種シリーズ小話:紅譚
▼ 小種35『人体実験の理由』

 ……いつもカナイは不機嫌そうだ。

 基本的にこいつは不機嫌顔が標準装備されているに違いない。
 違いないけど……。
 アルファにお茶を淹れてもらいながら、正面に座ってぶすっとしているカナイの顔を覗き込むとあからさまに逸らされる。眉間にこれ以上刻めないという、ふっかい皺を刻んで。

「私? また、私は何かした?」
「―― ……」

 無理矢理カナイの視界に入るように、割り込んで問い掛けると物凄く不愉快そうに、それでも違うといいたいのか首を横に振った。

「マシロちゃん。物凄く面白いと思いますけど、カナイさんは放って置いたほうが良いですよ? 今薬抜いている最中なんです」

 アルファがコトっとテーブルにティーカップを載せてくれながら、そう答えてくれる。「薬?」とアルファを仰ぎ見ると物凄く楽しそうだ。そして放っておけといいながらも、アルファはちょっかいを出したくて堪らないという風にちらりとカナイを見る。

 カナイは身に危険を感じたのか、がたりと椅子から立ち上がったが遅かった。アルファは小さな身体でカナイを背後から片腕でホールドすると、ばたんっ! と派手に押し倒し空いた手で擽り攻撃を開始した。

 苦し紛れにカナイが指を鳴らし、テーブルの上にあった紅茶をアルファめがけて水鉄砲のように打ち付けたが無駄だ。

 やめろという気にもなれずに、私は自分の分のティーカップを片手に立ち上がると安全圏に非難する。大体大人の男が二人暴れまわるには室内は狭すぎる。

 こくんっとカップに口をつけるとダージリンだ。美味しい。

 今日も良い天気なのにこの調子ならカナイは引き篭もり、アルファは夕方のロードワークまでカナイで遊ぶんだろうな。

 エミルは何やってるんだろう?

 カナイに薬を盛ったのは確実にエミルのはずなのに、当人が居ないっていうのはどうしたんだろう? いつもなら経過を見守ってるのに。

「っ! ……ぁ! やめ、やめろっ!」

 ―― ……ごほっ!ごほっごほっ!!

 咽た。
 盛大に咽た。

 飲んでた紅茶が入ったらいけないところに入った。

 今のは何っ!? 

 どこから聞こえてきたのかと、私は声のしたほうへ向きを変えるとカナイに乗っかっていたアルファは今は逆にカナイに組み敷かれていた。

「お前いい加減にしろよっ!」

 凄みを利かせたのはカナイだ。
 だから声を発したのもカナイだと思うけど……。

 アルファは下敷きになっているのに大爆笑だ。涙が出そうなほど笑っている。

「か、カナイ?」

 恐る恐る声を掛けた私に、カナイは私の存在を忘れていたのか、切れ長の目を大きく見開いて、うっと息を呑んだ。

「あ、はははっ! ああ、もう、最高。カナイさん可愛いっ。可愛いけど、ちょっと退いて下さい。重いですよー」

 放心したカナイを押しのけてアルファは立ち上がると、あー楽しかった。と満足げだ。当のカナイはというと壁にもたれ掛かって座り込んでしまった。
 膝の間に頭を埋めて「俺のことは放っておいてくれ」とか「一生じゃない」「直ぐ治る」とかぶつぶついっている。

 いってるけど……その声は、美少女声だ。
 アニメ声優声だ。
 とても良く通る可愛らしい……声だけ聞いていればどこの美少女かと探しそうな声だ……。

「……ええっと……ご愁傷様です」

 私はカナイから顔を背けて、笑い声を我慢しようと必死に唇を噛んだが、アルファが私の横腹をちょんっと突くのでぶふっと噴出してしまった。

 ごごごご、ごめんねっ! カナイっ。

 カナイは益々頭を沈めた。

 ―― ……かちゃ

 丁度そのとき諸悪の根源だと思われるエミルが、特に何事もないように部屋に入ってきて、私の姿を認めると「ここに居たんだ?」とにっこり微笑んだ。

「んー? どうしたの? やけに散らかってるけど。アルファにしては珍しい」
「すみません。直ぐ片付けます。ちょっとカナイさんと遊んでたので」

 カナイで、の間違いではないだろうか?
 アルファは短く詫びてさくさくとずれてしまったテーブルを元の位置に戻し、机の上から放り出された本とか集めてちゃっちゃと片付ける。
 その様子を眺めつつ「仲良いよね。二人とも」なんて感想を述べるエミルは、かなりズレてると思う。

「ほら、カナイさんのせいで割れちゃったカップとか、直してくださいよ。何隅っこで丸くなってるんですか」

 そしてアルファは鬼だ。
 天使の顔をした悪魔だ。

 はぁ、と深く嘆息したカナイはゆっくりと顔を上げて、床に散らばったガラス片を見てもう一度嘆息。頭を膝に乗っけたまま軽く指先を振る。カップの欠片が僅かに光を帯びてかちゃかちゃと動き出し十も数えないうちに元の姿に戻ってテーブルの上に戻った。

「今日は一体何で失敗したの?」
「え? 別に失敗はしてないよ?」

 用意してくれた席に私もエミルもいつものように座って、私は問い掛けたがエミルは穏やかにそう答えて「どうして?」と首を傾げる。

「でも、カナイのあの様子を見たら成功しているようにはとても……」

 いわれてエミルは「あ」と何かを思い出したようにカナイを振り返り、ごめんごめんと重ねた。

「ほらそんなところで拗ねてないで、はい、これで元の声に戻るよ」

 カナイのほうへ小さな瓶を持った手を伸ばす。

「あれ? 放っておいても治るんじゃなかったんですか?」

 改めて淹れなおしたお茶を準備しながら、そういったアルファにエミルは「そうなんだけどね」と苦笑した。

「カナイがあまりにも気持ち悪……い、じゃなくて、その、可哀想かな。と思って」

 エミルも実質カナイを苛めるの好きだよね? 本音が先に漏れてるよ。
 私は曖昧に微笑んだ。
 どうしてカナイはいろんな目に合いつつもエミルが好きなんだろう? カナイやアルファがエミルの傍に居るのって、エミルが王子様だからって理由だけじゃないと思うんだよね。

「あ、あー……あ」
「大丈夫戻ってるよ」

 直ぐに飲んだのだろう、カナイの声確認に私はふふっと笑いながら頷いた。カナイは目にも明らかにほっとしている。
 でも、あんな声にされたのに、これで治るっていわれたら疑わずに飲んじゃう辺り……カナイって本当にエミルに甘い。私でも、本当に大丈夫かと念を押しそうなものなのにそれもなかった。

 こういうときはなんとなくこの三人の関係を羨ましく思う。
 私には元の世界に戻ってもそういう友達はきっともう居ない。

「どうしたんですか? マシロちゃん。はい。クリムラの生チョコケーキですよ。朝並んだんです」

 ……授業に居ないと思ったらそんなところに行ってたのか……。

 がくっと肩を落とすとエミルが「ちゃんと授業に出なきゃ駄目だよ」と窘めているが……口だけで特に怒っているようにも咎めているようにも思えない。

 二人がエミルに甘いようにエミルも二人に甘い。

 私は目の前に置かれた見た目にも愛らしいケーキを見つめて。食べてーというケーキからの声に応えた。

「美味しい」

 もぐもぐと暫らく美味しいケーキを堪能する。
 それにしてもこの間カナイは女の子にされていた。女性ホルモンを急激に増加させたら……なっちゃったらしい。その前は、獣族もどきになっていた。
 どう考えてもカナイって遊ばれているようにしか思えないんだけど……。

「エミルって、カナイで暇つぶししてない?」
「え? やだな、マシロ。どうしたの? 僕はそんなことしないよ。普段扱わない薬の調合を発見したらやってみたくなるし、それを少し改良してみたくもなるよね?」

 私は同意しないといけないのかな?

「カナイも泣くくらいなら拒否れば良いのに」
「別に泣いてねーよっ! それに時々は拒否してる。しても盛られるんだから仕方ないだろ」

 いや、絶対泣いてた。……それに時々なんだ。重ねて仕方ないで済むんだ。カナイのイタさに思わず泣けてくる。

「アルファは絶対に飲まないし、本人も飲まないんだったらお前が飲むのか?」
「マシロちゃんは駄目。マシロちゃんに何かあったら笑えないから」

 一口でケーキを食べてしまったアルファは、カナイの分を横取りしながら即答した。

「それにマシロは種を持たない身体なんだよ? 何か予測不可能な反応が起きたら困る。取り返しのつく程度のことなら良いけど、保証もないし……」

 優雅にティーカップを傾けつつそういったエミルに「俺は予測不可能なことになっても良いんだな」と眉を寄せた。エミルはにっこり微笑んで「そんなこといってないよ」と口にしたけど私にもそう聞こえたよ。

「それに唯一の花を手折ることなんて出来ないよ」

 にっこり微笑むエミルと目が合って、私は頬が紅潮するのが分かる。
 そして、その様子を見てくすくす笑うエミルにからかわれていると実感。私が眉を寄せればやんわりと謝罪の言葉が返ってくる。

「マシロちゃんは、何もしなくても厄介ごととか、面倒ごとを持ち込んでくるので、十分退屈しないんですよね」

 にこにこっと毒なくそうアルファに告げられて私はがくりと肩を落とした。
 落としたのに、エミルもカナイも笑って確かにと頷きやがった。でも……まぁ……こんな私に楽しんで付き合ってくれるのはこの三人と+一匹くらいだろうから……良いか。

 ほんの少しだけ恥ずかしくて赤くなる顔を隠すように私は両手でティーカップを包み込み。そ……と傾けた。

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