種シリーズ小話:紅譚
▼ 小種34『麗らかなる季節』

 春麗らかなる……。

 とか呟きたくなる陽気。本当に雨の少ないところだなと思う。
 そして気候も穏やかだ。
 屋上庭園は空が近い。近い上に緑も多くてかなり癒し系スポットだと思う。

 今日は珍しくギルド依頼もなく私は時間を持て余していた。
 エミルの部屋を訪ねようと思ったら怪しい煙が出てたので遠慮した。
 カナイはいつも通り図書館の奥に篭っていたし、アルファは私の隣でお昼寝中だ。

 木漏れ日にアルファの金髪がキラキラとしていて、一枚の絵画のようにも思える。
 そして、お昼寝中なのはもう一人居て、私の膝の上で丸くなっていた。

 現われて早々、私の膝の上を陣取った黒猫は、ぴたんぴたんと私の膝を尻尾で打つ。それを眺めつつ艶やかな毛並みを撫で付けると、それにあわせて光が流れていく。

 私の手がくすぐったかったのか前足で顔を掻く仕草なんて……猫そのものだ。

「種屋って暇なの?」
『暇ですよ。マシロのこと以外に重要なことはないですから』

 ふわぁぁっと出てきたあくびを隠すことなく披露してブラックは答える。
 ブラックの話なんていつも話半分くらいでしか聞いていないので、私が、ふーん、と流すとブラックは少し拗ねたように私から顔を背ける。
 今の姿で何をやっても可愛いだけだと、きっと本人が気がつくことはないだろうから、私もあえて突っ込まないけど、ふふっと笑いが零れてしまう。

 不貞寝しているように見えるブラックの前足をそっととって柔らかな肉球に触れる。

 ……肉球も黒い。

 でも確か肉球が黒い子ってお利口さんなんだよね。そっか、ブラックはお利口さんなんだ。

「……戻ったら猫飼おうかな」

 特に意識していなかったのにぽろっと零れてしまった言葉。思わず、きゅっと口を引き結ぶ。隣のアルファとブラックを交互に見るとどちらも目を開ける様子はない。
 聞かれなかったんだと、心のどこかでほっとする。

 私は少し帰ることを心苦しいと思っているのかな。

 はぁと短く嘆息して、触れていた肉球に軽く爪を立てる。くすぐったかったのかぺしゃんっと頭にくっ付いていた耳が立ってぴるぴると震えた。

「―― ……ずっとこのままなら良いのに」

 口にしてから考える。

 何がこのままだったら良いんだろう?

 頬を撫でていく風に瞳を細める。

『マシロ……そろそろ勘弁してください』

 暫し物思いに耽っているとブラックの泣き言が聞こえた。
 どうやら私は無意識のうちにブラックを玩具にしていたらしい。私に握られたままになっていた前足をふるふるっと振って私の手の中から逃れるとブラックは私の膝の上に立ち上がり、んーっと伸びをして身体を震わせた。

「猫」
『猫ですよ。一番初めにそういったじゃないですか』

 結構長いこと膝を占領されると割と重たく感じるのだけど、ブラックは気にしないらしい。ブラックは私の膝に座ると顔を洗いながら『ところで』と切り出す。そして、私の顔を見上げて、すぅっと瞳を細めた。
 それに思わず身構えたがブラックはとんっと私の膝から隣りへと下り腕に擦り寄ってくる。

『元に戻って良いですか? マシロを抱き締めたいです。騎士様はお昼寝中ですし、問題なら永遠の眠りについていただいても構いませんし』

 ねぇねぇねぇ……というように頭を摺り寄せてくるブラックに、物凄い和んでしまった。和んでしまったら……もちろん。人型却下だ。

「駄目だよー。今のブラックが超可愛いっ! 大好き。犬派から完全に鞍替えして猫派になっても良いくらい好き」

 よいしょとブラックを抱き上げて抱き締める。

 はうー……可愛いー……。

 色々悩んでたのを一掃してくれるくらい癒される。というかこの瞬間だけは何も考えなくても許される気がする。

 ブラックは、そんな私に溜息を吐いたが、特に爪を立てるわけでもなく諦めたように唯一自由になっている尻尾をゆらりゆらりとさせた。

「ふわぁ。マシロちゃん、何の騒ぎですか?」

 私の興奮気味な声にアルファがお目覚めだ。アルファは私の腕の中に居た猫を見て、眉を寄せる。

「……なんかその猫。よくマシロちゃんの傍に居ますね? 黒猫なんて縁起悪いですよ。ぽいしてください。ぽいって」

 しっしと手を振ったアルファから私はブラックを庇うように背を向けた。

「こんなイタイケナ仔にそんなことするのは酷いよアルファ」
「えー、でも黒猫ですよ〜。今、黒猫なんていったら、種屋ぐらいしか連想できないじゃないですか」

 間違っていないだけになんともいえない。

「それにこの気位の高そうな顔ー。可愛げがないにも程がありますよー」

 私の肩に顎を乗せて腕の中を覗き込む。そして腕を伸ばしてくるアルファに私は益々身を縮めた。

「なーにやってんだ? アルファ」

 丁度良いタイミングで掛かった声にアルファは「あ、カナイさん」と私から身体を離し、声のしたほうへ振り返る。カナイは、んーっと両手を空に突き上げて伸びをしながらこちらに歩み寄ってきた。
 そして直ぐに私の腕の中に気がつくと「おおっ」と喜色を浮かべる。カナイの上がるテンションにブラックのテンションは駄々下がりだ。

「あ、みんなここに居たんだねー」

 と、最後に遅れてやってきたのはエミルだ。
 手には怪しげな色をした液体が入っている小瓶を持っている。カナイと私は微妙に下がって「それは何?」と訪ね、アルファはぴょんっと跳ね上がると嬉しそうにエミルに寄っていって瓶を取り上げる。

「変身薬だよ。あとはなりたい物の一部を入れれば良いんだ」

 だから……と続けて、私の手の中のブラックに目を留める。

「その猫の毛少し頂戴」
「嫌だよ」

 即答。

「んー、じゃあ、マシロの髪の毛でも良いよ?」

 にこりとそういったエミルに私はもう一歩下がった。私の髪の毛ってことは私にはそれ以上の被害はないと思うけど……なんとなく。

「ちょっと待て、そのあとそれは誰の口に運ばれるんだ?」
「もちろんカナイだよ」
「もちろんなのか?! それは決定事項なのか?!」

 慌てたカナイにエミルは「え? 駄目なの?」と可愛らしく首を傾げた。
 駄目なのって駄目だと思うよ。うん。でも矛先がこちらに向いたらいやだから、突っ込まないけどね。

「っ! 痛」

 ぼんやりその様子を眺めていたら頭に、ちかっと小さな痛みが走った。
 私の許可なく髪の毛を一本引っこ抜いたアルファは手の中の瓶に迷いなく放り込む。じゅわっ! と音を立てた中身は紫色の煙を上げた。

「……これ、飲んで安全なの?」

 思わず零れた私の言葉にエミルは「大丈夫だよ」と微笑んだけどカナイは断固拒否した。

「うーん、じゃあ、猫君に飲んでもらおうかな」

 私の「怖いこといわないでっ!」とカナイの「やめてやれ!」が被った。
 エミルは二人とも仲が良いね? と微笑んで続ける。

「大丈夫だよ。きっと。それに結果が伴うかは飲んでみないと分からないじゃない?」

 やーめーてー……。

「やっぱりこういうのはカナイさんの出番だと思いますよ」

 にこにこと小瓶フリフリしていたアルファはじりじりとカナイとの間合いを詰める。

『仕方ありませんね』

 ブラックの溜息が聞こえた気がする。

「あ」

 たんっと私の腕の中から飛び出したブラックは身軽にアルファの手元の瓶を引っ掛けて地面に落とさせると器用に避けて、そのまま、たっと走り去ってしまった。
 地面からじゅわっと危険な音がして、液体は蒸発し割れてしまった瓶の破片だけが残った。

 キラキラと陽光を反射する破片を、みんな暫らく見つめていたが「うーん、失敗だったのかなー?」と首を傾げたエミルにとりあえず誰も何もいえなかった。

 良かったね、と、カナイの背中をぽんぽん叩くとカナイは曖昧に頷いた。


 こんな有り得ない日々、きっと元の世界ではおくれないだろうな……だから、今、しっかり目にも心にも焼き付けておこう。

 私はそっと三人を順番に見てブラックが走り去ってしまったほうを見つめて一人頷いた。



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