種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種49『女の子の主成分は甘いものだけじゃない』

 どうしようもなく、苛々する。
 何か悪いことがあったわけでもない。
 気に食わないことがあったわけでもない。
 理由なんて特に思いつかない。

 ただ、一言で表すなら機嫌が悪い。

 ―― ……がらっ

 私はいつもより多少乱暴に扉を開いた。室内では当たり前のようにそこに居る。というか居て、当たり前なんだけど、保険医のエルリオン先生がいつもの優しい笑顔で迎え入れてくれる。

「どうかしましたか?」
「どうもしません。サボりに来ました」

 でも、カナイに調子が悪いといって教室を出た手前、寮には戻りそびれた。それに授業中に寮に戻るのは寮監さんに何かいわれるのではないかと、小心者の私はそれも少し怖かった。

「そうですか? では、お茶でも淹れましょうかね?」

 のんびりと机から立ち上がったエルリオン先生は、そういって普通にお茶の準備を始めてしまった。私はなんだか居心地が悪くて「ベッド借ります」と部屋には他に誰も居ないことを確認してから、隅っこのベッドにごろりと寝転がった。

 窓の外には常緑樹が植えてあり、直接お日様の光が差し込んでくるような無遠慮さはない。ここの空間と同じように柔らかくて暖かい。

 ああ、気分が悪い。
 このなんともいいがたい不機嫌さ。
 自分でも処理しきれない苛々。

 当たりたくもないのに、周りにさえ迷惑を掛けてしまいそうなくらい苛立たしい。
 だから、極力一人になれる場所に来たつもりだったのに、ここで転がって初めて、一人になりたいのなら屋上庭園にでも上がれば良かったとか、授業で使っていないなら、温室でサボるという手もあったことを思い出す。

 とことん私はこういうことに慣れていない。
 はあ、と自嘲的な溜息が零れる。

「お茶、ここに置いておきますね?」

 かちゃりと、陶器の音がして、ふんわりと暖かな香りが鼻腔を擽る。これは……ジャスミンの香りだ。
 その香りに眉を寄せて私は体を起こした。

「……私そんなに苛々して見えますか?」
「そんなことないといえば、腹が立つでしょう? 本当はね、セントジョーンズワートでも淹れたほうが良いかとも、思いましたが、もしも、が、あってはいけませんしね」

 にっこりといつものように穏やかな調子でそういったエルリオン先生に、私は、かぁっと頬が熱くなるのを隠せずに、再びベッドに乱暴に横になった。

 セントジョーンズワートというのは、うつ症状などに良く効くハーブだ。
 でもその利用法として、中絶剤として用いられることもある強い薬草だ。ここでは大抵のものが手に入るから、それが栽培されていてもおかしくはない。
 それに、あえて遣わないといったのは私にそういう危険があるのではという、からかいも含めてなのだろう。ここの大人ってどうして一癖も二癖もある人ばかりなのだろう。

 苛々とベッドに戻ったのに、サイドボードに置かれたジャスミンは私に優しい眠りを運んできたのか、私はうとうとと眠ってしまった。

 そんな私が目を覚ましたのは授業の終わりを告げる鐘の音が鳴ったときだった。私がその音に跳ね起きると、エルリオン先生は驚く様子もなく「おはようございます」とやんわりと微笑んでくれる。

 この人を、図書館の白い天使とみんなが呼ぶのも分かる気がする。
 とても白い印象の人だ。
 そして、なんか毒を抜かれるような、警戒心を解かせるような特殊能力を持っているような気がする。

「私、帰ります」
「おや、お迎えを待たないんですか?」

 エルリオン先生の話を最後まで聞くことなく、私はとっとと保健室をあとにした。ほぼ確実に、誰か、もしくは揃って迎えに来てくれると思う。
 でも、今日の私はとてつもなく機嫌が悪いのだ。正直、当り散らす自信がある! だから極力顔を合わせたくない。



「あん? 着替える間もなく仕事かい?」

 ごめんなさい! 私は図書館の出入り口の傍でカーティスさんに掛けられた声を無視した。

 気を遣ってくれているのは分かる。
 けれど、それすら今日は煩わしいのだ。

 別に私が何をしようと勝手だろう。

 なんて捻くれた考えが頭に過ぎり、また、胸の奥が苛々とする。

 普段の私なら、絶対にこんな風に考えないと思えばこそ余計に苛々が募り我慢ならない気持ちになる。
 私は苛々を晴らすように、歩き慣れたレンガ道を走った。

 走って、走って、走る。

 こういうときは一人になるに限る。
 一人で居れば、他の人に迷惑を掛ける。ということだけは回避できるのだから。


 ***



「着いたよー、おじょーちゃん。そういえば、おじょーちゃん、たまに乗るよね? あんま、若い子がくるようなところじゃないと思うがね? 業の深い町だよ」
「放っておいてください。私の家があるんですっ!」

 今日は終点まで乗っていたのは私だけだった。だから、代金を支払うときに御者に無駄に声を掛けられた。

 辺境の町だからなんだっていうんだ!
 ここに種屋があるからなんだっていうんだ!

 世界が必要とするから種屋はなくならないというのに、それを忌むのは間違っているとどうして誰も声高にいってくれないんだ! 

 苛々する。

 本当に何もかも苛々する。

 私は口に出来ない苛々をぐっと喉の奥に圧し留めて、馬車を降りた。
 結局私が逃げてくる場所なんてここしかない。連絡方法も特にないから、馬車に揺られて、ごとごと来た。辺りは茜色に染まりかけている。

「本当、遠すぎ……」

 色の変わった空を見上げて愚痴を零す。綺麗に舗装されている道路ではないから、正直お尻も痛くなる。

 私は王都のように舗装されてはいない道をとぼとぼと歩く。勢いついて帰って来てしまったけれど、ブラック家に居なかったらどうしよう。居るとは限らないんだよね。

 仕事とはいえ……。

 勢いに任せ、苛々に任せここまで来てしまった手前なんともいえないやってしまった感が拭えない。がっくりと肩を落としても今更だ。帰りの馬車はさっきので折り返さないとない。

「あ、すみません」

 家について扉に手を掛けると中から開いて驚いた。悲壮感に溢れた表情をした女性が軽く頭を下げて擦れ違っていく。目は赤く泣き腫らしていたようだ。

 きっと、大切な人を亡くしたのだろう。

 ここにあんな顔をせずに帰ってくるのは私くらいなものだろう。大抵、みんないろんな事情がある。

「仕事なんだから仕方ないじゃんっ!」

 私は苛々とそう小さな声で漏らして屋敷へと足を踏み入れた。

 あ、でも、さっき人が居たってことはブラックここに居るんだ。申し訳ないけれど、私個人の気分は上昇。

 一段飛ばしで階段を駆け上がる勢いで書斎に向った。
 ノックをするのもまどろっこしく感じながらも、コンコンっと軽く弾いて扉を開く。

「ただいま」

 鬱々とした気分も晴れてそう告げたのに……

「お帰りなさいませ」

 私を迎えたのは傀儡だった。外見的違いは然してないけれど、いつもより一割くらい増しで丁寧調なのだ。

「ブラックは戻らないの?」
「マシロさん?」
「もう良い、休んでるから仕事続けて」

 ぷいっと回れ右して、私は書斎を出た。廊下を歩きながら、そういえば、擦れ違った女性は白化後の球体を持っていなかった。私は短く嘆息し自室の扉を開く。
 ここへ戻るのは久しぶりだけれど、いつもどってもきちんと手入れしてある。殆ど使うことのないベッドも、今日シーツを取り替えたみたいに綺麗だ。

 私はそこへ乱暴に飛び込み顔を埋める。

 ―― ……暖かなお日様の香りがする。

 ごろりと寝返りを打って天蓋を睨みつけた。
 やっと一人になったのだ。
 これで誰かに当り散らして迷惑を掛けることもない。

 腕を額に押し付けて目を閉じて大きく深呼吸。早く、この胸のもやもやがなくなれば良いのに……。

「お帰りなさい」

 はぁと息を吐ききったところで、まだ聞くには早い声に驚いて跳ね起きた。

「ブラックどうしてっ?!」

 私の台詞にブラックはベッドに腰を降ろしながら、にこりと微笑んで「暇なので」と答えてくれるけど、そんなはずない。だから、可愛くない私は「嘘吐き」なんて可愛くない悪態を吐く。

 本当は嬉しくて仕方ないのに……きっと傀儡から連絡がいったか、屋敷に戻ったときに分かったかだろうけれど、ほぼ直ぐに駆けつけてきてくれた。それが堪らないのに……。

「はい。私は嘘吐きですけど、マシロに対しては誠実ですよ」

 いって伸ばされた両腕は簡単に私を掴まえてその腕の中に納めてしまう。

「エルリオン先生にセントジョーンズワースを飲まされかけたよ」

 素直にブラックに抱き締められ、その胸に頬を寄せながら、ぶすっと口にすれば「それはそれは」と笑っている。

「余程手に余す荒れっぷりだったのですね?」
「そんなことないよっ!」

 苛立たしげに怒鳴れば「そうなんですか?」と軽く返される。

「でも、私は他人には手に負えないくらいで丁度良いです。心の平穏を求めて、ここへ戻ってくれたこと、とても嬉しいです」

 柔らかく髪を梳かれ口付けられる。耳には心地良い心音が響き、子守唄のように甘い言葉が掛けられる。
 苛々と高ぶっていた気持ちが、急に萎えて、今度はどうしようもなく泣きたいような気分になってくる。

 どうしてこんなに情緒が不安定なんだろう。

 こんな自分大嫌い、凄く嫌な子だ。

「大丈夫ですよ。マシロの全てが私の一部です。女性は目に見えないものにまで敏感に反応し感じ取ってしまうから、きっととても辛いですね。マシロのせいじゃないですよ」

 大丈夫、直ぐに治まります。
 そう締め括って大きな手が背を撫でる。

 わけも分からず苦しくなって、じわりと涙が浮かんで止める間もなく頬を伝った。
 自分でもわけの分からない苛々が、涙が零れ落ちるのと同時にすぅっと潮が引くように引いていくような気がした。

 ブラックの背に腕を回してしっかりと抱きつく。

「マシロは我侭を通しているように見せて、そうでもないから、誰かが思うよりずっと苦しかったと思いますよ。だから ……――」

 私を頼ってくれてとても嬉しい。と続けて、すりっと擦り寄ってくる。

 なんでも見透かしてしまっているような、その態度が悔しい。
 でも、嬉しくもある。

 これもとても矛盾していて、これという決まりのある感情ではないなと思う。ただ、分かることといえば、やはり私はこの腕の中が一番安堵する。ということくらいなものだ。どんなハーブや薬よりも、私を最大級に甘やかせてくれるブラックの腕の中が一番私を癒してくれる。

 この中にさえ居れば大丈夫だと、言葉以上のことを分かってくれ、私以上に私のことを理解してくれている。

 ―― ……じゃあ、私は、私はどうなのだろう?

 ふと浮かんだ疑問に、顔をあげる。当然のように絡んだ視線で、どうかしたのかと問い掛けられた私は

「私はちゃんとブラックを理解している?」

 と、何の前置きもなく口走っていた。そんな私にブラックは、嬉しそうに笑って、ちゅっと額に唇を落とすと「理解してくれているから、今マシロはここに居るんですよ」と答えてくれた。

 その言葉の真意は、私にはとても図りきれない。

 しかし、ブラックの口にする一言一句が余すことなく私をとても温かくしてくれる。


 ―― ……だから私は、もう、卵が先か、鶏が先かというような話をするのはやめにした…… ――


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