種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種70『月の歯車3』

 振り仰いでも、薄灰色の天井しか見えない。牢と呼ぶには余りに綺麗に整えられている。待遇の良し悪しは、放り込まれるのが初めてだから分からないものの、粗悪というわけではないだろう。

 ただ、地下にあるのだろう場所柄、仕方ないとはいえ、窓がないのは心細い。

 月が、見えない…… ――

 祈る先がないというのは、とても不安なのだと、初めて痛感した。
 深い溜息が零れる。
 計画が頓挫すれば私は消えると思っていた。だから、もう振り返る必要はないと思っていた。

 それなのに、私はこうして生を繋いでいる。

 目の前で、塵と消え種に還った信者たちに申し訳が立たない。
 まあ、裁かれるなら命あると思わないほうが良いだろうから、同じことだけれど……同じように絶たれるならマリル教会が良かった。

 あの場所に、私の全てが在る。
 あの場所に居なければ私に意味はない。


 *** 


「これを着て、私は何をすれば良いですか?」

 明日のためにと用意した衣装を部屋に届ければ、そういって「私に何か出来れば良いのだけど」と不安そうに見上げられる。

 きっと彼女は本当に白月の使者なのだろう。
 どこか確信めいたものを感じていた。

 そうでなければ、この世界の人間が彼女のように慈しみ深くあることは難しい。現在マリル教会を預かっている私であっても、彼女を……。
 そう思うと彼女の瞳を真っ直ぐに見つめることが出来ず俯いた。

「レニさん?」
「え、ああ、いえ、貴方は白銀狼と共に私の傍に居てくだされば構いません」
「白銀狼? って狼ですか?」

 頭が痛むのかこめかみをぐっと押さえて訪ね返してくる。

「ええ、ですが、頭が良く大人しい種族です。危険はありませんよ」

 いいつつも袖から覗く彼女の腕の傷を見て、苦い気持ちが湧いてくる。

「頭痛がするのですか? 何か薬をお持ちしましょう」

 そっと彼女の手をとって告げ、殆ど習慣的になってしまったように彼女の傷口に「痛みませんか?」とそっと触れる。

「平気ですよ。少しだけ攣ったような感じはしますけど、日常生活に支障が出るようなことはないです……でも、私、どうして」

 私の触れている手に、手を重ねてそう告げると、不思議そうに告げる。記憶が曖昧になってしまっていて、彼女自身どうしてこんな傷を負ったのか明確に覚えていない。

「きっと私がドジをしたんですね」

 いって微笑む彼女に胸が痛む。この傷は私の責任であり、罪の証のようだ。しかもそれが自分自身ではなく他者を通して刻まれるというのが、実に私らしく卑怯だ。

「そんな泣きそうな顔しないでください。大丈夫、本当に痛くないんです」

 柔らかく瞳を細められ、本当に泣きそうな気分になった。泣くなんて、そんなことは許されない。

 それも分かっている。
 分かっているけれど……。

「貴方を必要として止まない私たちをどうか許してください」

 取った手を強く握り額に強く押し付けて哀願する。血の通った暖かい彼女の小さな手。思わず、縋るように力をこめてしまった。
 そのことで彼女が纏う戸惑いの空気に、慌てて手を解く。
 それがどこか可笑しかったのか、にこりと微笑んでから、真摯に口を開いた。

「許すも許さないも、私にもここしかないんです。その場所が必要としてくれるなら、私は最善を尽くします。レニさん一人で背負うのは辛そうですよ?」
「え」
「荷は分担したほうが良いということです」

 それが出来るのなら、絶対そのほうが良いんですよ。と子どものような笑みを浮かべた。彼女は、一体何をどこまで察しているのだろう。


 ***


 私の詠み間違いは、闇猫を甘く見ていたことだろう。

 甘い?
 いや、違う。

 彼の中での彼女の大きさを測りきれていなかったということだ。彼女を内に引き入れれば、火の粉は飛ばぬとも思った。
 しかし、彼が見ていたのは彼女だけだった。他を排斥することに迷いがなかった。

 予想以上に手に負えないタイプだ。

 自分しかいない部屋の中で口元を押さえて苦い笑いを溢した。闇猫が無闇な抹消をしなくなったという噂は本当かもしれないが、それは白月が身の内にいるときだけらしい。
 そういう意味で、彼女はやはり白月の姫。白い月の少女なのだろう。

 私の感もまんざらではない。

 そして、彼女は無事に種屋の手に戻った。
 私の目的は潰えたけれど、 きっと、彼女だけは元の生活に戻れるはずで、そのことに私は今、心から安堵している。

「呆気なかったですね」

 こつっと近づいてきた足音が、扉の前で聞こえた。格子窓などがあるわけではないから、扉の傍にいるのだろう者の姿は確認出来ない。
 しかし、確認出来なくても分かる。

「貴方は本当に、暇人ですね。公子様」
「ええ、暇ですね」

 皮肉を込めて告げても微塵も声は翳らない。彼の心が動くことはあるのだろうかと、時折心配になるくらいだ。

「私は暇なんですけど、司祭様はこれからどうしたいですか?」
「どう? というのはなんです」
「……言葉のままです」

 含みのある物いい。
 いつもそうだ。

 彼は含むところが多々あるのに、直接的に口にすることはない。恐ろしい人だと思う。
 はぁ、と嘆息して腰を降ろした先にある足先を見つめる。

「子どもたちの無事と、マリル教会の存続だけ確約していただければ、望みはありません。私である必要はない」
「……ええ、確かに……でも、ね? 知ってますか、マリル様は器を愛されるんですよ」

 公子様のいっている意味が分からない。

「この世界はマリル様にとても弱いということです」
「―― ……」
「もしも終わりを決めたいのなら、ご自身でどうぞ。という話です」

 そう締め括って、こつっと公子様の気配は去っていった。辺りには静寂がまた戻ってくる。

「終わり、か」

 再び天井を仰ぐ。何も、見えない……月が恋しい…… ――


 ―― ……翌朝、食事と共に薬包紙が添えてあった。




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