敷なら誰かが異常を感じて駆けつけるだろう。
 しかし、今夜はこない。逃げるものは放っておいたし、牙を剥くものは先に逝かせた。

 かちりとリボルバーが回る音がする。

 ―― ……ガウン……ッ

 そして一度だけの銃声。
 こつりと靴底が床を弾く。
 他には何の音もしない。屋敷の主人が自ら荒らしたあとだけ……豪奢な花瓶が割れ絵画にヒビが入り壁が焼け焦げている。

 僅かに腰を折って床に転がった種を拾い上げた。
 じりじりとまだ熱を持っているような気がする。そんな風に以前なら感じることはなかったはずだ。
 ブラックは自嘲的な笑みをこぼす。

「……お客だったことがあるのですね……」

 手の中の種は僅かばかりの魔術素養を含んでいる。これには何となく覚えがあった。
 金に物をいわせ拾得した素養が十分に種に馴染んでいない。
 良くあることだ。

 ぽんっとブラックが床を弾くと、次の瞬間には屋根の上にいた。
 王都はゴミゴミとしていて、見渡す限り屋根ばかりだ。

 くんっと空を仰げば、二つ月。
 これだけは変わらない。
 
 普段なら高揚している気分も、夜のひやりとした空気を深く吸い込み静かに吐き出す。

 心穏やかになるのは白月がそこにあるからだ。

 とんっと屋根を蹴れば、次は図書館の鐘突き台。
 あの棟の下にはマシロが居る。ガラスのはまっていない窓に腰掛けて、手の中にあった種をぴんっと弾きながら見つめる。
 こんな時間だ。確実に眠っている。

 今夜マシロが見る夢はどんなものだろう。
 そんなことを考えて心が凪いてくる自身が滑稽だ。

 化け物。間違っていないのに、もし、そう投げつけられたことを知ればマシロは憤慨するだろう。
 もうこの世界に存在しない相手だ。怒りが向かう先はない。それでも、文句をいわずにはいられない。

 ひとしきり怒りをまき散らしたあと、手を伸ばしふわふわと頭を撫でる。子どもではないし、そんなに近しいところに誰かが居るというのは不思議でしかないけれど、マシロの手はとても暖かく心地よい。

 誰か特定の人物に固執し、会いたいと焦がれる気持ちが湧くことがあるとは思わなかった。
 マシロが目の前に現れてから抱くことがあるとは思っていなかった、考えもしなかった感情が次々と目覚める。
 自分も他の器と何も変わらないことも頭では分かっていたが、それを明確にしてくれたのは彼女だ。

 明日は何か贈り物をしよう。何が良いかと思案する。
 装飾品の類は恐縮されてしまうし、ああ、そういえば、先日新しく出た甘味。
 並んでも買えなかったと気落ちしていたから、それを…… ――

 ふふっと笑みがこぼれてしまう。
 今夜みたいな日は、大抵くさくさとして朝を迎えるのが常だった。
 違う今が心地よい。
 このときが少しでも長く続くならどれだけの苦労も厭わない。

 青い月が夜明けを心待ちにする日が来るとは思わなかった。





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