種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種90『月が届かない場所・陽の照らす場所』

 

「新触感のスイーツ。ココスジュレ新発売でーす。ご試食どうぞー」

 クリムラとその隣りのカフェでの依頼は良くあることだけど、正直このフリフリエプロンには慣れない。
 季節ごとに色が変わり、今はパステルピンクだ。
 膝上十センチくらいの短いスカートも実はあまり履き慣れない。

 まあ、私を見る人は居ないだろうから構わないのだけど、そうそう、見て欲しいのは私の持っているお盆の上にある新作ジュレ。
 四個のココスをピラミッドのように積み上げて、ゼリーで固めたものなんだけどココスの実の中央の種を抜いてそこにホイップクリームが詰まっている。

 現在店員の私がいうのもなんだけど、相当美味しい。
 帰りには私ももちろん買って帰るつもりだ。
 アルファも喜ぶだろうからちょっと余分に、ラウ先生の研究室にも差し入れするから十個以上は……手に入らないだろうなー。
 最低数の六個は確保させて貰ったんだけど出来ればその倍は欲しい。

「一つ味見させて貰って良いですか?」
「はい、どうぞ」

 にこにこと広場に面した通りで試食品を配れば、あっという間になくなってしまった。
 そして、振り返ればクリムラには行列が出来ている。
 足下に置いておいた、保冷箱の中のジュレもなくなってしまったし、終わりの時間まではもう少しあるから、あっちを手伝いにいった方が良いだろう。
 私は簡単にその場を片づけて、お店に戻った。


 ***


 ギルド事務所に報告に上がって、そのまままっすぐに帰るつもりだった。それなのに

「お願いマシロー」
「おねがーい」

 というギルド管理者の二人の揃った声に押されて――べ、別に、声に合わせて。へにゃーんとなる兎耳にほだされたわけではない! 決して――帰り際一通の手紙を配達することになった。

 宛先はマダムルージュになっている。

 この時間ならお店に準備で入っているはずだからといわれ、私は久しぶりに裏通りを歩いた。

 ここには余りよい思い出がないから出来れば避けたいけれど、手紙を届ける程度のこと断ることもないだろう。私だってあのころと違って、少しはこの辺についても分かっている。

 少し古びた煉瓦道を太陽が赤く染めるうちに済ませるため、私は走った。ああ、でも手にはクリムラでのお土産があるから、ゆっくり急いで。という程度だ。

「あら、久しぶりね」
「はい、ギルド依頼できました。マダム、お手紙ですよ」

 マダムルージュ自体はとても華やかで、濃艶たる美女だ。傍にいるだけで女の私でもうっとりしてしまうくらいの美貌の持ち主。というか、漂う色香を隠せない人だ。

 彼女は、流れるような所作で私の手から、封筒を受け取るとにっこりと赤い唇を引き上げお礼を告げた。

「これはお駄賃ね」

 といくつかの飴を貰ってしまった。つまり、私はまだまだ飴玉で動く子どもだということだろう。でも、実際はそう扱われることに、気分を害するほどの子どもではなく、私はにこりと受け取った。
 受け取ってみれば、ウイスキーボンボンだ。

 この場所らしくて、ふふっと笑みがこぼれた。

 帰り道ももちろん急ぐ、急ぐけど足下を照らしていた赤い陽は少しずつ闇色に変わってくる。
 ぽつぽつと街灯も灯り始め、通りに並んだ店先にも明かりが灯る。

 ここはまだそんなに治安の悪いところではない。
 それでもちらほらと角に立つまだ幼さの残る子どもたちが目に付いた。正直私はとても恵まれていて、異世界から落ちてきたというのに、生活に困ったことはない。

 困窮したことがないから、この子たちの実状は分からない。

 王都は表通りが華やかで、豊かであるだけにこういうところが隠れがちだけど、貧富の差はどうしても出来てしまう。

「貴女新顔?」

 そんなことを考えながら歩いていたから、急いでいたはずなのに、次第に速度は落ちてぶらぶら歩いている程度になってしまっていた。
 私は声を掛けられて、ふるふるっと首を振った。

「そうなんだ。そう、だよね。あんたみたいな身ギレイな子は屋根のあるところで働けるもんね」

 そういった少女の肩から羽織ったショールごしに見える腕は細く、手は骨張り痩せていて、彫りが深くなった顔からは大きな瞳だけがぎらぎらして見えた。

「どこのお店で働いてるの? 序でだから呼び込んであげる。ほんの少し分けてくれれば良いから」
「あ、えっと、私の仕事は終わって、これからか…… ――」

 帰るといいかけて私はその言葉を飲み込んでしまった。どうして良いのか分からない。
 逡巡し答えあぐねいている私に彼女は、ふっと瞳を細めた。

「そんな哀れむような顔しないでよ。普通の仕事が出来るんだ、あんた素養に恵まれてるんだね? あたしみたいなカスとは違う」
「あ、あの。私、表通りのお菓子屋で働かせて貰ってて、その、えっとこれ、注文と違うからって、突き返されちゃって、えっと、その、そのまま持って帰ると怒られちゃうから、良かったら食べて」

 反射的にクリムラの箱を彼女に押しつけていた。

「あ、これはそこでお詫びにって貰ったから」

 これもと、マダムに貰ったチョコも載せる。彼女は意味も分からずに、そのまま受け取ってちょとだけ箱を開けて中を覗いた。

「……キレイ。これ、食べられるの?」
「うん。冷たくて美味しいよ」

 ふわふわとほんのり街灯に照らされる彼女の顔が朱色になった。

「あたし、今夜はまだお金ないけど」
「いいよ。私もどうしようか困ってたから、」
「こんなに沢山あるのに」
「兄弟とか友達とか、」
「うん! ちっちゃい子が喜ぶわ」

 ぱぁっと笑顔が浮かんだその表情はやっぱりまだまだ幼さの残るものだ。いくつくらいの子なんだろう。

「あれ、ジュジュ。お仲間増えたの?」
「あ、オレ、この子見たことある。昼間クリムラでバイトしてる子だよね。昼は表で夜は裏で働いてんの?」

 掛かった知らない声に私は肩を強ばらせる。長居しすぎた。早く立ち去らなくてはいけなかった。

 男は三人。
 そのうちの一人が不躾に私の肩に触って、顔を覗き込んでくる。

「名前なんていうの? 可愛いなと思ってたんだ。おれ今日はこの子に遊んで欲しいな」
「だ、駄目だよ。その子はここの子じゃない!」

 慌ててジュジュと呼ばれた女の子は私に触れている男に叫んで、その手を掴んだけれど「うるせぇよ!」と弾かれて華奢な身体は簡単に弾け飛んでしまった。

「あ」

 折角のスイーツも路肩に転げ出てしまう。

「ああ、少し遅かった、かな?」

 聞こえた声に、今度私は胸を撫で下ろす。肩に乗っていた手は簡単に下ろされて、悲鳴を上げるのは彼らの番だろう。

「エミル」

 ということはアルファとカナイも……あれ?

「マシロ、そんなにあからさまに残念そうな顔しないで。今ちょっと傷ついた」
「ご、ごめん」
「事務所まで迎えに行ったらお使いを頼んだといわれたから、迎えに来たんだけど」

 エミルが手首を掴まえている男は苦悶の表情を浮かべているけれど、エミルは何事もないように普通に話しかけてくるから同じように答えてしまっていた。

「ちょ、おま、離せよ!」
「ああ、うん」

 苦々しく呻かれて、エミルはあっさりと男の手首を解放した。
 それと同時によろりと地面に膝を付き、一人が支えるために傍に寄りもう一人が握った拳をエミルへと振り落とす。
 反射的に身体が強ばったけれど、エミルは軽く避けて手首を掴まえると、突っ込んできた勢いを利用して、その腕をぐいっと後ろに回し、ぽんっと相手の背のどこかを弾いた。

「ぎゃっ! い、痛ぅ……」

 短い悲鳴を上げた男はがくりとその場に膝をつき、肩を抱えてうずくまってしまう。声に鳴らない悲鳴を上げ続け、ぽつぽつと額に浮かんだ汗が地面に落ちる。

「お前っ何をしたんだよ」
「さぁ? とりあえず、医者にでも掛かった方が良いんじゃないかな」

 他の二人が焦るのに、エミルはどこ吹く風。
 にっこり穏やかに肩を竦める。

 その様子に何かごちゃごちゃと捨て台詞を撒き散らしながら、彼らは団子状態でその場を走り去った。

「大丈夫なの? あれ」
「大丈夫だよ、肩が外れただけだから」

 痛いとは思うけどね。と朗らかに口にして、エミルは座り込んだままぽかんとしていたジュジュに大丈夫? と腰を折った。

「あとを任せても平気かな?」

 ジュジュの手を取って立ち上がらせたエミルは、汚れてしまった彼女の服を叩きつつそういって姿勢を正す。
 私はジュジュの無事を確認したあと、彼らが消えていった方を見ていたのだけど、ふと「大丈夫」だと頷いていたジュジュに何かを渡しているのが目に付いた。

 ほぼ間違いなくお金だと思う。
 私の心は鉛を抱いたように、ずんっと重くなった。

「行こう」

 エミルに肩を取られて促されると、私は抵抗することなくその場を離れる。迷惑を掛けたのはこちらのような気がするのに、ジュジュは丁寧に頭を下げていた。

「仕返しとかない?」
「ないよ。きっと彼らは僕の素性を調べる。ちゃんと分かるようにしておくから、もう、彼らがマシロや彼女に手を出すことはない」

 少しだけおびえた声になってしまった私を落ち着かせるように、エミルは肩をゆっくりと撫で、冷静な声で告げる。

「エミルも強いんだね?」
「そうだよー、僕だって守られているだけじゃないんだよ?」

 緊張から逃げるようにそう口にすれば、エミルは冗談めいた答えを返し、お互いにくすくすと笑った。

「でも、僕に出来るのはあのくらいだよ。カナイやアルファみたいに専門職じゃないからね?」

 柔らかく注意を促され、私は「ごめんなさい」と謝罪した。

「このあたりは、月が届かない場所なんだよ」
「え」
「見てごらん。見上げても月が見えない。この通りも左右に立ち並ぶ建物もとても明るいけれど、その全て魔法灯、人の作り出した明かりなんだ。こういう場所には溜まりやすいよね、いろいろと」

 話をするエミルをちらと見上げれば、真っ直ぐ前を見て、哀しそうな顔をしていた。

「まあ、世界の闇は一点だからね。それが意図しない限り、広がらない……なくなりもしないのだけど」

 一点の闇。
 言い得て妙だ。
 今の青月の落とす闇は広がらない。針で突くように落ちるべき場所に落ち、再び戻る……――その言葉に釣られて私は空を仰いだ。
 群青色に染まった空には月も星も見えない。

「ある意味。落ちる闇だけが人々に平等なのかもしれないね」

 エミルのその言葉が強く私に刻まれた。
 どの立場の人にも等しく闇は訪れる。それはきっと光よりも確実なものだ。

 あたしみたいなカスとは違う。そういい捨てたジュジュ。自らを蔑む言葉。
 秀でた素養があるかないか。
 ただ、それだけのことだと思うのに、ここではそれが絶対だ。
 ばれない程度の小さな溜息。
 続けて私は、つ……と、通りを眺めた。


 ***


 翌日私はマリル教会に足を運んだ。
 陽だまりの園の子どもたちに、庭先で季節と星の移り変わりについて説いていたレニ司祭を眺めながら、回廊でハクアのブラッシングをする。

 心地よさ気に、膝に頭を垂れ目を閉じるハクアに落ちる暖かな日差し。白壁に囲まれたこの場所は、外界から隔離されてしまっている部分もあるけれど、少なくとも子どもたちは守られている。

 ジュジュは暫らくあの場所に立つことはないといっていたけれど、それも長く続く話じゃないだろう。

「レニさんって凄いですよね」

 授業が終わり、後かたづけをしているレニさんにぽつりと零す。レニさんは教材をとんとんっと整えながら「どうしたんですか? 急に」と笑う。

「いえ、今更ながら、レニさんは凄い人なのだと実感してました」

 方法に間違いが合ったかもしれないけれど、彼はこの小さな世界を確実に守っていた。
 そして、これからも陽の当たる場所として守り続けると思う。
 曇らない場所を守り続けることの難しさ、そんなものを私は痛感していた。

「ふふ、褒めていただけるのは嬉しいですけどね? そんなに難しい顔をしていわれたのではあまり喜べませんね」
「世界は広いなと思っていたんです」
「―― ……白月が照らし出す世界はとても広い。全てを照らし出すには時間が掛かりますよ」

 意味の分からないだろう私の話にも、レニさんは真摯に向き合ってくれる。

「直、陽も昇るでしょう」

 いって青い空を見上げたレニさんに釣られるように、空を仰ぐ。
 うとうととうたた寝をしていたハクアも頭を持ち上げ、陽の香りを嗅ぐように鼻を鳴らした。





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