種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種71『月に見る夢1』


「エミル……」
「うん。平気……マシロの方はどうかな?」

 レニ司祭を乗せた馬車を見送って、誰も居なくなった説教台に背中を預け、教壇の上から空を仰ぐ。
 さて、この後始末はどうしたものかなと、思っていたところへカナイが戻ってきた。

「マシロは、なんか薬を飲まされてたみたいだから、それが抜けたら問題ないってさ。あっちは天下の種屋さんがついてんだから問題ないだろ」

 冗談めかして肩を竦めるカナイに、確かにと苦笑する。
 残念ながら、僕らが何かと騒いで気を揉むよりも、ブラックに預けておくのがマシロにとって最善だろう。

 人一人殺めるのと同じくらい簡単に、救う術も心得ている。
 生と死に垣根がないのは種屋くらいだ。

「カナイ、ここ、直しといてくれる?」
「え、俺一人で?」
「他の補修には人手を割くけど、ここはそこらの術師では無理じゃない? 天井の壁画なんて……基絵があってもちょっと心配かな」

 あまりここに通った記憶はないから、細かなつくりは覚えていないけれど、この礼拝堂の壁画と硝子は良く覚えている。ただ、素直に美しいと称賛できるものだった。
 あれを永遠になくしてしまったり、別のものになってしまうのはとても残念だ。

「―― ……分かった。図書館から創設時の資料を引っ張ってくる」
「うん。ありがとう」

 渋々といった体では合ったけれど、カナイはもともと厄介な仕事が嫌いな性質ではないから、それほど不愉快には感じていないだろう。
 そのまま図書館に戻るのかと思ったら、まだそこにいるカナイに首を傾げる。

「どうかした?」
「いや……」

 気遣わしげにいい淀む姿が可笑しい。

「平気だよ。今はラウに任せてあるから、明日には王宮に戻る。最初から覚悟していたことだよ」

 それにマシロの望みを叶えたいと思えば、図書館で安穏と生活しているわけには行かない。僕も動くときが来た。それだけだ。

「無茶、するなよ」
「―― ……うん。みんなには迷惑掛けないよ」
「そうじゃなくて! そう、じゃなくて、だよ」
「―― ……うん。ありがとう」

 気がつけば、僕の周りはシル・メシアでは異質なものばかりが集まっている。彼らは皆一様に僕を心配してくれる。

 僕、個人を……

 器を気に掛けるなんておかしな話だ。マシロの影響かもしれない。
 あまり納得している風ではなかったもののカナイは僕がもう少しここに居ることを告げると、先に図書館へと戻っていった。

 ―― ……アルファが迎えに来るから。

 と付け加えられたときには流石に苦笑したけれど、僕はそういう立場なのだろう。今はまだ、信者たちも動揺しているから動きはないが、また日が昇れば騒ぎ出すはずだ。
 理由はどうあれ、レニ司祭を投獄し、彼らにとって心の拠り所であるこの場所を破壊したのだから。

 ただでさえ、王宮に良い感情を持っていないものも多いだろうこの場所での騒動は、本当なら避けたかった。

 形が残っているだけまし。
 ブラックならそういいそうだけど、出来ればもっと穏便に済ませて欲しかったもの本心だ。

「ま、無理だろうけど」
「何が無理なんですか?」

 これ、ひっどいですねー。と、改めて見る礼拝堂の中を瓦礫を飛び越えながらやってきたアルファは、僕の前でいつもと全く変わらない笑顔を向けた。

「んー、ブラックだよ」
「あー……えーっと、すみません。一応、被害は最小限に、と思ったんですけど、あの猫、凄い瞬発力で……」

 僕の力不足です。としょぼんと項垂れるアルファに苦笑する。あれを止められるのはマシロくらいだ。誰もアルファを咎めたりはしない。
 本当、民間人への被害も最小限に出来たと思う。それだけでも、褒められるべきことだ。

「アルファは良くやってくれたよ」
「でも、ゼロは無理でした。きっと、マシロちゃん悲しみますね」
「出来る限り伏せよう。直接知らなくても良いことだ」

 当然のことのようにそう告げれば、アルファは、そうですね。と二つ返事だ。アルファ的には汚点は隠したいというのもあるのだろうなと思う。
 騎士素養に長けているアルファは、傍で見ている以上に誇り高く落ち度に敏感だ。仕方のないことをそうと受け止めることは出来ない。

 誰よりも真面目で、真っ直ぐだ。

「そろそろ帰りましょう。寒いですよ。風邪引いたら、あとに響きますよ?」

 ワザとらしく腕を抱いて身震いしたアルファに笑った。

「うん。そうだね……帰ろうか」


 ***


 翌朝直ぐに、マシロの部屋を叩いた。
 誰も出てはこないけれど、鍵も閉まっていない。
 種屋は種屋らしく、僕に免罪符を渡そうとする……僕が受けるはずないことくらい分かっているのに。

 ここで過ごしてきた今までの時間は確かに惜しい。
 出来る限り続けば良いと思う。

 良いと思うけど、そう出来ないことを、僕も、そして、ブラックも良く分かっているはずだ。
 素養の解放はとてもあっけなく、何かが変わったという印象はない。

「マシロ、大丈夫?」
「ええ、直に目を覚ますと思います。……待ちますか?」

 少しだけ驚いた。驚いたのと同時に笑いそうになった。種屋が、闇猫などといわれるブラックが、気を遣っている。

 この僕に……。
 
 僕の心内が読めたのだろう。ブラックは、不機嫌そうな顔をして「さっさと、王宮へ向ってください」と告げて、マシロの傍へ戻った。
 本当の本当に、マシロって偉大だ。


 図書館を出る途中でカナイに出会った。

「なんとかなりそう?」
「誰にいってるんだよ。出来ないわけないだろ」

 埃臭そうな古い本を抱えて大仰にそういって見せるカナイに微笑む。

「あ、そうだ」

 そのまま先を急ごうとして、ふと足を止めた。 

「次の場所なんだけど」
「いーよ。お前のいるところだろ。直ぐ分かる」
「え」
「夜には一旦報告に行く。それまで精々あいつらに印象付けておけ」

 いってこつんっと額を弾かれた。
 僕が図書館にいれば、素養もないのに図書館に……王宮に戻れば、王宮勤めを嫌がるくせに王宮に……本当付き合いの良い。
 零れた笑いを隠すことなく「分かったよ」と頷いて別れた。

 図書館の前に待たせていた馬車に乗って、先日までの雪が嘘のように上がってしまった空を小さな窓から見る。

 ―― ……さて、代わりは誰にさせるかな。

 そんなことを考えていた。

 そう、このとき、ただ一つだけの変化は……これまでが続かないことを惜しいと思わなくなったこと、それと…… ――。


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