種シリーズ小話:紅譚
▼ 小種42『薔薇の誘惑』

 その日は何気なく花屋の前で足を止めた。
 もともとシル・メシアは季節感が薄い。花屋はそれを象徴しているように、いつもいつでも満開の花が迎える。
 特に花が好きというわけではないけれど……

「何か作りましょうか?」

 愛想の良い、とマシロならいうだろう女性店員が声を掛けてきた。

「用途はなんですか? 自宅用? それともやっぱり恋人用ですか?」

 やっぱりという部分が、僅かに引っかかったけれど、間違いではないから「ええ、まぁ」と頷く。

「ですが、花など喜ぶかどうか」
「花屋の前でそれはないですよ」

 にこにことそういわれて、自分の失言に気がつく。隣にマシロが居なくて良かった。
 居たら多分怒られるだろう。マシロは他人の機微にも敏感に反応するから。

「恋人は女の人でしょう?」
「は?」
「ですから、女性でしょう? という話です。女性なら、まぁ、男性であっても、女性的な部分のある人なら、こういうものを喜ぶと思いますよ?」

 同性を好むように見られたのだろうか? 複雑な気分に陥りつつ、小さく溜息。
 店員は、こちらの気も知らないで、今の季節ならと花を勝手に選び始めてしまった。

「どうせなら店にあるもの全て貰っても良いのですが……」

 本当に喜びますか? と重ねた私に、店員は良く動いていた手を止めて、こちらを珍しいものを見るようにまじまじと見つめた。
 そして、きょろきょろと背後の様子を窺ってから、一歩歩みを寄せる。思わず一歩引いた。袖触れあう距離に他人が来るのは正直不愉快だ。
 それに苦笑した店員は、軽く手招きする。嫌々、腰を折ると小声で話す。

「貴方、いつもそんな風な贈り物の仕方をしているの?」

 問われた意味が分からずに首を傾げる。すると、彼女は腰に両手を当てて小さく嘆息した。

「これだけにすると良いわ」
「ですが……」
「貴方の様子じゃ、その子そんなにものに拘らない子なのでしょ? なんでも沢山とか、お金を掛ければ良いってもんじゃないわ。これを持って、いつもより早い時間から会いにいってあげると良いと、あたしは思うわ」

 全く理解が追いつかないまま、その様子を見ているとまた何か思いついたのか、一本しか握っていなかった手に、もう一本付け足して、くるりと包装してリボンを掛けた。

 ***

 素直に従うのは癪だったものの、マシロが喜ぶならと図書館寮へと足を運んだけれど予想通り、マシロはまだ部屋には戻っていなかった。

「ただいまー」

 暇を持て余すかと思ったら、丁度扉が開いてマシロが戻ってきた。

「おかえりなさい」

 と告げれば、可愛らしい目を丸くしてまじまじと見つめている。そして、ややして僅かに頬を上気させると「どうしたの? 珍しい」と駆け寄ってくる。
 珍しいとは残念だと思ったものの

「マシロに会いたかっただけです」

 口からは自然と言葉が出て、顔が綻んでいるから不思議だ。距離を詰めようとして、ふと足の止まったマシロの視線はこちらの手の中にある花だった。

「これプレゼントです」
「ありがと……綺麗だね? ラッピングもしてあるし、花屋さんに寄ってきたの? ブラックが?」

 受け取った花をマジマジと見つめて、くすくすと楽しそうに笑うマシロに「はい」と頷いたら益々笑った。
 そして「良い香り」と鼻先に近づけて目閉じる。ややして顔を上げると

「似合わないね。ブラックと花屋さん」
「―― ……まあ、そうでしょうね。興味もないので……」
「興味ないのに立ち寄ってくれたんだ?」
「え、ああ……マシロは喜びそうだと思ったので……」

 本当にそれだけの理由で足を止めていた。だからそう告げただけなのに、マシロは砂糖菓子のように甘く柔らかく微笑んでくれた。それが余りにも愛らしかったから、掴まえてしまおうと思ったのにあっさり交わされた。

 そのつもりがないのは、分かるけれど……少し買ってきた花にまで嫉妬しそうになる。

「でも困ったな……花瓶がないや……とりあえず、コップで……」

 コップに水を張りそこに丁寧に包装を解いた花を生ける。

「では明日にでも花瓶を買いに行きましょう」

 相手にされないのが癪で、後ろからマシロを掴まえてそう告げれば不思議そうに見上げてくる。

「一緒に?」
「ええ、そのあと食事もして」

 長い髪の間から覗く首筋に唇を寄せながら紡げば、くすぐったそうに肩を竦める。

「明日も寄ってくれるんだ」
「え、」
「ううん。なんでもない。楽しみだなと思って……」

 いってシンクの端にコップを安定させると、マシロは腕を伸ばして私の髪の間に忍び込ませ後頭部に手を乗せると引き寄せた。そして当然のように重なった口付けは、いつもよりとても甘くて熱い気がした。

 もっと深く欲しくて、マシロの腕を解くと振り返らせて、唇を奪う。

 誘われるように自然に口腔に侵入し、堪能する。こんなことをしてしまえば、もっと欲しくなるのが分かっていても、その衝動を抑えきれない。

 でも、そのままなし崩しにしてしまいたい、こちらの気持ちを分かっていても、マシロは許さない。

 つい、背に回した手で、その柔らかな体に触れようとすれば「もうっ!」と怒って離れてしまう。

 物凄く勿体無い。

 マシロだって瞳は潤んでいるし頬が上気している。口付けだけで足りているはずはないのに……。
 マシロはそのことに気が付かれるのが嫌なのか、直ぐに顔を伏せてぎゅっと抱きついてくる。

 その姿も、ちらりと覗く耳が赤くなってしまっているのも可愛くて、なんでも許せてしまうし、我慢できる。

「ふふ、でもブラックだったら花屋さんごと、買ってきそうなのにね」
「―― ……まさか」

 ずばりをいい当てられて、なんだか気まずい。
 もしも、好きなら一つや二つではなくて沢山あったほうが嬉しいと思っただけで……別に笑い話でも何でもない。

「そうだよね、ごめん」

 尚笑いを重ねたマシロは、落ち着いたのか、そっと離れて、シンクの上にある花へちらりと視線を送る。

「可愛いよね。紅いバラと白いバラ……私あまり、花言葉とか詳しくないけど」
「花言葉ですか? 白は確か”私はあなたにふさわしい”、紅は”死ぬほど恋いこがれています”だったと思いますよ」
「ブ、ブラック……そういうのは、しらっといわないで……ブラックが博識なのは知ってるし、それを意図していなかったのも分かってるから……」
「別に間違ってはいないでしょう? 私の気持ちそのままです」
「だ、だから、そういうのは、ねっ! ……あぁ、もうっ!」

 ありがとうっ! と吐き捨てるように口にして、花を生けたコップを机まで運んでいった。頭の先から湯気が出そうなほど真っ赤だ。

 ことんっと机上にコップを置いて、奥の窓を少しだけ開ける。
 夕時の少しだけ冷たい風がすぅっと入ってきて、マシロの髪を泳がせた。

「でも、本当、嬉しい……明日の約束まで出来るなんて……」
「え?」
「なんでもない。お茶淹れるね、座ってて」
「え、ああ、はい」

 その前に制服を着替えたほうが、とか、マシロも一休みしたほうが、といったほうが良かったのかもしれない。でも、鼻歌でも出そうなその空気に、何もいえずに椅子に腰掛けた。


 机上で、ささやかに咲き誇る二輪のバラがゆらりと揺れる。
 それをどうと思うこともないけれど、いつも以上に華やかなマシロの笑顔が見られたことに、なんともいえず心満たされていた。

 

←back  Next→ ▲top

ぱちぱち拍手♪