種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種83『暇つぶし係』

「―― ……マシロさん」
「うん」
「何しているんですか?」

 今日は本当に暇だった。物凄く暇で、誰かに遊んでもらおうと思ったのに、こういう日に限って誰も居ない。
 誰もといういいかたは間違っているけれど、喜んで相手してくれそうな人が居ないという意味だ。

「暇なんだよねー……」
「なるほど、それで?」

 だからわざわざラウ先生の研究室(ラボ)まで足を運んだ。ラウ先生はこのところ不在のことが多く今日もそうだったから、気兼ねすることなくシゼで遊ぶことが出来る。

 研究室の平台の上に本とか資料とか山ほど並べて埋もれているシゼの背後からシゼの髪で遊んでいた。
 今は丁度、編みこみでカチューシャを作っていたところだ。
 シゼの髪質はさらさらしていて、正直編むには向いてない。向いていないけど、まあ、なんとなく手持ち無沙汰は解消される。

「ん、もう直ぐ可愛くなるからね」
「……僕が何をしているか分かっていますか?」
「うん。なんだか良く分からない調剤方法の新規格、がどうたらこうたら」

 最初に入ってきたときに、―― ……をしているから邪魔だといわれたのでちゃんと覚えている。
 私はそんなに馬鹿じゃない。

「手伝いになるとは思いませんけど、手伝う気はないのでしょう?」
「うん」

 だって、ちらちら書き綴っている内容を窺っているけど、私にはさっぱりー。
 私なんて上級階位試験資格を得た程度だ。
 最上級階位にて研究しているシゼと同じ内容を理解しろというほうが無理だ。

 まあ、百歩譲って手伝っても良い。
 もちろん手伝っても良いけど、何もさせてくれないのがシゼだ。

 私のきっぱりとした、返事に「―― ……ぅん、って」と呆れたように唇から零してがっくりと項垂れる。

「ああ、頭下げちゃ駄目だよ」

 本当に邪魔ならその程度の私の抗議無視すれば良いはずだけど、シゼは根が良い子なので素直に頭を少しだけ持ち上げてくれた。

「マシロさんと遊んでいる暇はないんです。そんなに髪が気に入ったのなら適当に切って持っていってください」
「……え」

 シゼの大胆発言に握っていた手が緩んでするすると私の指先からシゼの髪が滑り落ちてしまった。
 あぁ、と思ったけど、さらさらストレートの髪は何事もなかったように元の位置に戻ってしまう。

「大体、マシロさんも髪は長いのですから、ご自分の髪で遊べば良いでしょう」

 僕は忙しいといっているのに、とぶつぶつ。

「えっ! 私は坊主にはしないけど」
「……どこまでも遠慮のない人ですね」

 あ。切って持っていけという発言に、切るイコール坊主になってた。そして、シゼの坊主頭を想像して笑って良いのか、顔を逸らしたほうが良いのか迷っていたところに重ねられたから、少し脳内思考が洩れた。

「もう、坊主でも何でも良いですから……はさみはあっちの薬品棚の下段の引き出しの中とか……あとは、奥の作業場の……」
「いぃぃいやいやいや」

 面倒臭そうに、ペンの柄ではさみの場所を指しながらそう続けるシゼに反射的にストップを掛ける。

「良くないでしょ。だ、大体、こんな綺麗な髪にそんな無茶出来ない……というか、シゼは髪型に拘りとかないの?」
「ありません、そんなもの」

 うわー……あっさりだ。私の方が焦るよ。

「切りすぎたと思えば、薬で伸ばせば良いでしょう。理髪店にはその手の薬剤が常備されていますし、そんなに気にするような問題ではないと思います」

 ……そーなんだぁ……。

 ファンタジー世界は本当になんでもありなんだなぁ。美容院に行った帰りにこんなはずじゃなかったとぶつぶついう経験はシル・メシア人には有り得ないのか。

「ああ、ですが……人が一生のうちで髪が伸びる長さも決まっているという説がありますから、あまり頻繁に使用することはお勧めできないんですよね。そういうのってどうやって検証していけば良いのでしょう? やっぱり被験者を求めて……いや、でも、これまで誰もやろうとしなかったということは被験者になってくれるような方が見つかり難いということでしょうか……実証されたときには、きっと頭皮しか残りませんよね……でも、ハッキリさせるだけの価値もあるような気もします。だとしたら一人目の被験者は発案者である必要があるのか……」
「シ、シゼっ!」

 思わずがっつりシゼの頭を掴んで、ガクガク揺すった。

「ちょっ、ちょっ! やめ、やめてくださいっ」

 半悲鳴が上がって私は手を止めた。ぐらぐらする身体を机で支えて恨みがましい視線を向けられる。

「だ、だって、シゼ、遠くに行きそうだったんだもん」

 真面目なのはシゼの良いところだけど、変なところへと探究心が向くと割りと暴走特急だ。四方(よもや)やシゼが髪の毛ネタにそんなにがっつり食いつくと思わなかった。
 研究者の性ともいえるらしいけど、そんなもの発揮しなくてはいけない会話なんて今一切なかった。

「僕はどこへも行きませんよ」

 微妙にむっとして顔を逸らしたシゼは、ごにょごにょとそう告げる。

「だ、大体、暇で仕方ないのなら、種屋店主殿にでもお願いすれば良いでしょう? 彼なら二つ返事で貴方に付き合うこと請け合いです」

 ぶつぶつと当初の作業に戻りつつ、シゼは面倒臭そうに口にする。
 私はその隣りの椅子に腰掛けて、うーんと短く唸った。

「まあ、そうだと思うよ。思うけど、そんな我が儘いったら駄目だと思わない?」
「……それはここでならいっても良いと思っているということですよね」
「あ。いや、そんな」

 うん。思ってるね。確実に私思ってます。
 ブラックが喜んで私の暇つぶしに付き合ってくれるのは、良く分かるんだけど、なんというか、ブラックは自分のことそっちのけで、私の相手をしてくれる可能性が高い。そうなると、なんとなく申し訳なく思ってしまう。

 シゼなら、嫌というし――私がそれを受け入れるかどうかは別として――駄目なものは駄目だというだろうから、そういうところに遠慮はない。

 今も心底呆れたという風に嘆息して、再びペン先が動き始めた。
 まだ、夕時までには時間がある。



 ***(シゼ視点)



「そっちの端にある資料を取ってもらえませんか?」

 かりかりとメモを取りつつ、そういって片手を振っても返事がない。
 今、手を止めるのが嫌だったから声を掛けたというのに、はあ、と短く嘆息して顔を上げたら

「―― ……マシロさん?」

 貴重な資料の上で転寝している。
 腕の隙間から覗く資料のタイトルを追えば、今、僕が必要としていたそれだ。

 大人しくなったと思った。

 本当の本当に暇だったんだなぁと妙に納得してしまった。
 エミル様は、マシロさんは僕のことを気に入っているからちょっかいを出すのだといっていたけれど、そんなことはないと思う。

 多分、マシロさんにとって僕は、ただの暇つぶしだ。

 その証拠に、マシロさんは誰も居ないというときしか僕の元を訪れない。
 確かに寮棟からこの研究棟、特にこのラウ博士の研究室までは遠いし、普段、用もないのに訪れるような楽しい場所ではないこともわかっているけど。

「……ん」

 机上に載せた腕に額を擦り付けて唸るから、起きたのかと思ったけど、寝なおしただけみたいだ。
 その動きに合わせて前に流れてきた髪が、マシロさんの表情を隠してしまう。

 何気なく腕を伸ばしその先で、マシロさんの髪を梳きそっと耳に掛け後ろへ流す。しっとりと重く艶やかな髪はその動きに合わせて光が泳いでいった。
 僕の髪なんかより、余程綺麗で心地良いと思う。

 さっさと目を覚まして、さっさとその下敷きにしている資料が欲しいところなのだけど、無理に起こすまでではないかと諦めた。

 眠いなら自室で寝れば良いのに、どうしてこんな所に居座り続けるんだろう。
 こんな薬品臭い様なところでよく眠れるなと思うけれど、マシロさんがそんな繊細な感覚を持っているとも思えないし、僕が知っている女性といえば陽だまりの園の子どもたちくらいなものだから、一般的な女性の感覚は分からない。

 ―― ……根本的に、この人が基準というところに、問題があるのかも知れない。

 ふとそんな重大なことに気がついた。
 ぼんやりとマシロさんの横顔を眺めながら、いつ淹れたんだっけ? という冷たいお茶を口に運ぶ。

「起きそうにないなぁ……」

 可愛い顔して寝ている。

「っ」

 脳裏に過ぎった”可愛い”なんて単語に、かぁっと身体が熱くなった。ば、馬鹿馬鹿しい。と慌てて顔を逸らしたけれど、じりじりとゆっくりもう一度隣りを見る。

 可愛いといったって、マシロさんは僕より幾つも年上で、本当ならそんな風にいうのは間違っている。
 間違っているとしたら何だろう、綺麗とか、美しいとかいうのかな?
 マシロさんに? 思わず噴出しそうになるのを堪えた。

 やっぱり、可愛いくらいが丁度良い。

 そう納得すると、なんだか胸の奥が暖かく、柔和な気分になった。そっと手を伸ばし指の背で頬を撫でる。
 肌理が細かくて柔らかい。
 もう少しちゃんと感じてみたくて、手のひらを返し、ゆっくりと触れる。起きそうにない。

 こんなところで熟睡できる神経ってどうなんだろう。

 もともと危機感も警戒心も薄い人だとは思っていたけれど、僕はそんなに安全圏の男なのだろうか? うちの弟も可愛くなくて……とどこか楽しげに口にしていたことを思い出した。

 ―― ……弟か、

 マシロさんにとって僕はその弟というのと同じ位置関係なのだろうな。それを面白くないと思ってしまうのは間違っている。
 そう行きつくと暖かくなった胸の奥が急に冷えて冷たい鉛を飲み込んでしまったような気分になった。

 どうして僕がこんな思いをしなくてはいけないのか分からない。
 いつも、いつもこの人は僕の調子を狂わせて、困らせる。大体現在進行形で迷惑を掛けられているんだから……もう少し、近くで触れても良いかな?

 なぜこのときそんなことを思ってしまったのか、起きたらどうしようと思わなかったのだろうとか、自分でも不思議だったけれど、そう思いついてしまったら実行しないといけない気になってしまう。

 鼻先が頬に触れそうなほど近くに寄っても、心地良さそうな寝息は変わらない。

 無防備すぎる。

 緩やかに弧を描く血色の良い頬。
 髪から香るのか甘い花のような香りがふんわりと鼻腔を擽った。

 良い香りだなとか、舐めたら甘いのかな? とかそんなくだらないことを考えつつ、何気なく目を閉じたのとマシロさんが少し動いたのが重なって、ふわりと唇に頬が触れた。

「っ!!」

 慌てて口元を覆って身体を離す。
 鼓動がドキドキとうるさい。本当にうるさいっ。

 身体が熱い!

 がたんっと立ち上がって、締め切っていた窓を開ける。

 へ、部屋の温度が上がっているから身体が熱いんだ。

 ばんっと少し乱暴に開け放った窓からは、そよそよと、吹き込んできた。しかし風は突然大きくなって机上を乱していく。

 慌てて窓を閉めたけど遅い。

「―― ……何をやっているんだ」

 窓枠に手を掛けたまま、がっくりと項垂れる。
 そうだった今日は風が強いからと窓を閉めたんだ。

 長嘆息したあと振り返り、窓枠に背を預ける。マシロさんは紙に埋もれていた。流石に起きるだろう。

 どうしてだか、僅かに名残惜しく感じて、そっと唇に触れた。
 甘いかどうか分からなかった。

 ―― ……ばさばさばさ。

「……これは、何の嫌がらせデスカ」

 やっぱり起きた。
 落ちる紙を気にすることなく、むくりと起き上がったマシロさんは不機嫌そうだ。

「暑そうだったから窓を開けたらこうなりました」

 そのままを告げればきょとんとされた。

「―― ……シゼらしくないね。どうしたの?」

 ごしごしと目を擦りつつ、堕ちてしまった紙を拾い集めるために立ち上がり床に膝を落としながらそんな風にいわれる。
 僕らしいってどうなんだろう?

「こうやって、散らかったものを片付けるなんて効率悪いでしょう。シゼなら散らかさないようにが最優先されそうだと思ったの」
「……僕はそんなに出来てないです」

 ぶすっと口にすれば、マシロさんは顔を上げてにこりと笑う。面白いところなんて微塵もなかったはずだ。

「良いよ。大丈夫。私が手伝ってあげるから」

 穏やかにそう告げられて、僕の顔はまた赤くなってしまった。
 運良く、直ぐにマシロさんは拾った紙をとんとんと整えるために顔を逸らしたので見られなかったと思う。

 僕も何枚か落ちてしまっていた紙を拾って机上に戻れば「順番はあとで確認してね」と積まれていく。
 本当に凡ミスで余計な仕事を増やしてしまった。

 はあ、と嘆息し、作業を続けるマシロさんを盗み見る。
 現実主義で、決して夢想家ではないと思っているけれど、彼女を見ていると僕まで”美しいとき”なんて幻想を抱きそうになる。
 凄く馬鹿げていると哂いたくなるのに、どこか暖かく心地良い気分になるのはどうしてだろう。

「―― ……あ」
「どうかしましたか?」
「あー……あぁ、いや、その……えーっと、使わない資料もある、よね?」

 ごにょごにょとハッキリしないようなことを口にするマシロさんに歩み寄って、なんですか? と問い直す。
 必要なものを選り抜いてきたのだから、使わないものは多分ないのだけど……。

「全部使いますよ。必要だから集めたんです」
「え。そ、そうなの?」
「だから、どうしたんですか? ページが抜けていましたか?」
「い、いやぁ、なんていうかその……」

 物凄く気まずそうにもじもじそういうと、マシロさんは机上に残っていた束に手を乗せて隠そうか、出そうか迷っているみたいだ。

「ご、ごめんね! よだってた」
「―― …………なっ……」

 ……この人が聖女なんて絶対に嘘だ。



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