種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種85『雪の季節』

 まだ日中だというのに、空はどんよりとしていて木枯らしが吹いている。
 室内に居れば、外気温に関係なく暖かい。背後では暖炉の薪が爆ぜる音も可愛らしく聞こえる。穏やかな空間だと思う。

「……雪、降りそうだな」

 ひんやりと外気を伝える窓辺に立って空を仰ぐ。空を覆う雪雲に憂鬱な気分になってしまう自分が嫌だ。
 今なら、アルファが雨の日が嫌い。といいきる理由が分かる。

「マシロ? そこは寒いですよ。こちらにどうぞ、ホットチョコを淹れました。マシロ好きでしょう?」

 ぼんやりしていれば、ブラックが甘い香りとともにリビングに入ってきた。

「ありがとう」

 にこりと答えて、もう一度だけ空を仰ぐ。ちらりと舞い降りた一片の雪が目に付いてしまって眉間に皺がよる。
 身体が自然と硬くなって、立ち尽くしていると、ふわりと後ろから抱き締められた。

「ほら、部屋の中なのに身体が冷えてますよ」

 前に回ったブラックの腕に力が篭り、私は背にしたブラックに少しだけ体重を預ける。

 暖かくて落ち着く。
 種屋にいて、種屋主人と一緒に居て、落ち着くなんて感情を持つのは、シル・メシア広しといえども私くらいのものだろう。

 私が見ているものを確かめるように、ブラックも窓の外を見たのだろう。降り始めましたね。とぽつりと零す。

「マシロ」
「……んー?」
「雪が恐いですか」

 すりっと首筋に唇を寄せて問い掛けられると、吐息がくすぐったい。思わず肩を竦めた私にブラックはくすりと笑いを零す。

「恐くないよ」
「では、嫌い?」

 ちゅっと首筋を甘く噛まれて、ふわりと頬が熱を持つ。

「多分、嫌いじゃないと思う。分からないけど、今は平気」

 腕を伸ばしてブラックの髪の中へ指先を滑り込ませると、くしゃりと撫でる。
 指先に掛かる猫耳の軟骨が気持ち良い。
 ふふっと意図せず笑いまで出てしまう。

「ブラックが仕事を放り出してまで構ってくれるから、平気」

 愉快そうにそういった私にブラックはバツが悪そうに「そんなことは」と口にしたけど、朝から誰一人種屋を訪れる人が居ないというのは、まずない。

 週末だけど、これまでこんなこと一度もなかった。
 傀儡がうろうろしている雰囲気もないし、私は暇人だから日がな一日ぼんやりしているけれど、馬車も見かけていない。

 それに今はちょっと席を外してたけど、笑ってしまいそうなほど、ほぼブラックがべったりだ。

「折角淹れてくれたし、ホットチョコでも飲もうかな」
「ビスコッティもありますよ」

 さぁさぁと促されて私はソファに腰掛けた。
 甘くて柔らかな香りがカップから立ち昇り、可愛らしいバスケットには数種類のビスコッティが入っている。

「シナモンとアーモンド、あとは、レーズンです」

 私がカップを持ち上げた隙にソーサーに一種類ずつ乗せてくれる。

 すごーく美味しそうな香りに焼き具合。
 浸して食べても絶対合う組み合わせだと思う。

 お腹まで反応して、ぐぅと鳴りそうだ。

「私ね、ブラックと四六時中一緒に居たら雪だるまみたいになると思うんだ」
「そうですか?」
「そうだよ! 大体ブラックの作るものに外れはないしさ……」
「ありがとうございます。けれど、雪だるまは困りますね。マシロが溶けてなくなるのは勘弁して欲しいです」
「溶けてなくなればまだマシだよ」

 ぶつぶつと悪態を吐きつつもやっぱり食べる。
 だって本当に美味しい。
 そのままのさっくり感を楽しむのも良いし、ホットチョコを絡めて少ししっとりした感じもまた……ていうか、太るだろうこんな生活が毎日になったら。

 考えただけでも恐い。

「マシロは幸せそうに食べますよね。作り甲斐があります」
「う、ありがとう。……って、ブラックは私にしか作らないじゃん」
「ああ、そうでした」

 ふふっとお上品に笑うブラックの口に、ぱきんっと口で半分に割った残りを「あーん」と放り込む。

 素直に食べてくれるところが可愛い。
 もぐもぐしてるときは微妙に耳が揺れている。
 凝視してしまうと居心地悪そうにするからやめようと思うんだけど、無理だよね? だって……ぷふっ。

 ブラックだって十分に幸せそうだもん。

 私の視線にやっぱり居心地を悪くして、少しだけ斜めに座りなおし紅茶を飲む。

 はぁ、今度は動いてくれたから尻尾まで視界に入ってしまうんですよ、ブラックさん。
 貴方は私をどこまで悶えさせるつもりなんですか。と、私が明後日なことを考えている間に、ブラックは「それに」と話を続ける。

「マシロは自分に厳しいので、そんなにふくよかになったりしないと思いますよ? 私が良いといっても、きっと、ね」

 だから私がマシロに甘くするのは問題ないでしょう? と丁寧にカップをソーサーに戻してにこり。

 ……あ、ごめん。尻尾見てました。

「えっと、うん。ありがとう」
「……聞いていませんでしたよね?」
「え、えーっと、うん。聞いてたよっ!」

 ブラックが不機嫌そうに眉を寄せて、再びこちらに向いて座りなおしたので、尻尾が逃げた。
 思わず「あ」と声を漏らした私にブラックは「なんですか?」と妖しく微笑む。

「い、いえ、なんでもございません」
「マシロは私の尻尾と耳にしか興味がないのですか? 獣族なら誰でも良いのですか?」
「め、滅相もないです」

 近いです。
 近いですブラックさん。
 本当にすみません。

 ずずいっと距離を縮めたブラックから逃げるように、腰を引いたけど、直ぐにこつんと肘掛にぶつかる。
 ぶつかった肘掛にブラックの手がかかり、簡単にブラックの腕の中に捉えられてしまった。
 あははー、と乾いた笑いを浮かべて視線を逃がせば、ふと窓の外が目に付いた。

「……本格的に降りだしたね? 積もるかな……」
「―― ……」

 ぱくっ。

「ちょっ!」

 人が真面目に零したのに、首筋を噛むからびくりと過剰反応した。そんな私にブラックは少しだけ顔を上げて鼻先が触れそうな距離で可愛らしく首を傾げる。

「何かいいましたか? 聞こえません、聞いていませんでした」

 なんて憎らしいっ!
 なんてちっちゃな仕返しだっ!

 ふわっと顔が高潮するのが分かる。
 今度はそんな私の頬に唇を寄せ、そのまま、唇の端まで舌を這わせて軽く食み、柔らかく吸い付く。

「……ん、くすぐったい」
「くすぐってるんです。それにマシロ、凄く甘い」

 それは今ホットチョコ飲んだからだよ。分かってるくせにわざわざ口にするんだから私の羞恥心を呷っているとしか思えない。

「美味しいです。もっと、味あわせてください」

 抗議を重ねる隙もなくそのまま舌が割りいってきて、本当に食べてしまうように動いて吸う。

「―― ……ん、んぅ」
「ん、っ……ぁ雪……」
「……ぇ……?」

 深く強く口内を犯して堪能したのか、驚くほど可愛らしく啄ばむキスで少しだけ距離を取り、さっきの私と同じようにブラックは外を見る。

 軽い酸欠で、ぼんやりしつつ私も同じようにその先に視線を泳がせる。けれど背もたれが邪魔になって窓は見えない。

「積もらないですよ。ここは辺境なので、降るときにはかなり降りますけど……でもどんなに豪雪が大地を覆おうとしてもここは積もりません」
「―― ……?」

 いっている意味が分からなくて、私は伸ばした腕の先でブラックの頬を、つぅと撫でる。その所作にあわせてブラックは私のほうへ視線を戻すと、綺麗に瞳を細めて微笑むと、同じように私の頬を撫でた。

「私は寒いのが嫌いなんです」
「……ふふ、何それ」

 どこまで本当か嘘か知らないけれど、どうやら、辺境の町に雪は積もらないらしい。
 少なくとも私がここに身を寄せている間はそんな心配しなくて良いみたいだ。

 相変わらず、ブラックは変な気のまわし方をする。
 やっぱり私はそんなブラックだから好きだ。

 肘掛に腕を掛けて私が身体を起こすと、ブラックも座りなおしてくれる。

 やっぱりまだ外はどんより。白い綿雪がちらほらり……

 雪が降り始める直前の空を見上げると、あの日の痛みを思い出す。
 肉体的な傷は跡形もなく消えてしまったというのに、どこが痛いというのか分からない。

「とりあえず、先ほどの続きをしたあと何をしましょうか?」
「……とりあえず、さっきの続きは夜にしよう」

「え?」
「何?」

「―― ……ぃぇ……」

「何でそんなに不服そうなのよ」

 耳を下げても駄目です。外は薄暗くてもまだ日中ですからねっ!
 いくらなんでもそんなに怠惰な休日は過ごせませんっ! 過ごしませんからねっ!
 だから耳を下げるな!

 べたべたと抱きついてくるブラックを引き剥がしつつ、私には雪を気にするほどの余裕がない幸せを改めて感じた。





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