種シリーズ小話:紅譚
▼ 小種37『白木の森』

 王宮は好きじゃない。
 高く堅固な壁でぐるりと囲み、全てのものから逃げ隠れしているようだ。

 逃げる?

 何から逃げているのか隠れているのか、僕には分からない。

 僕は内側の人間だから。

 王城は好きじゃない。
 いつも母が王城のほうを見て泣いているから。
 僕ではどうにもして上げられないと、いつも痛感するから。

 内側の人間は好きじゃない。
 みんな何を考えているか分からないから。笑顔で嘘を吐くから。簡単に命を奪うから。
 誰も、何が大切なのか教えてくれないから。

 好きじゃないものばかりに囲まれて、毎日を過ごしている自分が本当は一番好きじゃない。

 でも、ただ一箇所だけ好きな場所があった。

 本当は進入禁止の区域なのだけど、実は秘密の抜け穴があって守り人に見付からないように入ることが出来る聖域。

 その奥に真っ白に煌く木がある。

 幹も枝も葉も全て真っ白で、時期によっては花をつけていることもあるのだけど、それも真っ白
な花が咲く。だからこの木は何も偽れない。清廉潔白でいて気高く美しい。

 ラウ先生の授業がないとき僕は、よく屋敷を抜け出してここへ足を運んでいた。瑞々しく皇かな幹に背を預け青い空によく映える枝葉を見上げる。降り注いでくる木漏れ日が時折、眩しく僕は片手で遮って瞳を細める。

 所々に見え隠れする、赤や黄色……緑……色とりどりの色彩は、聖域に生息している小鳥たちだ。
 真っ白な木だからどこにも隠れることなど出来ない。

 まるで花が咲き実がなっているようだ。

 こうして、時間を潰していると目の前に広がる湖の湖面が盛り上がり、すーっと僕のほうへと進んでくる。僕はその様子を眺めながらそれが姿を現すのを待った。
 きっとまた、僕を驚かせようとして……じわりと寄ってきたつもりなのだと思う。

 彼らはとても悪戯が好きな種族だから。

 大きな身体を隠すことは出来ず、水面から上がるときに大きく水を弾く。ざぁっと彼の頭上から零れ落ちてくる水は滝となり湖面を叩き飛沫を上げる。

 それに陽光が反射して、宝石みたいに綺麗だ。

 湖面ににじり寄って立ち上がり、顔を出した水竜に両手を差し出せば、ゆったりとした動きで頭を垂れる。僕よりはるかに大きな身体をしているけれど彼はまだ子どもで、とても小さいのだと思う。どういう経緯でここに住んでいるのか分からない。

 ここで繁殖しているというわけではないだろう。
 だって、彼は一人だ。
 僕が始めてここに足を運んだときからずっと一人で、きっとそれよりも前だって一人だったのだと思う。

 最初、彼の瞳は虚空を見ていて僕を映すこともなかった。
 襲い掛かるという本能すら働かない水竜は、きっと元々穏やかな気質なのだろう。

 ひとしきり頭を撫でた僕がそのまま数歩後ろへと下がれば、水竜も釣られて湖からざばりと上がってくる。

 太く短い前足はヒレのような形をしている。ぱしんぱしんっと草を踏み、後ろ足がついて出たところで、どっしりと横たわった。

 長い尻尾がぴしゃぴしゃと湖面を叩く。彼らは水辺から完全に上がることを好まないのだとラウ先生に借りた図鑑に載っていた。

 柔らかな草の上に頭を横たえるとちらりと僕を見る。
 竜の言葉を解する能力はないから、本当にそうなのか分からないけど「おいで」と招かれている気がして歩み寄り、今度は白い木の変わりに水竜に背中を預ける。

 自然の音しかしてこない世界はとても静かで穏やかだ。

 永遠に続けば良い。と、思ってしまうほど僕にとって安息の時間で、自分がどれほど周りの言動に踊らされやすくちっぽけなのかということを痛感する。
 はぁ、と息を吐くと、溜息なのか欠伸なのか分からないものになった。

 少しだけ眠ろう……そう思って目を閉じただけだったのに、次に目を覚ますと日が暮れてしまっていた。こんな時間までここに居座ったことはない。

 僕が目を覚ますのに合わせて、背を預けていた水竜が湖へと戻っていってしまった。

 真っ暗闇のそこに沈んでいく姿はとても哀しい。
 僕は水面の波が収まるのを見届けて「さて」とこれから自分が戻るほうへ身体を反転させた。

 聖域には結界が張ってあるから恐ろしい野生動物は生息していない。
 それは分かっているけれど、夜の森。というのは、あまり気持ちの良いものではないな。と、溜息が漏れる。

 ―― ……このまま、戻らないというのはどうだろう?

 そんなことを思ってしまったけれど、それに答えるように僕のお腹が鳴った。
 自分自身に意味も見いだせなくても、身体は欲求に素直に反応する。仕方がないな。と、自嘲的な笑みを零して一歩踏み出すと、目の前の茂みが、がさりと揺れた。

「誰!」

 思わず上げた声に茂みの揺れは一瞬止まって「あ、こっちか?」と声がすると同時に、がさっと茂みから頭が出てきた。
 唖然とする僕の前で、茂みから出てきた人物はそこから這い出てきて、ぱんぱんっと膝についたほこりとか頭についてしまった葉っぱとか落としたあとにっこりと僕に微笑んだ。

「こんなところに抜け道……というか殆ど獣道ですけど。あると思わなかった」
「……ラウ先生、どうして?」

 ぼそっと零した僕の声にラウ先生は、どうしてって……と笑い、つかつかと僕の真正面まで歩み寄ってくると、ぽかりっと僕の頭を叩いた。
 それなりの痛みに僕が頭を抑えて先生を見上げると、先生は呆れたように溜息を吐く。

「こんな時間まで戻らなければ、皆が心配します。キリアが隊を率いて探すと騒ぐ前に戻りますよ」

 ラウ先生は大げさだ。
 高々子ども一人居なくなったくらいで、一戸小隊動かすなんて有り得ない。ああ、でもキリアならやりかねない。代えがなくなったらきっと困るだろうから。

「そうですね。代えになる王子が居なくなったら困るだろうし」
「ん? ああ、エミル様は卑屈な方でした」

 失礼だ。ラウ先生の暴言に眉を顰めたが先生はそのくらい気にしない。正直先生だけは、何者にも屈しないイメージがある。屈しないというか捕らわれない、というほうが正しいかもしれない。

「子どもが一人、日が暮れても戻らなければ大人は心配するものです。それにね、誰かの代わりが嫌なら、誰にも代わりが勤まらないものになりなさい」

 ぽすっと大きな手を僕の頭に乗せてそういったラウ先生は僕の顔を覗き込んで、にっこりと微笑む。

「ラウ先生みたいに、ですか?」
「私? 私は、そうですね。私に代わりは出来ないでしょう。私が誰の代わりも努めることが出来ないのと同じように……」

 いって僕から顔を上げた先生は白い木を仰ぎ見た。

 月明かりを浴びてそこに佇む白い木は、まるで内側から光を発しているように、雄大で優麗な姿でただそこにあった。

「美しいとき……それは囚われ人でしかない私たちには到底見ることの叶わないものなのかも知れないですね。ここに住まうもののみ、その恩恵にあやかっているようだ」

 殆ど独り言のような台詞。僕は何も応えることが出来なかった。

「エミル様。そう、遠くないうちにここを出ましょう。そろそろ私も飽きてきた、ここに私を縛っておけるだけの魅力はもうあまりない……貴方も、素養に縛られるだけの人ではないようですし」
「……本気?」

 思わず問い返した僕にラウ先生は、子どものような笑みを零して肩を竦めると「もちろん」と頷いた。

「私はね、冗談はいいますけど。嘘は吐きませんよ? 嘘は一つ吐くと、それを隠す嘘が必要になってくる。そうやって重ねていくといつしか真実が見えなくなる。そういうのはとても面倒臭い」

 面倒なんて言葉で片付けてしまう辺りラウ先生らしい。



 そして名残惜しいその場に別れを告げた僕を待っていたのは、号泣している母と屋敷の前に整然とならんだキリアの部隊だった……。

 それから僕は聖域には足を踏み入れていない。

 何故なら……見逃してくれそうな、ラウ先生があっさり抜け道を塞いでしまったからだ。僕が酷くそのことを残念がったらラウ先生は悪びれる風もなく

「子どもは常に新しい発見をしていくものです。また、見つければ良いですし、駄目なら……」

 意味深に言葉を切ったラウ先生に、僕は素直に続きを促すように問い返した。

「駄目なら?」
「新しく作りなさい、ご自分で」


 聖域は唯一美しいときに満たされている場所。
 決して犯されてはならない禁断の土地。 

 求めるだけでは手に入らないそれを、僕は自分の足で探すことにした。

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