種シリーズ小話:紅譚
▼ 小種27『変化と戸惑い』

 赤くなった頬を押さえて図書館へと消える真白の後姿を見送った。

「あれ? カナイさんどうしたんですか、頬が赤いですよ?」

 自分も図書館へと戻るかと足を踏み出したところで掛けられた台詞にカナイは、素直に嫌な奴に会ったと眉を寄せる。無遠慮に顔を覗き込んでくる青い目から逃げるように視線を逸らすと、と、とんっと足取り軽く回り込んでくる。

 こいつに捕まったら逃げるのはまず無理。

 と判断したのかカナイは、はぁと短く嘆息して足を止め「何だよ」と睨みつけた。そんなカナイの不機嫌面などお構い無しに、アルファはつんつんっと赤くなった頬を突いた。

「カナイさんが打たせるなんて珍しー、マシロちゃんですか? 最強ですね、彼女」

 カナイに手を弾かれながらも、にこにことそう続けたアルファに「隙を突かれただけだ」と繋いだ。そんなカナイの反応にアルファは楽しそうに重ねる。

「へー、隙、じゃなくて好きの間違いじゃないですか?」
「っ!」

 いうと同時にふざけるなとアルファに顔を向けたカナイは慌てて一歩引く。

 ―― ……ガシンっ

 と重たい音が響いて、刹那二人の間の時間が止まったように見えた。

 透明な壁が二人の間を遮断していたようでアルファはそれに弾かれた拳を振りながら「あ〜あ」と零す。その声と同時に、ふっと壁が消えてなくなった。

「お、お前は俺を殺す気か!」
「えー、相変わらず良い反射神経してるじゃないですか。詠唱破棄出来るカナイさんじゃないと怪我させてましたね」

 にこりと天使の笑みで告げられても、口にしていることはいつものことだが、穏やかではなくカナイはこめかみをぐっと押さえて嘆息する。

「俺でも当たったら怪我する」
「しませんって、カナイさんに当てたことないですもん。というか当たらない。物凄く面白くないですよね。それなのに、マシロちゃんのグーパンチは当たるんでしょう? 打たれ弱いくせに……」

 もしかしてMに開眼したとか? やっぱり一度くらい殴らせてください! とキラキラ口にしたアルファにカナイは呆れて続ける言葉を失くしたようだ。
 馬鹿馬鹿しいと吐き捨てたカナイは図書館へと真っ直ぐ戻った。受付のカーティスに軽く挨拶をして入館すると後ろをアルファがついてくる。

「お前暇なのか?」
「カナイさん、打たれなれてないから知らないと思いますけど、それ、冷やしといたほうが良いですよ。さっさと赤みとっとかないと、マシロちゃん気にします」
「……そうなのか?」

 カナイは、そっと頬に触れる。痛みはないが、アルファの忠告は嘘ではないだろう。アルファの言葉にそのまま図書館の奥へと引っ込もうとしていた足を戻し水場へと向かった。

 図書館と研究棟を繋ぐ渡り廊下の傍にある噴水の淵に腰掛けて、絶えず溢れてくる水にハンカチを浸す。ここなら滅多に人が通ることもないし、通る人間の殆どは周りになんて目を向けるような人種ではないから見咎められることはないだろうという判断だ。

 やはりアルファは暇だったのか、そんなところにまで着いてきて対角線上に腰を降ろすと指先で水を弾いて遊んでいた。その水が時折カナイの顔に掛かるので「やめろって!」とむきになるのが余計に面白かったらしい。
 続けてばしゃばしゃと掛けたあと、カナイが堪りかねて怒鳴ろうとしたら水はぴたりと止まりアルファは別のところを見ていた。

「あれ、ターリ様付きの隊服じゃないですか?」

 いわれてカナイはポケットから眼鏡を出して指差している先を見る。確かに王宮勤めが着ている雰囲気の制服ではあるが詳細までカナイは知らず「そうなのか?」と眉根を寄せてまじまじと見る。

「こんなところまで来るってことはエミルさん絡みですね」

 捕まえましょうか? それともエミルさんを探しましょうか? と続けたアルファにカナイは頬を絞ったハンカチで冷やしつつ、ほっとけと締め括った。

「こんなところで騒ぎを起こすほど馬鹿じゃないだろ。そいつもエミルも」
「それは、そうだと思いますけど」
「それにこの時期にここに来てるってことはパレードへの参加の打診だろ? いつものことじゃないか」

 そうですけどー……と不満そうに立ち去っていく人影を目で追っていたアルファは、うーと唸ったあと続けた。

「あの人たち、マシロちゃんとか見つけたら絶対利用しようとすると思うんですよね。害にしかならないし、マシロちゃん確実に面倒ごとに首を突っ込む性質だから、あれ、始末しといたほうが良くないですかね?」
「お前物騒なんだよ」
「ターリ様付きなんていくらでも後釜が居ますって」

 明るく笑ったアルファにカナイは嘆息する。

「お前のそういう思考良くないぞ」
「……カナイさんだって、そういうでしょ。というか、以前だったら『好きにしとけ』っていったじゃないですか?なのに、最近は不安要素があるものでも放置して置くんですね? 日和見なんてらしくない」

 素直に不貞腐れたアルファを見ることなくカナイは適当に切り上げて濡れたハンカチをぱんっと振ると綺麗に乾いてしまったそれを折って元のように仕舞い込み立ち上がる。

 アルファがいうことは尤もだと、告げられて初めてそう思うが今は何となくそうしたほうが良いような気がした。
 ぶっすーっと立ち上がる様子もないアルファの頭頂部を、ぽこんっと小突いてカナイは「戻るぞ」と続けた。

 * * *

「ねぇ、カナイさん」
「んー?」
「不穏分子は残しておくべきじゃないんですよ。大切なものを護りたかったら、微塵も残すべきじゃないんです。いつ寝首を掻かれるとも限らない」

 自分の後ろをとぼとぼと着いてきているアルファの言葉にカナイは苦い思いをしつつも、それを責める気にもならなかった。アルファの噂は同じ時期に王宮に居れば、嫌というほど耳に入るし、王家が彼を失ったときの憂いを民もまだ忘れては居ない。アルファだと断言できるものは居なくても、騎士というだけで陰口を叩くものも多いのは確かだ。

「でもお前も、その手を止めただろ?」
「それは、カナイさんが止めとけみたいなことをいうから」
「……今はそれで良いよ」

 そういってカナイが笑うとアルファは物凄い嫌な感じだと眉間に皺を寄せ、これ以上ないくらい不機嫌な顔を作ったが直ぐに興味は逸れたようでそういえば! と、無遠慮にカナイの前に回りこんで顔を覗き込む。

「どうしてマシロちゃんに殴られるようなことになったんですか?」
「っ!」

 今更過ぎて問われることがあるとは思っていなかった質問にカナイは赤くなる顔を隠すのが遅れた。

「カナイさん、やーらしー」
「ば、馬鹿っ! 俺は何もいってないだろ!」
「いわないから怪しいんですよ。そうかぁ、てっきり女の子に興味がないかと思ってたのにマシロちゃんに手を……」
「出してないっ! 出してないからなっ!」
「出されたんですよね」

 けらけらと笑いながらそういったアルファはいつの間にかカナイの前を歩いていた。

「そんな必死にならなくても想像付きますよ。どうせカナイさんに失言があったんでしょう? デリカシーないですもんね? カナイさんって」

 知ったように口を利くアルファに否定したかったものの、当たらずとも遠からず……否定出来ずに黙した。

「白い月って、もともと白いから昼間でも割と見つけるの簡単ですよね。青い月は夜の闇にまぎれるように明るい空に消えてしまうのに……」

 渡り廊下から空を仰いでそういったアルファにカナイも釣られて空を仰ぐ。見上げた先には白く縁取られているだけの月がうっすらと窺える。

「僕はエミルさんだけ護りたいだけなのに」

 ぽつりと零したアルファの台詞にカナイは「そうだったな」と頷いていた。

 

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