種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種50『ものさし』(アルファ視点:本編より)

 騎士塔の隅々に至るまで良い思い出なんて一つもない。
 正直うんざりだ。
 仕事がなかったら、こんなところに来ることもなければ、こうやって、塔へと登ることもない。

 案内されてきた一室の扉には学長室と銘打ってある。ここに学長が座っている姿を、僕は見たことない。
 きっと今日だって、本人は居ないだろう。

「失礼しまーす。人を待たせて居るので手短にお願いしまーす」

 と口にして扉を開ければ、学長の椅子にゆったりと腰掛けた見覚えのある姿が、にやりと好戦的な笑みをその整った顔に貼り付けて、無駄に広い机に両手をついて立ち上がる。

 王宮で騎士団の総括をしているキサキ様だ。僕の中で一般的な女性の基準が彼女だったから、そもそも色々と間違えていた。

「総括がわざわざ出向くんですか? 珍しい」
「アルファ、口を慎め」

 部屋に入って扉を閉めれば、その傍に立っていた彼女着きの騎士に剣先を突きつけられる。

「僕より、喧嘩っ早いですよね。この人」

 キラリと光る鋼の平を手で押して、下げさせる。特に敵意が篭っていないから簡単に引いた。
 キサキ様は、机の前に出てくると、その端に腰を掛けてすらりと長い足を組む。彼女は僕より少し背が高い。

「急いでいるんだったな?」
「はい。物凄く急いでいます手短に」
「相変わらず、アルファはエミル以外に尻尾を降らないな?」
「そうですね。僕は獣族ではないので振る尻尾はありません」

 僕の刺々しい台詞に対峙した相手は、微塵も心動かすことはないというのに、隣の騎士は苛々し過ぎだと思う。総括に対して、良い感情も悪い感情も特に持ち合わせては居ない。

 単に、早く話というのを終わらせて、マシロちゃんのところへ戻りたい。それだけだった。

「話の内容は、そう、難しい話じゃない。エミルの耳にも入れておいて欲しい、というだけだ」

 その言葉に、続きを促すように視線を投げればキサキ様は口角を引き上げて組んだ足先を揺らす。

「秘密裏に王宮を抜けたものが居る。力なきものではあるが、現在外に居る血を頼るかも知れない。エミルに直接は関係ないだろうが、長く外を望むなら介入しないことだ」
「―― ……なら、黙っておけば良いのに、貴方はエミル様に戻って欲しいんですか? それとも……無関心なままで居てくださるんですか?」

 正直この人も得体が知れないと思う。というか、実際に関係しない王家の人間なんてみんなろくなもんじゃないと思う。

「敵味方もないだろ? 好悪の情も、特にはないな。だが、異母弟を思うくらいには慕っている。知らぬが恐ろしいことと、セルシスの騎士ならば知っているはずだ」
「僕はもうセルシス様の騎士ではないです。彼はもう居ない」
「そうだったな、あれはエミルよりは良い漢だった」

 思わず腰に手が伸びると、隣で同じような気配がした。僕は、その手でぎゅっと拳を作って堪えた。

 忍耐強くなったでしょうと、自慢したいくらいだ。

 僕は出来るだけ詳しい話をキサキ様から、賜った。彼女がより深い情報を持っているならば、それを全て引き出しておくに越したことはない。

 知らずにことを構えるのと、知っていて構えるのとでは雲泥の差だ。僕が、情報を甘く見ていたのは取り返しのつかないずっと前の話だ。



 一言一句、キサキ様の言葉を忘れないように反芻しながら来た道を足早に戻った。そろそろ切り上げても良い時間だろう。

 早くマシロちゃんと合流して、エミルさんの下に戻ろう。

「あれ?」

 遊んでいて構わないとはいわなかったのに、訓練場には人だかりが出来ていた。
 カナイさんと違って、僕はかなり目が良い。

 人垣の間へと視線を走らせると、誰かが模擬試合をしているようだ……ようだ、けど……

「っ!!」

 地面が抉れるほど、強く踏み出した。
 ぷちんっと何かが切れそうになって、腰に手がいきそうになり、なんとかその感情を押し留める。
 若干名、邪魔になった学生には地面と仲良くなってもらった。
 騎士素養を持っているくせに、ぼさっとしている彼らが悪い。

 放り出されていた模擬刀を弾き上げ、対峙していた愚者に叩きつける。

 加減しなかった。
 指、逝っちゃったかも。

 なんて思えたのは邪魔が入ってからだ。

 マシロちゃんの隣に立ったときには、全身が滾(たぎ)っていた。
 それなのに、芯はとても冷たくて、冷水を浴びたようでもあった。

 ムスカが割り込んでこなければ、僕は確実に相手の頭を割っていたと思う。マシロちゃんに害をなすものを排除する。ただ、それだけのために…… ――




 後日改めて報告書という名の始末書を騎士塔に運んだときに、ムスカからあの愚かな学生の話を聞いた。

 やっぱり利き手が砕けていたらしい。

 自業自得だからそんなこと、僕が知ったことじゃないけど、こんな書類が必要になるくらいなら、殺しておけば良かった。
 それで、謝るほうが、まだすっきりする。

 そして、その本人と、野次馬になっていた生徒たちの治療にカナイさんが来ていたらしい。

 あの人、こういうときばかり兄貴風を吹かせて、僕の尻拭いをしていく。それについて悪態を零すこともない。
 思いっきり子ども扱いをされてようで面白くない。でも、それを口にしたら自分が子どもだと認めているようで悔しいから触れない。

「それで、嬢ちゃんの方は平気か?」
「マシロちゃんは、弱いけど、強いから平気です。それにそんな小さなことに拘っているほど暇でもないし……」

 いって見上げた空は、高く青く寒々としていた。
 もう直ぐ、雪の降る寒い季節がやってきそうだ。だから、ふーんっと零したムスカがどんな顔していたかなんて僕は知らない。

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