種シリーズ小話:紅譚
▼ 小種7『エミルとマシロ』


「そこ、少し違うかな?」
「え。あ、ごめん……こう、だよね」

 アルファは食堂に夜食を貰いに行き、カナイは本を取りにいった。僅かな間だとは思うけれどエミルと二人きりになってしまった。
 最初は全然気にして居なかったのに、ふとそのことに気がついてしまうとちょっとドキドキする。でも対峙しているエミル本人は、みんなが居るときと、もちろん変わった風もなく私の間違いをやんわりと指摘してくれ私が訂正するのを見てくれていた。

「そうそう、正解」

 エミルの声は柔らかくて、じんわりと沁みてくる感じがして癒される。ほっと胸を撫で下ろした様子にエミルも微笑んだのが分かった。

「少し休んだらどうかな? アルファもそろそろ戻ってくると思うし」
「あ、ああ……じゃあ、お茶でも淹れて待ってようか?」

 もう少しとは思ったものの少し気分が逸れてしまったので、私はエミルの提案に乗って立ち上がった。
 かちゃかちゃとミニキッチンを利用してお茶の準備をしているとエミルの視線に動きがぎこちなくなってしまう。

「どうかした?」
「うん? どうというわけじゃないけどね、なんていうかマシロはどうして闇猫の上に落ちたのかなぁと思って」
「……え、ええっと、別に選んで落ちたわけじゃ」

 大体、木の上で昼寝している人なんて早々居ないと思うし。
 いや、問題はそこじゃなくて落ちてくる人のほうが確率的に低いのか? あ、あれ?

 混乱した私の思考に気がついたのか、エミルはくすくすとお上品に笑いを零して「分かってるよ」と頷いた。

「でもね、偶然じゃないと思うんだけど……」
「けど?」
「偶然だと思いたい?」

 疑問系に疑問系で答えられても私は何と返答すべきか分からない。曖昧に微笑んだ私はエミルの前にそっと紅茶を置き、自分の分も用意すると椅子に戻った。

「例えばだけど、この図書館に落ちてたらきっと僕が一番に見つけてたと思うんだよね」

 その自信はどこから来るんだろう?

「理由はないけど自信はあるよ?」

 エミルの言葉に首を傾げつつも落ちたときのことを思い出す。
 あんな高いところ、正確にどことは分からないけど落ちて無傷だったのは多分ブラックの上だったからだろうしそれに何より

「私こっちに来たとき、文字どころか言葉もさっぱりだったんだよ。手に負えない問題児だと思うけど」

 苦笑してそういった私にエミルはカップに手を添えてゆっくり揺らしながら、言葉かぁ、言葉は問題だよねぇとぶつぶつ唸っていた。

「そうなるとやっぱり種屋訪問は間逃れなかったのかなぁ。でも僕を通してくれたら絶対借金も妙な契約もさせなかったのに……」

 心底口惜しいようにそういったエミルに、何だか気恥ずかしくなる。

「あ、で、でも、薬師の授業には吃驚だけど、私ここで良かったと思うし、ブラックも私は人に恵まれているって」

 居た堪れない気持ちでそういった私に、エミルは刹那不思議そうな顔をしたもののふんわりといつもの柔らかな笑顔を浮かべて、なるほど。と、頷いた。

「アルファやカナイは即戦力になるからね」
「いや、戦力とかそういう話じゃなくて……ていうか、こんなのどかなのに戦力関係ないでしょ?」
「今は、ね?」

 王都は平和だ。
 人々でも物流でも賑わっているし特に治安が悪いという風にも感じない。だからエミルにこんな顔をさせる理由が思い浮かばない。何だか私は胸が苦しくなる。

「だい! 大丈夫だよ!」
「え?」
「あの、ね。ほら、これは私の夢だから。私、戦争とか? そういうの望まないし、争いごとなんて無縁だよ。誰も傷つかない」

 たどたどしく紡いだ私の台詞の意味をエミルは少し不思議そうに考え込んだあと、何かしらの結論にたどり着いたのか得心行ったようだ。

「夢、か……。じゃあ、マシロは僕のことも夢の中の住人だと思ってるんだよね? それなら……」

 そっとカップを隅に寄せて身を乗り出すと私の頬に触れて、瞳を細める。綺麗な指先がつっと頬を滑り降りてくると、どくんっと心臓が跳ね頬が熱を持つ。
 過度の緊張に声も出せないで居るとエミルは急にふっと表情を緩めて、ぷっと噴出した。

「マシロは可愛いね? それに優しいし、ちょっと触れただけで泣いてしまうくらい傷付けられているのに他人の心配をするんだね? それが現実には存在していないと思っている相手でも……」

 頬に触れていた手は頭の上に載せられてやわやわと撫でている。
 腕が影になって表情は窺えないけど、エミルの表情は笑顔だと思う。思うけど、声はとても笑っているとはいい難い。
 私、何か傷付けてしまっただろうか……。

 それを問質そうと思ったらノックも無しに扉が開いた。アルファとカナイが戻ってきた。手にはそれぞれ大荷物だ。話はそこまでというようにエミルは「大変そうだね」と立ち上がり扉へと向かった。

「あーっ! 先にお茶してたんですかぁ? ズルイーっ!」
「今、淹れなおすよ」

 立ち上がった私は慌ててティーセットに手を掛ける。
 もしかして、私が夢だと思うことは今目の前に居るみんなの存在自体を否定してしまっていることになる、のかな……?


 

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