種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種58『恋の病』

 ―― ……なんか赤いの通り越して赤黒くなってる。

 私はぼんやりと、鏡に映る自分の姿を眺めていた。
 湯上りだから、肌自体がほんのりと赤らんでいるが、それとは別、胸元に残る痣を、そっと指でなぞる。巻いたタオルのギリギリのところだ。ここには以前、種屋の徽章が刻まれていた。

「―― ……」
「湯冷めしてしまいますよ?」

 ふわりと背後から腕を回してきたブラックと、鏡越しの視線を合わせる。確かに私は湯上りで、ブラックも湯上りのはずだけど? なんでこの人ケロッとしているんだろう。

 私は正直のぼせそうだった。
 いや、のぼせたからこうやって湯冷まししているのに……。

 客が来たからとぷりぷり怒りながら先に出たのは確かだけど、私もそのあと直ぐに出た。そう時間的に違わないはずなのに。

「ちゃんと相手した?」
「大丈夫ですよ。邪魔されたからといって、酷い目に合わせたりしていません」
「―― ……硝煙の臭いがするけど?」
「まさか、しませんよ。私の銃からはそんなものは……あ。酷い目には、あわせていませんよ?」

 口を滑らせたのはワザとだと思うけれど、私もワザとらしく溜息を零して眉間をぐっと押さえて顔を伏せた。酷い目がどんな目だか知らないけれど……それ以外の目にあわせたんだね?

「私はもう少しマシロと長湯したかったんです。それなのに時間帯も考えずに訪問してくるほうが悪い」

 叱らないで。というように首筋に顔を摺り寄せていい訳する姿は猫だと思う。太ももあたりでふわふわして触れている、尻尾とか色んな意味で堪らない。私は馬鹿だから、ついついこれで直ぐに「はいはい」と許してしまう。

 調子に乗った黒猫が、かぷりと首筋を食み、舌を這わせるので逃げるように身を引いたが、動けない。

「んっ、ちょ、もぅ! 駄目だよ、ブラックは平気でも私はのぼせてるのっ! なんか身体がふわふわしてるんだから、ちょ、やめてっ」
「大変じゃないですか、早く着替えて冷たいものでも……」

 手伝いますよ。と綺麗に微笑んだ表情が私にはにやにやに見えた。

「っ」

 身体に巻きつけていたタオルに手を掛けられると、私は反射的に痛みに身体を竦めた。僅かなものだったけれど、ブラックが気がつかないわけはなくて、ぴたりと手を止めてくれる。

「……ああ、すみません。つい夢中で、やりすぎてますね……」

 そして、胸もとの痣に気がついて、さっき私がやったのと同じようにそっと指先で触れてくる。

「直ぐに治します」
「駄目っ!」

 思わず大きな声を出してしまった。
 私の声に驚いてブラックの耳と尻尾がぴんっと立つ。

「ですが、ここまでなってしまうと痛むでしょう? キスマークは毛細血管が破損しているだけなので、それを治せば直ぐに」
「分かってる。分かってるけど……良いの、このままで」

 ほら、本当に湯冷めするから離れて。と、どこか申し訳なさそうな、ブラックから、離れて私は着替えに手を伸ばす。
 ブラックは、まだ全然納得している風ではなかったが、私が身支度を始めると「お茶の準備をしてきます」と告げて私のこめかみに軽いキスを落としてその場を離れた。

 静かに扉が閉まる音が消えると、袖を通す衣擦れの音だけだ。
 私はシャツのボタンを合わせる手を止めて、もう一度、鬱血痕に触れる。きっと次に戻ってくるくらいまで残ってるかもしれない。見えるところにつけられてしまうものは、困るけれど、キスマークをつけられることは嫌いじゃない。
 自分の所有物だというように宣言されているようでもあるし、何より、残っている間は強くその存在を感じていられる。
 そう思うと自然と顔が綻んでしまう。そんな自分と鏡の中で目が合って居心地が悪くなり、笑みは苦いものに変わる。

 一度、元の世界に戻ったとき……この痕が消えてしまうのが怖かった。
 だから絶対に消えて欲しくなかったのに、時間はとても残酷で、この程度のもの自然治癒力でどんどん癒えていってしまった。
 日に日に薄くなるキスマークは、それが消えるのと同じように、私の記憶も薄れていくのではないかと、怖くて不安で……毎日記憶だけを、思いだけを抱いて眠った。

「―― ……っしゅん」

 寒い。本当風邪引いちゃうよ。

 自嘲的な笑みが零れて、センチメンタルな気分を吹き飛ばした。

 ―― ……ふわ

「ほら、本当に風邪を引いては、寮には帰しませんよ?」
「抱き付かれてたら、続き出来ないよ。あったかいけど」

 苦笑した私に、神出鬼没に現われて絡み付いてきていたブラックは、嬉しそうに、ところ構わずキスをする。

「折角ですし、脱がせては」
「駄目だからね」
「もっと暖かくなりますよ?」
「十分あったかいから結構ですっ、ほらほら、離れて。紅茶何にしたの?」

 ブラックは、本当に渋々というように離れて「アッサムです」と答えてくれる。

「じゃあ、それが冷めたら勿体無いから急ぐよ」
「ありがとうございます」

 そのお礼には、冷めたらまた新しく淹れれば良いという不満も混じっていることに、気がついたけど、私は気づかないフリをした。

 傍に備え付けてある椅子に、しょんぼりと腰を降ろしたブラックを横目に、私は続きを始める。

 きゅっと襟元のリボンを締めて、準備は出来た。

 私はもう一度確認するように、鏡に自分の姿を映す。
 いつも通りだ。

 そっと胸元に触れて軽く押す。ずきりと鈍い痛みが走るが表情は変えない。
 ブラックが気に病むから。

 でも、服の下に隠れて見えなくなってしまったけれど、肌には確かに、直接刻まれている。

「さ、お茶にしようか?」

 にこりと振り返り手を差し出すと、ゆるりとした笑みを浮かべて「そうですね」と手を取ってくれる。
 するりと絡めた指に力を込める、返事をするように握り返される。
 当たり前のことに胸を撫で下ろし、ふわふわとした良い気分になる。



 ―― ……私は彼のものだ。


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