種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種61『種屋と白銀狼と少女』

 主が風呂に入っている間は暇だ。一緒に着いて入ると怒られた……私のことは放り込んだのにと口にすれば、真っ赤になり愉快だった。

 ―― ……ぐぃぐぃ

 暇を持て余し、人型をとり床にぺたんと座る。ちらりと、視界に赤が入り不愉快な気分になる。引っ張っても、もちろん取れたりはしない。

 種屋の細工物だ。

 ちょっとやそっとで、外れるとは思わない。思わないが憎々しい。
 苛々と輪を回したり引っ張ったり……。無駄だと分かっていても続けているとつい夢中になって、白銀狼の姿に戻ってしまっていた。

 そして、がりがりと忌々しい赤い輪に牙を立てる。やはり、傷一つ入らない。ふぅっと大きく嘆息して、寝そべった。

「あー……っと、ごめんね?」

 身体が小さくなれば、檻のような一室も広く感じる。部屋よりもっと狭い浴室から出てきた主は、暖かな空気を纏って部屋へ戻ってきた。濡れた長い髪を拭きながら主は私を見下ろす。

「主は悪くない」
「痛かったり、辛かったりするなら、やっぱり取ってもらおうか?」
「種屋が動くものか」

 あーぁ、ブラックがいれば直ぐに乾くのに。とぼやいてから主は私の隣にしゃがみこみ、手を取って輪をくるくる回す。ふわりと漂ってくる湯上りの空気が暖かく心地良い。

「うーん。この部屋に居るのは嫌がられるようになるかもしれないけど、取ってくれると思うよ? ブラックそんなに冷たくないし」
「種屋のことをいっているのか?」
「そうだよ」

 にこりと微笑む主に困惑する。
 世界の脅威を恐れることもなく、そんな風にいってしまうのは主だけだ。

「ここに居られなくても、私に出来ることなら協力するから、相談しようか?」
「……構わない」

 動物的感として、主の傍は離れないほうが良いと思われた。だからこそ、断れば主は愛らしく首を傾げる。

「そう? 無理はしないくて良いよ。もう、知らない仲じゃないんだし、大丈夫。その友達も探してあげるから」

 ふわりと、小さな手が頭を撫でる。毛を梳いて抜けていく指先の感触が心地良く双眸を伏せると、主に擦り寄った。つい、先日まで主の方が小さかったのに今では私が包み込まれる。

 人間は柔らかくて美味しそうだ。
 清潔で甘い香りがする。

 元のサイズでは、身体を強張らせていた主も穏やかに受け止める。耳に届く規則正しい心音が落ち着く。

 ―― ……友達。友達、か……。

 別にそういうわけではない。同じ群れの仲間ではあったが個人的に親しかったわけではない。まだ、若い白銀狼だった。若すぎた。甘言をそのまま受け入れてしまえるくらい柔軟だった。
 白銀狼は山を下りるべきではない。人も獣族も、刹那的に生きるくせにそれに我々までつき従えさせようとする。我々には我々の理がある。同じ時間軸では生きられない。

「ハクア、大丈夫?」

 ぼんやりと思考の海に沈んでいると、主に声を掛けられた。顔を上げれば愛らしい丸い瞳が不安げに揺れていた。

「そんなに心配しなくても、みんなハクアを悪いようにはしないよ。大丈夫」

 ふわふわと眉間の撫でられる。心地良い。

「主は……」
「ん?」

 私の知る人間は、先代の種屋だけだった。あれはとても酷薄な男で、内包した種にしか目を向けない男だった。器になど興味は持たない。不要ならば壊す。壊した器に情もなければ、用もない。

 人間とはそういう獣だと聞いていた。

 だが、主は違う。傷付いた器を癒し、種の存在に疑問を持つ。まるで、大切なのは器のほうだとでもいいそうだ。

「主は種屋とどういう関係だ?」

 私の問い掛けに主は「関係?」と不思議そうに首を傾げ、手を止めてこちらを見た。

「恋仲に見えた。何か弱みでも握られているのか?」

 だとしたら、今は力不足かもしれないが、そのうち何とか解放してやりたいとも思う。短命な人間(主)が、そんなもので縛られるのは気の毒にも思う。
 恋仲……って、と主は口内で呟いて、ふわりと頬を赤らめた。

「確かに恋人同士だけど、別に弱みは握られてないよ。強いていうならブラック自身が私の弱みかもしれないけど、私の弱いところなんて星の数くらいあるから……」

 いって、花が綻ぶようにくすくすと笑う。

「種屋の恋人? 何故(なにゆえ)だ? 容姿か? 地位か? 財産か? 私は俗物的なものは良く理解できないが……」
「え、ええっ?! できなくても良いけど、そんな話じゃないよ。そんなのなくても……」

 といいかけて、主は「ああ、でも」と少しいい直す。

「私がブラックと居たいと思ったのは、そういう理由じゃないけど、きっかけとしてはゼロじゃないかな? だって、ブラックが種屋じゃなかったら、そもそも私と出会っていたかどうかも妖しいし……」

 いっている意味が分からない。眉を寄せた私に主は頬を緩める。それがどこか幸せそうに見えて、益々怪訝な顔をしてしまう。

「だが、あれは種屋だ」
「そんなに不思議?」
「ああ。理解出来ない」

 きっぱりと答えれば、今度は表情を曇らせる。失言だったのかもしれない。

「この世界ではどうか知らないけど、私は、私個人はブラックのこと好きだよ。世界が、彼の役目を必要とするから、そうあるだけ、彼が偶然種屋の素養を持ってしまっただけでしょう?」

 強く口にするも、哀しげだ。聞いてしまったこちらが悪いことをしてしまったような気がする。すまなかったと、擦り寄れば、そっと抱き締められる。

「白銀狼と、種屋は因縁があるんでしょう? ハクアとブラックはどう?」
「……私と、現種屋か?」
「そう。爪を立て牙を剥きたいほど、やっぱり憎い相手なのかな……」

 ぽつぽつと口にされ、胸が苦しくなる。
 種屋が、我々を弾圧したのは私がまだ幼い頃だった。こちらに非があったとはいえあれはやりすぎだと、子ども心に思った。絶滅しないギリギリ。

 残されたのは、死と生のギリギリのもの。幼い子ども。
 群れを今の状態まで戻すには相当の受難があった。

 それを思えば、種屋が憎い。
 白銀狼の寿命は長い。それ故にその惨事を記憶しているものがまだまだ群れの中に居る。
 爪をつき立て牙を剥き、その肉を貪ってやりたいほどの憎悪を持つものも群れには多い。

 だが、私は……私は、あの惨劇を繰り返すのは嫌だ。
 とても利口なやり方だとは思えない。我々は、ひっそりと暮らすべきだ。屈するわけではなく、我々の理で自由であるべきなのだ……。

「ずっと憎しみを抱き続けるのはきっと辛いよ? ハクアが迷うのなら、ハクアが憎く感じる種屋とブラックは別人だよ。それなら、仲良くするまで行かなくても友好的? うーん、私は好きじゃないけど、ブラック風にいうなら、利用できる部分は利用するって感じで向き合えば良いんじゃないかな?」

 ぽふっと人型に戻り主を見上げる。このほうが、距離が近い。主は少しだけ驚いて丸くした目を細めて「良い妥協案じゃない?」と微笑む。

「主は……主は本当に、この世界のものではないのだな」
「ん? ああ、そうだね。違うよ。違う。最初にいっとくけど、月から来たわけでも、美しいときの宣教師でもないからね?」
「―― ……そうか」

 ぶつぶつと不満を零すように付け足した主が愛らしく感じた。

「主」
「ん?」
「主は何故ここに居る」

 見上げて問い掛ければ、主は数回大きく瞬きをしたが、既に定まっている答えだったのか直ぐに笑みを深めて簡潔に答えた。

「ブラックが居るからだよ」

 人口的な明かりの中で、淡く色付く姿はとても優麗に見えた。
 そのとき直感的なものは確信に変わり、少女こそ美しいときの本当の姿を知るものだと胸のうちで首肯した。

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