種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種73『お茶を一緒に』

 ―― ……コンコン

 主の居ない部屋の扉がノックされる。もちろん返事がないのが普通だが、この日は留守番が居た。

「……あれ? 居ないのか」
「居ますよ、私が」
「いや、ブラックに用ないし」

 ノブを捻れば鍵が掛かっていなかったからか、返事もないのに扉を開けたのはカナイだ。
 そのカナイに特に気分を害するでもなく、ブラックは一人でぼんやり飲んでいたお茶を続ける。

「マシロなら、直ぐに戻ると思いますけど……なんです、その本」

 脇に抱えてきていた年季の入った書籍にブラックは眉を寄せ、カナイは部屋の奥に進みいりながら「これ?」と軽く持ち上げた。

「今度のレポートに必要そうなやつ、だろ? 知らないけど、そこでカーティスさんに預かったんだよ」
「そう、では、預かりますから、仕事に戻ってはどうです」

 忙しいのでしょう? と席を立ち手を伸ばしたブラックに、カナイは「良いよ、待ってるから」と本を後ろに回した。

「それなら、素直にマシロの顔を見に来たといえば良いでしょう」

 面倒臭い人ですね。と呆れたように溜息を溢して、座りなおすと空いたカップにお茶を注いだ。飲みますか? と声を掛けられてカナイは「は?」と虚をつかれてしまう。

「要らないなら良いですけど」
「へ? あ、ああ、貰う……さんきゅ」

 よもや、種屋店主に茶を勧められる日がこようとは。
 カナイは、苦い笑いを噛み殺して空いた椅子を引いて座った。

 ふわりと柔らかい香りが辺りを包む。

 物凄く今の状況に不似合いだとカナイは重ねて思いつつ、長嘆息した。

「……品種改良、ですか? 中級階位の範囲なのですね」

 テーブルの上に置かれた本のタイトルを目で追いつつ、ブラックは感心したように呟く。

「ん、ああ……って、そうか、お前学園回ったわけじゃないんだよな」
「優秀ですからね」

 本来十年以上かけて、一つの学を納めるものだがブラックのような種屋になるべくして生まれてしまった獣族はその限りではないのだろう。

 ブラックが口にする“優秀”という台詞は間違いではないはずなのに、自分で自身を揶揄しているようにしか聞こえない。

 カナイは曖昧に微笑んで「拗ねるなよ」と溢しカップに口をつけた。

「拗ねていません。ただ、事実を述べただけです」
「……分かってるよ。分かってる……お前は規格外、なんだよな?」

 苦々しくそう溢すカナイをブラックは不思議そうに見やって「含みますね?」と首を傾げた。

「別に……ただ、痛感したんだよ。ハクアの封環を展開したときに」

 常人がするような技じゃないってな……続けたカナイは、出てくる溜息をティーカップに吹きかける。

「褒めそやしたくなったのですか? それとも畏怖を感じた? それこそ今更……」

 鼻で笑ったブラックに、カナイは肩を竦める。

「敵わないなと思った。だからといって恐いわけじゃない。当たり前のことを当たり前に認めただけだ」
「なるほど、私は種屋ですからね……とはいえ、貴方だって解放したでしょう」
「それは答えをもってたから」

 どこか苦く、苦しげに漏らすカナイに気がついていないわけはないだろうが、ブラックはそれに触れることなく話を続けた。

「あの構築式を展開したとき、とても美しかったでしょう? 解放する鍵を弾いていると音楽を奏でるように流麗な煌きを見せる」
「そんな余裕ねーよ。解放箇所を探すだけでいっぱいいっぱいだったんだ」
「そうですか? それは、残念。ああ、本当に、残念です……ですが」

 ―― ……貴方の頭には残っているでしょう? 逆を辿る構築式が……

 ふぅっと妖しげな笑みで告げるブラックに、カナイは「そんなもの……」と眉をひそめたが、その瞬間、あのときの赤く浮かび上がる美しい法陣が脳裏に浮かんだ。

「……あった」

 驚きに瞳を瞬かせたカナイとは対照的に、ブラックは満足げに笑みを浮かべて、ゆるりと流れるような動きで組んでいた足を組み替えた。

「ありますよ。貴方の頭が忘れるはずはない、貴方の素養が逃がすわけない。正確に組み起こすことは現段階では無理でも、同じ手順の解放は出来るはずです」
「―― ……」
「……なんですか?」

 無言でカナイに見つめられ、居心地を悪くしたブラックがそう眉をひそめれば、カナイは逡巡したあと

「お前って、結構、俺を買ってる?」

 ぼそぼそ、ごにょりと口にして、勝手に頭を振り「いや、やっぱりさっきのなし!」と騒いでいる。その様子にブラックは首を傾げたが、特に問題ではないというようにあっさり答えた。

「買ってますよ」
「へ?」
「買っています。魔術系で貴方以上に使える人間は居ないでしょう? ヴァジルのあとを継げるとしたら、貴方くらいだとも思っています」
「―― ……それは嫌だ」

 ブラックの続けた台詞に、カナイは眉を寄せ複雑極まりないといった不愉快そうな顔をする。

 その顔を見るブラックは楽しそうだ。

 それに気がつくことも出来ずに、カナイは口の中で「それは嫌だ」「絶対に嫌だ。俺不幸すぎる」とぶつぶつ。
 そんなカナイにブラックはさらりと口にする。

「ですが、好きでしょう?」
「は、何が?」
「魔術系の話です。大聖堂の学長がどうという話は、どうでも良いですが」

 その一言でカナイは突き落とされたのに、あっさりだ。そして、非常に愉快そう――カナイには幸福そうにも見えた――に続ける。

「私は何でも出来ますけど、実は魔法具を造るのが一番好きです。好き……そう、最近気がついたのですけどね? マシロがその気持ちを教えてくれたので、気がつけた。魔法具に刻む構築式……文字列を描くと、無秩序に並んでいるようにも見えるものも、そうではなく理路整然と在るべき場所に在りその役目を果たす。何か一つ間違えば、望みの効果は得られない」

 まるで、この世界の人間のようでしょう? と続けた表情はとても酷薄なものに見えたが、恐ろしいとか寒々しいとは感じない。

 物憂げでは在ったが穏やかだ。

 とても、世界の闇を一人で負わされているはずのものとは思えない。
 カナイ自身ブラックと同じ問いに思案すれば、当然…… ――

「俺も、好きだ」
「え?」

 ―― ……え?

 ブラックは正面だ。
 声は背後からした。

 がたんっ! と派手に椅子を鳴らして立ち上がったカナイは、全く気がつかなかった気配に真っ赤になっておろおろする。

「ご、ごめん。もうちょっと遅く帰ったら良かったよね。お、お邪魔しました」
「ち、違う! 違うだろっ! いや、だから、好きっていうのは」
「大丈夫!」
「何が大丈夫なんだよっ! どこを、どう誤解してるんだよっ! 俺はただ」

 ひょっこり戻った部屋の主にたじたじだ。
 お前も何とかいえよっ! と責められてブラックはくつくつと笑うと

「すみません。私はマシロが好きです」
「そーじゃねぇだろっ!!」

 もう良いっ! ちゃんと届けたからなっ! と机上の本をぱんっと叩いて、カナイはぷりぷり部屋を出て行ってしまった。マシロはその後姿を見送ってから、お留守番に目を向ける。

「退屈だからって、カナイで遊んじゃ駄目だよ」
「カナイって迂闊ですよね」
「それは良いところなんだと思うよ?」

 さらりと口にしたマシロに、ブラックは大した感情の変化も見せず、ふーん……と溢して「まあ、面白いところですよね」と、纏めた。
 そして、直ぐにどうでも良いというふうに、ああ、前後しました。と微笑んで、立ち上がる。



「おかえりなさい。お茶にしましょうか?」






 


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