種シリーズ小話:紅譚
▼ 小種6『アルファとマシロ』


 日課になっている夜のロードワークを終えて僕が部屋に戻ると、カナイさんとエミルさんがそれぞれの時間を部屋で過ごしていた。

「マシロちゃんは?」

 異世界から来たという女の子。
 僕個人がそれを信じるか信じないかは大した問題じゃない。僕にとってはエミルさんが信じるというのならそれに従うだけだ。

 それに取り合えず今は疑う要素もなければ、危険もないと判断したから水を差す必要もない。何よりそうだったら面白い。

「今日はクリムラで店番してるらしい」

 読んでいる本から顔も上げずにそういったカナイさんに、適当に相槌を打って部屋の中央にあるテーブルで作業しているエミルさんに歩み寄り手元を覗き込み首を傾げる。

「何ですか? それ」
「んー? マシロの今夜分の課題作ってるんだよ。大分、書きも達者になってきたから、授業でよく出るだろうと思う専門用語を抜き出してるんだ」
「わざわざ、エミルさんがそこまでしなくても、辞書渡せば良いじゃないですか?」
「でも、辞書じゃ情報量が多すぎるから混乱しても可哀想だと思うんだ」

 ―― ……相変わらず、エミルさんは人が良い。

 僕は内心呆れたものの「ふーん」と頷いてそのまま汗を流すために席を外した。

 エミルさんは、いつもなら自室に篭って妙な薬を作っていることが多かったのに、このところはずっとこんな調子。カナイさんも小難しい哲学書などの類を読んでることが多かったのに、今はかなり古い歴史書などを漁ってる。

 全部、マシロちゃんが来てからの変化だ。

 僕はぼんやりとそんなことを考えながら狭いバスタブに身体を沈めて足を外に放り出すとばしゃりとお湯を弾く。

 正直、僕はあまり彼女に興味がない。

 興味がないから変わらないのは僕だけだ。僕だけ置いていかれてしまっているような気がして少しだけ、寂しい。

 でも彼女を一番に受け入れた闇猫には興味がある……興味?
 いや、恨み……借り、かなぁ?


「そういえば、カナイさん。マシロちゃんに襲い掛かってたって噂聞きましたけど?」

 わしわしと頭を乱暴に拭きながら出てきた僕の一言に、ぱきんっ! と、何かが割れる音がした。ちらと音のほうを盗み見るとエミルさんのペン先が紙を弾いたようだ。

 割れていなければ良いんだけど……。

「どういうことかな? カナイ」
「襲ってないっ! 襲ってないぞ! 俺は唯、闇猫に刻まれたっていう紋章を確認したかっただけで」

 ったく、誰情報だよ。と眉をひそめたカナイさんに僕は笑った。
 「内緒ですよー」と口にするとカナイさんは物凄く心外で、物凄く迷惑そうに眉をひそめて盛大な溜息を吐く。

「あの手の印っていうのには幾つか法則があるんだよ。それを特定出来れば消すことも出来るかと思っただけだ。大体、最初はどんなものか描けっていったんだぞ……なのにあいつの画力は壊滅的だった。子どもの落書き以下だ」
「それで脱がそうと襲い掛かったわけですね」
「脱がっ……っ! 違うっていってんだろっ? だから、ちょっと見せてもらおうと思ったんだよ」

 そのときのことを思い出したのか僅かに頬を染めて尻窄みになったカナイさんにエミルさんが短く嘆息する。

「あんまり自分の興味を優先させちゃ駄目だよ。マシロは女の子なんだよ。怯えたら可哀想だよ」
「……いや、怯えるようなタマじゃない」

 刺々しいエミルさんの言葉にカナイさんは深い溜息を吐いた。
 その様子をひとしきり楽しんだあと僕は「それはそうと」と話を変える。

「でも、契約なら借金返せば良いんですし、僕ギルドに席置いても良いですよ?」
「だからそれは、なしだっていってるだろ」
「えー、でもマシロちゃん、今Eランクに居るんでしょう? 僕が加わればもうちょっと割が良くなると……」
「アルファ、その話はもうこの間しただろ?」

 カナイさんにすっぱりと話を切られた僕は、ぶぅっと頬を膨らませて「分かってますよ」と眉を寄せた。

「依頼のランクが上がれば危険度も増す。王都以外にも出なきゃいけなくなるからそれは最後と」
「マシロが望むまでの間は保留。ということだったよね」

 エミルさんが――やっぱり――割れてしまったペン先を取り替えながらそう締めくくったので僕は渋々頷いた。

「じゃあ、そういうわけで……」

 * * *

 ―― ……どの辺りがそういうわけなんだろ?

 僕は暗くなった通りを歩きながら、んーっと大きく両手を突き上げる。
 今夜も良く晴れていて気持ちが良い。この季節は良いな。

『お使いついでにそろそろマシロの仕事が終わるから迎えに行ってくれないかな?』

 エミルさんに頼まれたら断れない。断る理由もないし、一人暇を持て余すのも分かっていたから別に文句はないんだけど。

 ―― ……ちょっと二人ともマシロちゃんに過保護過ぎると思う。

 ぽっぽっと街灯が灯り始めると店仕舞いが殆どだ。結構遅くまでどの店もやっている。
 目指している店先から聞き覚えのある声が聞こえた。

「マシロちゃん!」

 僕の声に、ふと顔を上げたマシロちゃんは僕の姿を見つけて手を振り駆け寄ってくる。

「お疲れさま」
「うん。迎えに来てくれたの? ありがとう」
「うーん。違うような違わないようなぁ、でもクリムラ閉まっちゃったんですよねー」

 くるりと来た道を一緒に引き返しながら曖昧に答えた僕にマシロちゃんは何か気がついたように「大丈夫、大丈夫」と笑顔を作った。
 首を傾げた僕にマシロちゃんは抱えていた紙袋の口を開けて、僕にも見えるように傾けてくれた。中には沢山のお菓子が入っている。

「明日には売り物にならないからって、おばさんが持たせてくれたんだよ。気前良いよね。アルファ、甘いもの好きだよね。それに頭使ったら糖分摂取も必要だし」

 夜食。と締めくくったマシロちゃんの笑顔に吊られるように喜んだけど、珍しいなと思う。僕は飲食店で仕事なんてしたことないけど、こういうことはあまりやらないと思う。
 だって店の評判に傷がつくようなことが後々起こるかもしれないし……。

「マシロちゃんって人に信用してもらうの上手いですよねぇ?」

 しみじみと口にした僕にマシロちゃんは不思議そうに首を傾げた。本人は全く意図していなかったみたいだ。そういう素養ってあるのかなぁ? 薬師にそういうの必要ない、よね……。

「ううん、なんでもない。あ、そういえばエミルさんが今日もどっさりと課題を用意してましたよー」

 うっと息を呑んだマシロちゃんに「嫌なんですかー?」と追い討ちを掛けると、マシロちゃんは慌てたように首を左右に振る。

「嫌じゃないけど、毎日ちょっと悪いかなぁと思って。でも、エミルって教えるの上手だよね。元の世界に戻ってもエミルみたいな家庭教師の先生がついてくれたら成績上がるだろうなぁ」
「マシロちゃんって頭悪いんですか?」

 特に何も考えずに口にした僕にマシロちゃんは複雑な表情で「そのいい方はちょっと」と口ごもった。

「一応、お兄ちゃんが居るから分からないことは教えてくれるし……赤点……んーっと落第点? をとったりはないよ。普通だと思うけど」

 ふーんっと相槌を打った僕の鼻先に突然甘い香りがつく。

「食べ歩きは行儀良くないけど、人通りもないし。半分こ」

 差し出されたパンケーキを受け取って短くお礼をいって隣を見るとマシロちゃんはもう食べ始めていた。

「大きな口」
「……っだ、誰も見てないよ」
「僕が見てますけどー」
「ま、前からいおうと思ってたんだけどアルファって、うちの弟にそっくり」

 そういって不貞腐れたマシロちゃんは歩くスピードを速めてずんずん進んでいく。マシロちゃんの弟がどんなのだか僕には皆目見当もつかないけど弟の気持ちはちょっと分かるかも。

 カナイさんやエミルさんの考えはやっぱり良く分からないけど、僕個人が分かることといえばマシロちゃんはカナイさんの次にからかうと面白い不思議な女の子だ。


 

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