種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種44『キライの条件』

 僕はあれから一度もマリル教会には足を運んでいない。

 母が僕を捨てたのと同じように、僕も、陽だまりの園を捨てた。僕は誰にも相談しなかったし、誰にも選択を迫らなかった。託さなかった。

 僕はどこにも必要ないと思っていたから。

 唯一、ラウ博士が僕の素養を見出す術を切り開いてくれ、エミル様が僕を必要だといってくれた。
 レニ司祭は、僕が生きるべき場所を、取るべき道を選ぶには早すぎると首を縦には振らなかった。

 本当は、そのことだって嬉しかったはずなのに……守られている自分は子どもだということを痛感させられているようで、僕は意固地になった。

 陽だまりの園に、友達なんて呼べる、別れを惜しむだけの存在も居なかった。

 そんな中、ロスタだけは違うかもしれないと思っていたのに結局何もいわれなかった。普段アレだけ五月蝿く絡んでくるロスタが、何もいわないことがとても否定的なことに感じて僕はまた心を閉ざした。

 僕が居る先は大抵涙に濡れる。
 母はいつも泣いていた。
 いつもいつもいつも、僕のことを見たことなんてなかった。

 ただ、泣いていた。

 いつも酔っていてアルコールの臭いとともに大きくなった気がする。

 王宮は最悪だった。
 人々は母を卑下した目で見て、哀れみすら掛けなかった。
 微塵でもそんな場所に出向いた母はいろんな意味で限界だったのだと、子どもの僕でも分かった。だから、僕は母を自由にしてあげたかった。僕は王家の素養を持たなかった。でも生かされた。

 半狂乱だった母に、そっと膝を折った人は母に何事か囁いた。

 そのときの人がラウ博士だったと気がついたのは、僕が図書館に入ってからだ。幼児の記憶力なんてとても曖昧だ。

 僕は、いずれエミル様のことも捨てるつもりだった。
 だから、過剰な奉仕は受けたくなかった。
 王宮にだってそれ相応の施設があるにも関わらず、エミル様は図書館を選んだ。確かにここは世界の全てが記載され、全てを知る場所だといわれる。けれど、ここに入学する必要なんてないはずなのに。

「あれ? いってなかったかな? 僕は王宮から逃げてきたんだよ? 戻らないよあんな檻の中」

 にこにこと草原に走る風のように軽く穏やかに告げた台詞に驚いたなと思い返す。
 正当なターリ様の皇子(みこ)であるエミル様ですら、そう感じなくてはならない王宮が異常なんだ。僕がおかしいわけじゃない。おかしいのは。

「ねぇ、シゼ。これ面倒臭いからさ、こっから切り落として良いかな?」
「ややや! やめてくださいっ! アルファさんっ! それは根っこから採取しないと即座に枯れてしまいますっ。やめてくださいっ!」

「なぁ、さっき頼まれたこれ……わりぃ、形なくなったんだけど、使えるか?」
「使えません……もう、手を出そうとしないでください」

 エミル様と一緒に居たこの人たちだ。
 僕には素養を見る目がないから、この人たちが騎士素養や魔術師の素養に長けていてそれぞれに”天賦の才”をもつなんていわれていることなんて、知らなくて、ただの変人だと思っていた。

 今も、正直その評価は変わらないけれど…… ――

 最初の頃、エミル様は沢山のことを僕に教えてくれた。
 そして、そのうちその必要がなくなることをゆっくりと解いてくれ、それは種の成すことだから、僕の素養だから決して自分に囚われないようにと気に掛けてくれた。

 僕はとても捻くれた性格で、そのうち、エミル様よりもここでの成果が抜きん出てくることを心待ちにしていたのに……そして、大した素養もないくせにと見下すつもりで居たのに……見返してやりたかったのに…… ――

 そうすることで、僕が傷付くとエミル様は最初から知っていた。

 僕に心があると、ちゃんと分かってくれていて……気がついたときには僕はエミル様が大好きだった。

 だから。

「シゼはっけーん」

 突然降って湧いたこの人が嫌いだ。
 無遠慮で、僕を子ども扱いして、それなのにかなり無知で……愚直で感情を隠すことすら出来ない。

 この人の心は見えやすい。
 だから自然とこんな僕を気に掛けてくれていることまで分かってしまう。煩わしいことこの上ないのに、女性なんて泣くことしか出来ない生き物なのに、そのはずなのに……僕はこんな異常な人知らない。

 エミル様が優しいから、この人を気に掛けるから、僕は仕方なく協力する。
 知らなければ済むことばかりじゃない。
 それで居られるほど、この人やエミル様の足元は磐石ではない。そうするために僕らが居る。

 それにしても本当……僕の話を聞いて素直に戸惑う姿は滑稽だ。僕に気を遣うなんて、有り得ない。
 自然にそんな態度になるこの人を見ていると、白い月はとても平和で美しいときで溢れた場所なのだろうと思えてくる。

 今この世界は、青い月に傾いている。
 力が支配し美しいときを夢見ることも少ない。

 マリル教会が崇め奉る白い月。白い月の少女。それがこの人だとしたらなんて人間臭い庶民的な聖女だろう。

 本当に本当、馬鹿げた話だ。
 だから正直なところ、マリル教会に彼女は寄るべきではないと思う。偽りの聖女を勤め上げることが出来るほど、ただの人は強くないから。

「―― ……本当、マシロさんって変な人ですよね?」

 それを挟持しようとする僕はもっと変だと思うし、捨てることが常だったのに何一つ切り離せない今の自分はとても滑稽だとそう思う。

 この調子なら、きっとそう遠くないうちに、僕は陽だまりの園を訪れることになるだろう。そのときは、ちゃんと向き合おう。

 今なら分かる。

 ロスタの気持ちもレニ司祭の気持ちも……母の気持ちは分からないけれど、寂しい人だったのだろうと思う。
 それを気の毒に思うということは自惚れているけれど、仕方ない。

 僕は今、捨てられることを怯えなくていいから…… ――


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