種シリーズ小話:紅譚
▼ 小種4『素直な金魚』

 

 ―― ……カリカリカリ……

 私は慣れない羽ペンでシル・メシア語の書き取りをしていた。

 夜の勉強会(私だけ)を行うのは、決まってカナイとアルファの部屋だった。女の子の部屋にどやどや押し掛けるのも良くない。という判断と、エミルの部屋はそういう用途に向いていないらしい。

 ……やっぱりどんな部屋なのか気になるところだ。

 正面ではエミルが穏やかな雰囲気で、のんびりと私のペン先を眺め、時折間違いを指摘してくれている。その傍ではアルファがおやつタイムを楽しんでいるけれど、もう夜中だからこんな時間に食べると体型に良くないのではと思うのに、アルファのスタイルは乙女も羨むほどに良い。悔しいな。

 その奥でカナイは自分のベッドに腰掛けて退屈そうに本のページを捲っていた。

「マシロちゃん。ちょっと口開けて」

 真剣に作業している中アルファに掛けられた声に、素直に口を開けるとぽんっと何かを放り込まれた。もぐっと噛み締めると甘い。

 何だろう?
 ブラウニーかな?

 とか思いながら特に作業の手を止めることなく、短くお礼を告げて机に向かう。

「マシロちゃん、これも美味しいですよー」

 その声に反射的に口を開けてしまった。
 そして予想通り、今度はクリーム系が放り込まれた。これは、ちょっと……狙いが悪くて口の端についてしまったクリームを拭うために羽ペンを置き、顔を上げて初めて、アルファが声を殺して笑っていてエミルとカナイが呆れているのに気がついた。
 ちょいっと口元のクリームを拭って、お行儀悪くその指先を口に入れたあと

「え、ええっと……何?」

 首を傾げた私にエミルは、はっと我に返ると「何でもないよ」と微笑み、カナイは呆れたような溜息を吐いた。何よ、とカナイを睨むとカナイは「お前の世界は平和なんだなー」としみじみ口にする。

 カナイの言葉に眉を寄せると、アルファが我慢の限界とばかりに噴出した。

「マシロちゃん、可愛過ぎます。そんな、確認も無しに……き、金魚みたいに口開けて……」
「あ、開けろっていったのアルファでしょ! そ、そりゃ、こんな時間に甘いものはどうかと思うけど」

 いい訳じみた私の台詞にアルファは益々笑い転げる。くそぉう。箸が転げても可笑しいのか! アルファはっ! 赤くなる顔を隠すこともなく不機嫌になった私にカナイが声を掛ける。

「いや、問題はそこじゃないだろ?」
「じゃあ! どこだっていうの」

 カナイに八つ当たりだ。
 八つ当たりされたカナイは、それ自体は特に気にするでもなく話を続けてくれる。

「だからお前の世界は平和だったんだなって話だよ。他人に何か口に入れられても平気なんだろ? 何か盛られたり、死に直結したりする事態が少ないわけだ」
「そんな物騒なことあるわけないじゃない」

 まあ、絶対ではないと思うけど。私の返答にエミルまで真剣にでも穏やかに

「ここでも一般的にはどうかというのはこのメンバーじゃ分からないけど、他人には注意したほうが良いよ。人に向けられるのは好意ばかりとは限らないわけだし」

 そう告げる。なんだかそんなことをいわれると切なくなる。
 
「落ち込まなくても良いよ。他人を信じられるのは美徳だと思うし、それはマシロの良いところだと思うよ。それに僕らがちゃんと最善の注意を払うから、マシロは気にしなくて良いんだよ」

 なでなでとエミルに頭を撫でられて、私は曖昧に頷く。

「でも俺らも四六時中くっ付いてるわけじゃないからな、自分でも注意してろよ」

 ぽふっと読んでいた本を閉じてそう締めくくったカナイにも頷いた。
 剣と魔法の世界は私が思うより本当に物騒なところのようだ。

「じゃ、話も纏まったところで勉強続けようかな……」

 ぱんっと可愛らしく手を打ったエミルは「その前に」と私に手を伸ばす。きょとんとその手の行く先を追うと

「こっちにもクリームついてるよ」

 私の口元をひょいと拭って、ぱくりと自分の口に入れてしまった。ぼふっと音が出そうなほど真っ赤になった私とは対照的にエミルは特に大したことをした風でもなく笑顔だし、アルファは「エミルさんサイコー」と大爆笑だし、カナイは呆れたように肩を竦めた。

 わわわわ私はもっといろんなことに注意すべきだと決意を新たにした。

 

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