種シリーズ小話:紅譚
▼ 小種33『夢に終わりを告げるもの』

 帰らなきゃ、帰らなきゃ……帰らなきゃ……。

 これは夢、夢。
 有り得ない塊で出来上がったただの夢。

 自分でも良く分からないけれど、きっと心のどこかで考えていた想像の塊。私の頭の中を具現化とかしたのかもしれない。
 その結果がこれというのはどうかと思うけど、自分自身の深層心理なんて基本的に分かるはずもなく、こうやって形にされて始めて、私って馬鹿だなと思う。

 こんなの逃避でしかない。
 だから、私は帰らなきゃ。

 なのに……私は心のどこかで帰りたくないと思っているのかもしれない。
 嬉しい気持ちもあるはずなのに、私は哀しい。

 胸が痛くて……もしも、計画が失敗したら……それでも私は構わないような気がしていた。失敗すればもう少し、もう少しだけここに居られる。そうしたら、みんなとの「さよなら」も先に延ばすことが出来る。

 夢だからそのうち覚めるだろう。
 なんて小さな期待を抱きながら、ここでの毎日を繰り返すことが出来る。

 ―― ……好きです。

 ブラックの言葉を反復する。
 好きとか愛してるとかこれまでだってブラックは口にしてきた。
 自分のものだとさえ公言していたのだから、好きとか以前の問題発言もあったのに、今まではなんとも思わなかった。振り回されているだけだった。

 でも、あのときは……。

 ふぅと溜息を落として、星が沢山見える空を見上げる。

 とても綺麗だ。

 私は別に星に詳しいわけじゃない。だから綺麗だなという簡単な感想しか述べることは出来ない。
 さわさわと優しく木々の葉を揺らし吹き抜けていく風が私の頬を撫でる。
 私にとってこの世界はとても穏やかだ。外には危険があったけど王都の中ではそれを感じることはない。

「おやー? 珍しくお一人ですか?」

 感傷的になっている私に、自称暇人の声が聞こえた。私がぐんっと後ろを振り仰ぐと予想通りにこにことラウ先生が覗き込んできた。

「どうかしましたか?」
「え……ああ。いえ……」

 ラウ先生は「お隣失礼しますね」と私の隣を陣取り同じように空を仰ぐ。
 私は首が痛くなる前に顔を戻し、問い掛けられた質問に曖昧に答えると首を振った。みんなの頑張りを知っているラウ先生に帰りたくないかもしれないなんていえない。それなのに

「帰りたくない? 貴方の心を捉えてやまないものでも出来ましたか?」

 考えていたことを直ぐにいい当てられて私は肩をびくりと強張らせた。

「ここはマシロにとって居心地が良い世界? みんな君に甘く優しい。あの闇猫でさえ君に惑わされている」

 ゆっくりと続けたラウ先生に私は何も答えられずに俯いた。

「もしも、そうであるなら残れば良い。貴方が夢だと思うのなら、覚めなければ良い。そう、思いませんか?」
「……思いません」

 私は嘘を吐いた。

 私の中でその答えがはっきり嘘だと分かってる。分かってるけど、私はそれを認めることは出来なかった。
 目を閉じて深呼吸する。
 新しい空気が身体の中を巡り少しだけ気分が軽くなる。

「残していくほうと残されるほう……どちらが辛いのでしょうね?」
「ラウ先生?」

 ラウ先生の言葉に私がきょとんと聞き返すと先生はにっこりと微笑んで「少し思っただけです」と答えた。

 どちらが辛いのだろう……。

 真剣に考えていると急に先生は、ふふふっと声を出して笑った。その声に私が先生を見つめると口元を押さえて微笑んで「すみません」と謝罪し話を続ける。

「私はこれでも結構長生きをしていましてね? 闇猫とは先代のころから顔見知りなんですよ。ふふ……種屋というのは特殊なのか一様に同じような雰囲気を持っている。その猫がマシロのような可愛らしい女の子に振り回されていると思うと可笑しくて」
「ふ、振り回されているのは私です!」

 思わず強い調子で答えると先生は、ふふっと笑って肩を竦めると「そうでしょうか?」と答えて「貴方がそういうならそうなのでしょうね?」と締め括った。

「せ、先生は、何をいいに来たんですか」
「ん? 特に何も……。無用心にもこんなところでお姫様が一人いらしたのでナイトたちの代わりをしてあげようと思っただけですよ」

 そろそろ部屋へ戻りましょう。送りますから。にっこりと立ち上がり私に手を差し出したラウ先生の手をなんだか取る気になれなくて、私は「大丈夫です」と立ち上がる。

「おや? もしかして、私は嫌われていますか?」

 突然そんなことを口に出されて私は首を傾げた。そんなこと考えたことない。
 不思議な人だなとは思うけど……。素直に驚いた顔をしていたのだろう私にラウ先生はくすくすと笑ってすみませんと謝罪した。

「そんなことを考える対象にすらなっていなかったんですね?」
「え? いや、そんなことないです」

 慌てて否定した私にラウ先生は「本当ですか〜?」と手を伸ばしてくる。思わず身を引いてしまった。あ……と思ったけれどラウ先生は気分を害した風はない。

「おかしいですね。私の見ていたところではマシロは警戒心がとても薄い感じがしていたのですが……私が怖い?」
「え? 怖い? ……そんなつもりはないんですけど、どうしてだろう? 先生は凄く綺麗で、何だか触れられると惑わされるような気がします」
「はっきりいいますね?」

 先生は怒った風も感情が特に動いた風もない、ただやんわりと微笑んで左目にあてがっていたモノクルを少しだけ直した。それだけの動きなのに目を離すことは出来ない。

「貴方を惑わせるのは闇猫でしょう?」
「……え、あ……ブラックは、彼はそんな風じゃなくて持て余しているだけです。力も気持ちも……だから常に純粋で」

 言葉を重ねて私は途中で何をいっているんだと口を噤んだ。
 先生はそんな私を珍しいものを見るような目で見て「よく理解しているんですね」としみじみ口にする。

「だから私は、何を考えているか分からないから警戒されているんですね。私の本心が見えない。あの闇猫以上に」

 ぽつっとそう続けた先生は、不意に空を仰いで「なるほど」と勝手に納得している。

「私に、本当なんてないんですよ」

 自虐的とも取れる先生の台詞に私は反射的に「そんなことないです」とそれまで何となく触れられなかった先生の袖を掴んでいた。

「じ、自分の本当を知っている人なんて少ないと思います。み、みんなそれを心のどこかで探してて、それで、他人の姿にそれを映す。他人と関わることで自分を見つけるんだと、そう……」

 って、私はなんで先生にそんなことを。はたっと我に返った私は自分の発言が馬鹿げていると感じて恥ずかしさに、かーっと顔が赤くなる。先生の顔を見ることが出来なくて慌てて顔を伏せる。

「私はよく……エルリオンに大きななりをした子どもだといわれます」

 ぽつりとそう口にした先生は綺麗な指先で私の輪郭をつっとなぞり促されるように顔を上げた私と目を合わせると優麗な笑みを浮かべた。

「白い月の少女……か」

 あながち冗談でもないらしい。と続けて、すっと腰を折ると私の頬に頬を寄せ私が緊張に身体を固くしていると「ラウ博士」と聞き馴染んだ声が掛かった。
 その声にラウ先生は私を解放し扉のほうへ振り返る。

「マシロが固まってますよ。離れてください」

 影になっていた姿が月明かりに照らし出されると、私はほっと胸を撫で下ろした。エミルだ。エミルはゆっくりと私たちの傍へ歩み寄りながら「そろそろ頃合いかなと思ってきてみれば」と苦笑している。

「もしかして私が部屋を出たの知ってた?」
「お隣さんだからね?」

 にこりと微笑んだエミルの傍によるとふわふわと頭を撫でられる。
 最初はこれも凄く恥ずかしかったのに今は慣れたのかとても心地良い。

「マシロは捕まえられませんよ」

 いつも通りの穏やかな調子でそういったエミルを見上げると、エミルはラウ先生を真摯な目で見ていた。そんな視線を受けても軽く流してしまうようにラウ先生は軽く肩を竦めてそれは残念と微笑む。

「では、王子が迎えに来たことですし私は戻りましょう。ですが、二人とも消灯時間は過ぎているんです。早く戻らないと軍艦さんに怒られますよー……」

 ああ、寮監さんです。と、悪戯っぽく微笑んでそういい直したラウ先生に私も釣られて笑って頷いた。ラウ先生が姿が完全に見えなくなってからエミルが「戻ろうか?」とそっと背中を押してくれる。

 エミルの手は大きくて暖かい。
 男の子だから手の温度はそれほど高くないけど何となく暖かいイメージが定着している。

 部屋までの道のり、私たちは手を繋いでいた。これも最初は抵抗があって恥ずかしかったけど今は当たり前のように手を繋いでいる。ほんの少し、どうしても高鳴ってしまっている心臓の音に気がつかれると恥ずかしいなと思うのだけどエミルがそんなことを口にしたことはない。

 消灯後の廊下は足元を照らす柔らかい魔法灯の明かりと窓から差し込んでくる月明かりのみだ。無言を居心地悪くは感じない。そのくらいは一緒に居たと思う。

「ねぇ、マシロ?」

 呼びかけて握る手に力が篭る。うん。と返事をしてエミルを見上げるとエミルはぼんやりと廊下の先を見ていた。

「マシロ……少し迷ってる?」

 何も答えない私にエミルは「決断するって辛いね?」と緩く微笑んだ。

「エミル?」
「ラウ博士何かいってた?」

 問われて私は少しだけ考えた。

「……残されるほうと残していくほうはどちらが辛いか……って……私……」

 最後まできちんと告げられない私にエミルは「そっか」と追求はしなかった。

「でも、迷ってくれてるんだとしたらと僕はちょっと嬉しい。それだけシル・メシアも気に入ってくれてるんだよね? この場所はマシロにとって居心地の良い場所なんだよね……」
「それは、もちろんだよ。現実でこんなに私を甘やかせるのなんてお兄ちゃんくらいだよ」

 臣兄は私にどこまでも甘い。少しだけ臣兄の笑顔が懐かしい。

「お兄さんの気持ちは分かるけどね」

 くすくすと笑ったあとエミルはふと足を止め……現実、現実……か……と細く呟いた。

「夢なら、やっぱり覚めないといけないのかな……」
「え」

 続けた言葉が余りに小さくて上手く聞き取れなかった私は、エミルを見て問い返したけどエミルは首を振った。そして真っ直ぐ私を見つめると愛しそうに瞳を細める。
 余りに真っ直ぐじっと見つめるから、居心地が悪くなって私は「行こう」とエミルの腕を引いた。


 別れ際、エミルは念を押すように告げた。

「マシロが望むようになるように尽くすから、マシロはただ望むだけで良いんだよ」

 私の望みは今、どこにあるんだろう……?
    今 夢に終わりを告げることが出来るのは私だけのようだ ――

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