種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種89『花びらふわり』

 


 雪空はどんよりと曇り、見上げた空では時間は分からない。けれど夕方いつもの道を歩く。

 ふわりふわりと雪は花びらのように舞い落ちる。
 吐く息は白く、指先は何かに当たるとじんっとしびれた。

 ―― ……きゅっ

 手を擦り合わせようと、身体の横に沿わせた腕を浮かせたところで柔らかくて小さな手が絡みつく。

「お兄ちゃん積もるかなぁ?」

 腰辺りまでしかない身長の妹が頬を真っ赤にして見上げてくる。

「んー、どうかなぁ」
「つもるよ! つもったら、一緒にゆきだるまつくろう?」

 反対側の手には、もう一回り小さな手が両手で、ぶんぶんと反動をつけてぶら下がってきて、思わず足下がふらついた。

「うわっ! いくちゃんっ! あぶないでしょ!」
「あぶなくないよっ! 大丈夫だよっ!」
「いくちゃんが大丈夫でも、お兄ちゃんが!」

 人を挟んで喧嘩を始めてしまう。
 いつものことだけど、こうなったら二人では収拾がつかない。

「積もると良いね」

 いって大げさに繋いだままの両手を振ると、うわわっと両方で慌てる声がして必死に手にしがみついてくる。

 ふわりふわり柔らかく舞っている雪は積もらない。

 それでも積もると信じている二人にそれを告げることは到底出来なくて、出来ればこのまま深々と降り続いて本当に積もって遊べると良いなと願う。

「寒くない?」

 ところでと問い掛けると二人声を揃えて「ぜんぜん!」とにこり。

 そうだね。
 繋いだ手もみんな暖かい。

 冷え切っていた自分の手がぬくもりを取り戻していることに頬が緩む。

「お母さん今日もおそいよね」
「んー、そうだね。遅いかも」

 色々誘われたけど、結局自分は帰宅部で、学童保育にいる真白と、延長保育で待っている郁斗を迎えにいく。というのが日課になっていた。

 母さんは、なんとかするから気にしなくて良いというけれど、実際のところ自分が迎えに行かなければ、どうするつもりがあるのか不思議だ。

「えーっ! 昨日もその前も遅かった!」
「いくちゃん、うるさい。二人ともお仕事だから仕方ないの!」
「でも、おかーさんと……」
「ましろはお兄ちゃんが居るから平気だよ」

 しょぼしょぼとしょげてしまう弟に対抗するように、そういって握る手に力を込める。

「い、いくだって平気だよっ、でも」

 寂しいよね。
 二人が沢山我慢して、沢山頑張っているのが痛いほど分かる。

 僕も同じだけ、ううん。それ以上に寂しかった。

 園で誰もいなくなって先生と二人きりで、それでも暫らく迎えは来なかった。

 毎日毎日、実は自分は捨てられてしまったんじゃないかと思って、胸がキリキリと痛んで苦しかった。

 不思議と涙が出なかったのは、諦めがあったからだと思う。
 だから真白が生まれたとき、たった一本の指を握る小さな手のぬくもりに、絶対にこの子にはそんな思いはさせないと幼心に誓った。

「おにーちゃんっ!」
「にーちゃんっ!」

 二人のやりとりを聞きながらぼんやりしていたらしい。
 ぐぃっ! ぐぃっ! と両方から手を引かれた。

 はたっと我に返ると

「ぷっ」

 思わず吹き出した。
 揃って覗き込んでくる顔は、普段の可愛らしいものとはかけ離れていた。子どものほっぺはどこまで伸びるんだろう。

「ふ、二人とも何やってるの。可愛い顔が台無しじゃない」

 いいながら笑い声を噛み殺すのに必死だ。
 そんな僕を見て、二人は顔を見合わせると「笑ったね」とにこり。その様子に、しっかり自分も救われていることに気が付く。

「よーし! 今夜はシチューにしよう!」

 照れ隠しにそういえば、揃ってきゃあ! と叫ぶ。
 小さい子は一々反応が過剰で楽しい。

「いくねー、ともろこしがいっぱいがいーっ!」
「ましろは、いちごいれて!」

 ―― ……入れたことないよ。真白……。

「イチゴはデザートにしようね?」
「えー……」

 まさかブーイングにあうと思わなかった。


 ***


 思えばあのころから真白は悪食だったのかもしれない。

 机の奥の窓から静かに降っている雪を眺めながら、なんとなく昔のことを思い出す。明日には積もってそうだけど、もう雪遊びをするような年齢でもない。
 正直いえばちょっと寂しい。

 ―― ……コンコン

「臣兄?」

 軽いノックのあと、少しだけ扉が開く。
 掛かった声に返事を返せば、ひょっこりと真白が顔を覗かせた。

「珈琲淹れてきたんだけど、飲む?」

 トレイの上にはマグカップが二つと、教科書・レポート用紙が載っていた。ほんの少し申し訳なさそうな真白に笑って「ありがとう」と返す。

「序でに何の課題を手伝えば良いのかな?」

 くるりと椅子を回してそう重ねれば「あのね」と表情が明るくなる。そんな顔をされては面倒だなんて思わない。

 それよりも、まだ自分が妹のためにして上げられることがあるのだと思うと嬉しかった。
 これなんだけど、とローテーブルの上にトレイを載せて、上のものを広げていく真白の隣りに並んで座る。理数系の弱い真白は数学に頭を悩ませていたようだ。
 僕としては答えが一つである問題の方が余程解き易いと思うけど。

 ―― …… ――

「はぁぁ、臣兄って隙がないっていうか完璧だよねぇ」

 課題に飽きたのか、レポート用紙の隅っこをシャーペンの先でつつきながら真白がぼやく。

「そう?」

 本当なら真白が真剣にページをめくらなければいけない教科書を眺めつつ、カップの残りを飲み干した。

「そうだよ。私、臣兄の出来ないことなんて想像つかない」
「んー、そうかも」

 真白にそういわれるのは気分が良い。

「そうだよ。お兄ちゃんとずーっと一緒にいられる人って絶対幸せだと思う」
「ああ、大崎くんだっけ?」
「もうその名前は出さないで」

 くすくすと笑えば、ぶすっとむくれっつらを作って机の上に突っ伏した。
 真白には悪いけれど、初彼氏との関係が早いうちに壊れたことにほっとしてしまっている自分がいる。
 泣かせたことは許せないけれど、慰められるところにまだ僕は居たから良かったと、そう思える。

「真白には、真白だけの相手がきっと居るよ」
「そーかなぁ……」

 そうだよ。
 その思いは確信に似たものがあったけれど、口にするのは恐くて「多分ね?」と曖昧にして、ふわふわと潰れてしまっている真白の頭を撫でて立ち上がった。

 机側ではない窓辺に寄ると丁度ここからは玄関が見える。
 郁斗戻ってたんだな。門扉の前に立っている弟の姿を確認して見詰める。
 友達……じゃないな。あれは、

「臣兄?」

 フレンドリーな雰囲気ではない階下の様子を眺めて、零れそうになる苦い笑いを飲み込んだところで真白に声を掛けられた。
 どうしたの? と不思議そうに見つめてくる瞳に微笑んで「何でもないよ」とあっさり答えブラインドを降ろしてしまう。

「で、続きをやる気になった?」
「ならないけど、一応やる」

 そういって姿勢を正した妹の隣りに腰を降ろす。

「あ〜あ、どうして私、臣兄の妹なのに出来ないことの方が多いんだろう」

 これだから、弟にまで馬鹿にされちゃうんだよ。と、ぶつぶつ。

「そう? 郁斗はお姉ちゃん大好きだと思うけど」
「む、それは嬉しいけど姉として尊敬されるべきだよね」

 また無茶をいう。笑いそうになるのを堪えて「じゃあ、取り敢えずそれを目指して、終わらせようか」と机上をこつこつと叩いた。
 はぁ、と息を吐いたものの「はぁい」と可愛らしい返事が返ってくる。

 この調子なら、まだまだ僕は「面倒見の良い出来た兄」でいられると思う。
 でもきっと、真白は自分で気が付いていないだけで、本当に良い子で優しくて、僕たち兄弟の中で一番芯の強い子だから自分の居るべき場所をちゃんと自分で見つけると思う。

 はぁ……そのとき、僕はちゃんと「良い兄」で居られるか今からとても心配だ。

 窓の外を降る雪はまだ止まない。

 まだ、僕たちはきっと手を繋いでいられるから……――





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