種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種72『欠けた月』


 ―― ……ぐっ

 ようやく……ようやくこの手に戻った。

 本当ならばこの建造物。そして、このくだらない余興に集まった全てを消し去っても腹の虫は治まらない。

 マシロ以外残さず綺麗に消し去ってしまいたかった。

 正直、エミルたちの言葉に関係なく、そうするつもりもあったのに、マシロを腕に抱いたらその程度のことどうでも良くなった。彼らが生きながらえようと、死に絶えようと、私の知ったことではない。

 マシロさえ。
 己の半身さえ戻ればそれで良い。

 虚ろに揺れるマシロの瞳に我が身が映る。そう、己の姿をマシロの瞳に見ることが出来るほど近くにある。

 ―― ……ああ

 取り戻した喜びに心が震える。
 騒ぎに乗じてアルファが集まっていた信者や民間人を解放した。

 解除法を教えたというのに、手間取っていたのか遅れたハクアとカナイも追いついた。エミルもこの場に着いたのなら、もう私たちはこの場に、必要ないだろう。

 精神的に疲弊してしまっているマシロを一時でも早く休ませたい。
 暇を告げることなくその場をあとにした。


 ***


「―― ……僕が、ですか?」
「貴方なら出来るでしょう? 私はマシロの傍を一時も離れたくない。足りない材料があるのならば声を掛けてください。直ぐに用意します」
「……あ、いえ、恐らく」

「恐らくでは駄目です」

「材料確保も可能です。大丈夫。生成出来ます」

 あらかじめ王宮から呼び戻しておいたシゼに、解毒剤の生成法を記載したメモを渡す。
 本来なら自分で何とかしたいところだけれど、実際に診てみないとハッキリしたことが分からなかった。
 そして、ハッキリしてもマシロの傍を離れるのは憂わしく間々ならない。傀儡も考えたけれど、それよりはシルゼハイトの方が上だろうと判断した。

 ばたばたと、慌しげに部屋をあとにしたシゼの気配が遠ざかってからマシロの傍へと戻る。

 そっと手を握り、忌々しい傷跡に唇を寄せる。この程度のもの、何事もなかったように消し去るのは簡単なことだ。けれど、傷を負ったときの痛みと苦しみを思うと胸が苦しい。
 代わることが出来るのならばどれほど良いだろう。

「―― ……マシロ」

 苦しげに寄せられた眉間のしわに口付ける。

 早く、早く目を覚まして欲しい。
 戻ったのだと、安堵して欲しい。
 ただいま。と、微笑んで欲しい。

 自分がこれほどまでに他人に何かを望む日が来るとは思わなかった。他人? いや、半身だった。

 マシロが居ないと、自我を保つことも呼吸をすることも億劫になる。
 マシロがどこかで苦しんでいるかもしれない。そう思うことが唯一の原動力になっていた。

 何度かマシロの手を撫でれば、肉芽は綺麗に消え去った。
 心の傷も同じように早く癒えれば良いのだけれど。

 短く溜息を落として、首元にも触れる。

 マシロは私を怨んでいるだろうか。
 見つけ出すことにも手間取り、迎えにもいけなかった。いっそ忘れてしまったほうが楽だと、苦しすぎるからと心を閉ざしてしまった。
 薬が体から抜ければ自然と戻ってくるだろうけれど、そのときの思いは残るだろう。

 許してもらえるだろうか……。

 ―― ……ふ

 自嘲的な笑みが漏れる。
 マシロが許さないわけない。

 そう思うと安堵するのに、少しだけ複雑な気分になる。マシロは私でなくても許すだろう。
 それが分かっているからだ。
 私の唯一の特権など、より深く傍寄れることくらいだろう。だからこそそれを早く行使したい。

 そして、どこからやり直しをしなければならないのか知りたい。最後に種屋を出たところからやり直せばこの悲劇は起きなかったのか、それとも、私が戸惑わなければ、良かったのか。

 きっと、後者であることは分かっている。

 私の弱さがマシロに不安を生んでしまった。
 可哀想なマシロ……不憫で、労しい……。

 どうして、マシロは全ての災厄から逃れるために囲われることを拒むのだろう。こんな痛み、負うことはなかったのに。
 マシロさえ望んでくれれば、私はいくらでも干渉し、どんな小さな痛みからもマシロを守ることが出来るのに。

 ベッドの隅に腰を降ろし、そっとマシロを抱き上げる。

 声にならない音を微かに発したあとは、ただ静かにされるがままになる矮小な身体。頼りなげな四肢を全て包むように抱き締めて頬を寄せた。

 ねぇ、マシロ。

 貴方の苦しげな夢に、私は出てきますか?
 私は、貴方を助けることが出来ますか?

 貴方はまだ月が二つで良かったと、そう、いってくれますか?

 


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