種シリーズ小話:紅譚
▼ 小種36『小さな希望』

 部屋を出たときは二人だったのに、研究室に戻ってきたエミルが一人になっていたことにアルファは素直に眉を寄せた。
 そして、そのまま無菌室へと戻ろうとするエミルを掴まえて咎めるように口にする。

「マシロちゃんはどうしたんですか?」
「辺境の町だよ。もう、時間がないから無理矢理馬車に乗せたよ」

 淡々と口にしたエミルにアルファは益々眉を寄せ、困惑した表情のまま分からないと首を振った。

「どうして、どうしてあんなところへ行かせるんですかっ! 行く必要なんてないのにっ! 種屋になんて頼らなくても、マシロちゃんのことは僕らで」
「……ごめん、アルファ。僕にも分からないよ……分からないけど、マシロは行かなくちゃいけないと、そう、思っちゃったんだ」

 アルファを真っ直ぐに見ることも出来ずにそう呟いたエミルに、アルファは尚も分からないと重ねた。

「望みだったからだろ?」

 黙々と作業の手を休めることのなかったカナイが、ことん……っと、作業の手を止めて魔法石を机上に置くと、ぽつと答える。
 なんですかそれっ! と、食って掛かりそうなアルファに、カナイは眉を寄せたまま口角を引き上げた。いつもと違う反応に、アルファはカナイが泣いているように見えて顔を逸らすときゅっと口を引き結ぶ。

「エミルは他人の望みに敏感だからな……それに、あんな顔されてたら仕方ない、だろ?」
「分からないですっ! 仕方ないってなんですか! 僕、嫌です。闇猫がどんな奴かみんな……みんな知ってるじゃないですか……」

 感情をぶつける先なくそういい捨てたアルファは、がつんっ! と、部屋にあった丸椅子を蹴り倒した。誰も何もいわない室内に、むなしく椅子が転げる音が木霊する。

 転がっていった椅子を黙って見送ったあとエミルは、ごめんね。と、残して研究室の奥へと消えていった。
 その姿を見送ってアルファは、とぼとぼと蹴飛ばした椅子を拾って戻ると、その椅子を跨ぐように腰掛けて深い溜息を落とし、机に突っ伏す。

「カナイさん、様子見にいって下さい。先回りして、種屋に近寄らせないで下さい」
「子どもみたいなこというなよ」
「……良いです。今日だけは今だけは子どもで良いから」

 お願い……と、重ねたアルファに、カナイは細く長い息を吐いた。
 そして、黙って止まっていた作業を再開する。

 それを肌で感じたアルファは「カナイさんのケチ……」と小さな声で零して手の甲に額を擦り付けた。

「エミルさんなら良かったのに……」
「それ、エミルの前でいうなよ」
「……分かってます」

 こつんっこつんっ、とアルファが足先で机を弾く音が静かになった室内に響いた。

 好きの気持ちにある特定の意味を含ませることは、きっと自分以外には誰も出来なくて……それに気がついてしまったらやっぱり誰も止めることも出来ないのだろう。
 好きとか、嫌いとか、いっそ永遠に子どもであったほうが分かりやすくて単純で……良い……湧いてくる苛々に、唯一人蓋をすることが出来ないアルファを見てカナイは何となく羨ましさすら感じた。

 あれから三人とも特にマシロについて口にすることなく。約束の時間まで過ごした。
 外は祭りの陽気で騒がしく、いつもは静寂が支配している図書館内も、自分たちの気持ちとは対照的に浮き足立っているような気がする。
 そんな中、三人は寮の裏口から表に出て、ぼんやりと今日も良い天気の空を仰いだ。

「マシロちゃん……来ないと良いですね」

 寮の壁に背中を預けぼんやりとしていたアルファが無言を破るように、ぽつっと呟いた声に、裏口の石段に腰を下ろしていたエミルが「……うん」と頷いた。

「……かなり期待は薄いけどな?」

 最後の最後まで、念入りに魔法石のチェックを行っていたカナイが、僅かな笑いを含んで口にすると、アルファは素直に頬を膨らませエミルは苦笑して「そうだね」と頷いた。

「マシロ、あれでいて頑固だもんね。きっと来るね」
「来る、だろうな……」

 曖昧な笑みを浮かべてそう重ねた二人にアルファはちぇーっとぼやいて、地面をがりがりと靴底で掻いた。
 その姿に、エミルはふふっと微笑んでふと大通りの方を見ると「あ」と腰をあげた。

 三人の僅かな希望はやはり薄かったようだ…… ――

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