種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種59『黒猫危機一髪』

「―― ……どうしてここに集まっているんですか?」
「ブラックこそ、どうしてここに居るの?」

 図書館寮:マシロ部屋にて、マシロを抜いた不自然なメンバーが顔をつき合わせていた。

「私は、マシロに部屋で待っているようにいわれたからここに居るんです。というか居てもおかしくないでしょう」
「いや、おかしいよ。ブラックは部外者なんだから」
「私は部外者ではないです。十分に関係者ですよ。マシロの」

 意味ありげにそう付け加えたブラックに、エミルは面白くなさそうな顔をしたものの、お互いに出て行く気はないようだ。

「いっそ、毒でも盛られれば良いのに」
「ありますよ? 一度だけですけど、マダラテングダケを盛られました」

 あれはいくら私でも死にますね。のんびりとティーカップを傾けつつそう感慨深げに呟いたブラックに、新たなお茶を準備していたカナイと、エミルは時間を止めた。



 *** 



 一人だけの生活と、自分以外の誰かとともに生活するということは、時に想像もつかないような擦れ違いや誤解を生んでしまう。

 ―― ……コンコン。

 気遣わしげな小さな音でノックが成される。
 今日は週末で、本当ならばマシロとのんびり過ごせるはずだったのに、急な来客が続いた。
 面倒だから無視したかったのに、可愛い恋人はそんなことは許さない。

 仕方ないから対応しただけだ。

 入室を許可しない理由などないのに、返事を待っているのだろう姿はいじらしい。

「どうかしましたか?」

 いって扉を開けば、自分であける予定だったのだろう。構えた手を所在無さ気に揉んで、えーっとといいながら私の背後を確認する。そして、誰も居ないことが分かるとにこりと私を見上げて「夕食の準備が出来たんだけど」と口にする。
 愛らしい。
 それ以外になんと表現しろというのだろう。自然と頬が緩むのが止められない。

「直ぐ行きます」

 と、告げて頬にキスを落とせばマシロはほんわりと頬を染めて、ふわりと微笑み「直ぐね! 直ぐ」と、念を押して廊下を走り去ってしまった。直ぐというのなら、一緒に向えば良いのにと思って苦笑しつつ、書斎の扉を後ろ手に閉める。

 ―― ……

 ダイニングの扉に手を掛けて、思わず、すんっと鼻を鳴らした。暖かく良い香りに混じって嗅ぎ覚えの在る、独特の香りが微かに……いや、まさか……。

 何かマシロの気に障るようなことをしてしまっただろうか? この間、しつこくし過ぎてしまっただろうか? いや、だからといってここに結び付けられる理由としては薄い。正直、過ぎるのはいつものことだ。

 不思議に思いつつ、扉を開いて機嫌の良いマシロが準備してくれた食卓に着く。

「今日はクリームパスタ。パスタ料理はそんなに失敗したことないから、大丈夫だよ」

 にこにこと、何一つ不穏なところもなく、マシロは食前酒をグラスに注いでくれる。失敗前提というのが哀しい限りだ。暇なときなら、教えもするのに、マシロは基本的に頼りたがらない。
 だから、想定外のことを色々とやってくれる。
 別に、食べられるもの同士の組み合わせのはずだから、特に構わないのだけれど……。

 この香りに出会うのは久しぶり、ではあるものの、間違えるはずはない。複雑な気持ちでマシロを見ても、マシロは普段と全く違うところはないように見える。
 マシロは嘘や誤魔化しが、上手くはない。

 準備が整えば、マシロは機嫌良く私の向かい側に腰掛けて、可愛らしく手を合わせていただきますと告げる。
 そんな習慣全くなかったけれど、私にもそれは伝染して、同じようにするようになってしまっていた。
 因みにしないと怒られる。

 ……それにしても、料理を前にすればそれは確実になる。

 マシロが、まさか? と思いつつも疑心暗鬼に取り付かれるのはこれまでの黒歴史からだ。
 種屋は誰も信じないし、信じられたこともない。基本全て疑って掛かるし、恐怖や恐れにより種屋の安全は確保される。

 マシロは食前酒を傾けつつ「どうしたの?」と不思議そうな顔をする。

 これは、確実に……。
 確信を持った。

 ああ、本当に、マシロが味見をしないタイプの人間で良かった。

 フォークを手にして僅かに躊躇った自分とは関係なく、マシロは、手にしたフォークを迷いなく皿へと運んだ。

 ―― ……かしゃんっ!

「っと、すみません」

 意図的にグラスをマシロの皿に引っくり返し、慌てたフリをして適当にテーブルの上を散らかした。
 やりすぎくらいにやったので、床に落とした皿は軽い音を立てて割れてしまった。ほんの少しの罪悪感があるけれど、死ぬよりはましだろう。

「ちょ、大丈夫? 怪我してない?」
「平気ですよ。ああ、構いません。私が片付けますから」
「え、手伝うよ……」

 いいつつマシロはテーブルの上を、私は下を片付ける。割れた皿に眉を寄せる。マシロが気に入って買ってきた揃いの物だった。直すのは簡単だけれど、割ってしまったということに変わりはない。
 小さく溜息が零れた。

「―― ……ところで、マシロ。この入っているキノコですが」
「ああ、それ? 台所のが切れてたから、乾燥庫から拝借してきたんだよ」
「乾燥庫……」
「そうだよ。ちゃんと、瓶にはラベル貼っとかないと、駄目だよ? 知らない人が見たら、全部一緒に見えちゃうし……」

 マシロに邪気はない。悪意も全くない。本気でただ、間違えて猛毒キノコを放り込んだようだ。本当の本当に味見をしないタイプで良かった。

「気をつけます。今度からは間違いが起きないように、ラベル、つけますね」

 立ち上がりつつ、そう答えれば「それが良いと思うよ」とにっこり微笑まれた。種屋の乾燥庫に入る人間など、マシロと家主くらいのものだと……は、いえない。

「だって、大抵の乾物って同じ色とか形とかになっちゃうし、分かり辛いよね」

 ―― ……ええ本当に。

 マシロの笑顔が切なくて、泣きそうな気分になった。

「さて、パスタは新しく茹でなおさないと駄目だけど、クリームソースはまだあるから」

 直ぐ用意すると笑顔で告げられても、恐怖でしかない。種屋が食中毒で死亡。新たな歴史を刻みそうだ。

「その、ソース。もう、駄目かもしれませんよ? 台所から妖しい煙が漏れてきています」

 そういって台所のほうを指差せば、扉の隙間から黒い煙が漏れてくる。

「え! 嘘。ごめんっ、火止めたと思ったのに、掛けっぱなしだったのかも! 大変っ!!」

 慌てて、台所に飛び込んでいくマシロを見送って、小さな声で謝罪した。
 火をつけたのは私です。
 散在した食器を纏めて、マシロの後ろを追いかける。

 黒い煙を吐き続ける鍋を前に、落胆している彼女を見るのは正直辛い。でも、きっと……多分? キノコの事実を知ったほうが、薬師の端くれでもあるはずのマシロからすれば辛いだろう。
 瓶を明確にしていなかったのは、確かに私のミスだ。

 シンクに食器を置いて、マシロの傍に寄り抱き締める。

「何か簡単なものを作りますよ」

 落ち込まないでと続けてこめかみに口づける。しょんぼりと頷いたマシロに私の胸も痛む。


 ***


「―― ……あれは少し、可哀想なことをしてしまいました」
「いっそ、先に食べて……」

 いいかけてエミルは口を閉ざした。そんなことになったら、マシロは立ち直れないだろう。それはあまりにも可哀想だ。

「あいつ、薬師でやっていけるのか? いくらなんでも、そこまで見る目がなってないのは問題ないのかよ……」

 物凄い複雑そうな顔で、新しいお茶をティーカップに注いだカナイから、視線を逸らしたブラックは「大丈夫じゃないですか?」と答えた。
 明らかにあやしい。

 ―― ……カチャ

「ただいまですー。今日のおやつはマシロちゃんが作るって張り切ってたんですけど……僕このまま……」

 外から戻ってきたアルファの台詞に、全員が固まった。


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