種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種88『真夜中の図書館』

 淡い魔法灯の明かりだけで視界が保たれる図書館の最奥。
 通常ならば生徒すら足を踏み入れることのない禁断の書庫。

 そこを我が物顔で利用するものはシル・メシアでも数少ない。ゆらゆらと揺れる明かりに伸びる影には三角の耳が付いている。

「どうして、私が今白銀狼の血清で精製される薬について考えなくてはならないんですか……」
「色々欠点があるよね。一つでも減らしておきたいんだ」
「シゼにでもやらせれば良いでしょう?」

 ぶつぶつと愚痴を零しつつ、長机の端に腰を預けて、ぺらぺらと片手で本を捲る。空いた方の肘は既に山と積まれている本の上に預け片手間といった体だ。

「私は今考え事が多くて忙しいというのに……」
「何? マシロのこと?」

 椅子に腰掛けて、ぶつぶつと箇条書きでメモを取りながら問いが掛かった。ゆらりとゆらりと闇を泳ぐように揺れていた尻尾がぴたりと止まる。
 その様子に、ぎ……っと、椅子を鳴らして手をとめるとちらとだけ視線を交わし肩をすくめた。

「なんで分かるのか? みたいな反応よしてよ。闇猫が心病むことなんて白月の姫のこと以外ないじゃない。馬鹿馬鹿しくて聞く気にもならないよ」
「……別にいいませんよ」

 飽きれたような台詞。しかしそれ自体は図星で面白くなかったのか、ぶすっとそう答えて本を捲る作業を続ける。

「生血でもそのまま飲ませてみればどうですか? 寿命延びそうですけど」
「―― ……」
「……冗談ですよ。大体貴方の考えていることも酔狂でしかないですよ。星が尽きようとしているのにそれを伸ばすことに何の意味があるのですか?」

 大げさに長嘆息してそう告げると書き続けていた手がぴたりと止まり、指先でペンの軸を無為に揺らす。

「分からない。でも、失うのは恐いんだ」
「恐い?」
「ああ、恐いよ。今まで誰かの死をそんな風に感じたことはなかった、でも、マシロがいったんだ。誰かが居なくなるってことはとても恐くて哀しいことだと。その人の変りは誰にも出来ないと」
「……出来ないわけないじゃないですか」

 呆れたようにそう重ねた相手に「確かに」と軽く笑う。

「そう、だよね。誰の変わりでも直ぐに出来る。創り上げることが出来る。世界に個人が必要なわけじゃない、種の入る器が必要なだけだ」

 そうなんだけど……と語尾を小さくされ、意味が分からないというように長嘆息が落ちた。
 そのあとは紙の擦れる音が少し響くだけの無音が支配した。ゆらりと魔法灯が風もなく揺らぐ。

「―― ……どこからかねずみが入り込んでおるかと思えば、大きな猫じゃな……」
「くだらない冗談はやめてください」

 暗がりの中からゆっくりと姿を現した小柄な老人は、面白くなさそうに口にしてそちらを見ようともしない相手にゆっくりと笑う。
 気を悪くする素振りもなく、閲覧禁止区域に入り込んでいることを攻めもしない。
 その全てが無駄であることを老人は悟っていた。

「今度は何をしでかすおつもりかね? 坊や」
「……翁……僕を坊と呼ぶのはやめてください」

 書き留めていた手を休めて、苦々しくそう告げても、穏やかな笑い声が響くだけだ。

「そうじゃな、そうじゃ。いまや唯の坊やではおられんのじゃな……」
「決定事項ではありません」
「決まっておることもあるじゃろう?」

 ふわっふわっと口の動きに合わせて独特の形に整えられた髭が揺れる。どこか愉快そうにそう問い掛けて相手の出方を待っている姿は、現在の種屋の態度と酷似している。

 齢を重ねたものの余裕。
 まだ未知のものが多い立場からすれば、苛立ちを募らせるばかりだ。

 ぱたりと机上に広げられた本を閉じ新たに手に取りつつ首を振る。

「全てが、決まっているわけではありません」
「終着点が同じであってもその経路が違えばまた違う……かの?」

 それも良いじゃろうと、髭が揺れる。

「そういえば、姫は決定したようじゃな」
「口添えしたのは貴方でしょう?」

 そのままいないものとして扱ってくれれば良いのにと思いつつ、自分に話が振られたことを嫌そうにすることを隠しもしない。

「適任じゃろう?」
「マシロに何もしないという選択肢が存在しないのですから仕方ありません」
「籠の鳥がお好みか?」
「……私のことは放って置いてください。関係ありません」

 苛々と本を閉じ、机に預けていた体重を元に戻し本棚のほうへと歩みを進める。

 ―― ……籠に収まるような小鳥であったなら……

 ふと浮かんだ思考に頭を振る。
 彼女がそんな面白みのない人間であったとすれば、例え異世界人であったとしても自分がこれほど興味を持ち心を奪われることもなかっただろう。

 そして、今も尚、思い悩むこともなかった……。

 自分ひとりであったなら、特に気にすることもない程度の悪意は変わらず向けられている。それを自分が背負うのはなんということもない。文字通り大したことではない。

 けれど、もしも、それが彼女にまで及ぶとしたら……どうだ? 守りきる自信がないわけじゃない、その自信はもちろんある。

 出来ないことなんて何一つない。
 何度も何度も、もしもが頭を掠める。絶対であるのは己だけ。

 心優しい彼女が、知らなくて良い闇はまだまだ自分の周りには存在している。

 彼女がもしも望むなら。
 その全てを余すことなく叶えたいと思う。

 思うのに……不安などという種屋として有り得ない思いが胸に煙る。

「―― ……はぁ」

 かたんっと本を棚に戻し振り返ると、もう老人の姿はなくなっていた。

「年取るとみんなああなのかな……面倒臭い」
「……そうじゃないですか? 坊」

 ふっと思いついたようにそう答え、口角を僅かに引き上げた。
 ぱきんっとペン先が紙を弾く音がして苦々しくその表情がゆがむと愉快そうに押し殺した笑いが零れる。

「―― ……さっさと代がかわってしまえばいいのに」




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