種シリーズ小話:紅譚
▼ 小種26『風評』(エミル視点)

 色んな愛の形があるけれど僕が彼女に向ける愛はどんな形だろう?

 自由課題に取り組みつつ午前中を過ごした。
 マシロとアルファの授業はラウ博士だったから付き添わなかったんだけど、無事に終わったかな?

 そんなことを考えながら、教材を片付け食堂へと向かった。
 時間的に他の学生の出入りも多いけど、いつもの場所に席が取れたようで僕の姿を見つけたアルファが大きく手を振ってくれた。

「あれ? マシロは」
「ラウさんに攫われました。後片付けの手伝いにって……」
「なんでアルファは手伝ってないの?」
「ラウさんにしっしってされました」

 少し不貞腐れたようにそういったアルファを見てそのときの様子が分かる気がする。僕はきょろきょろと辺りを見回したけれど、まだ戻ってくる気配はない。座るかどうするか少し迷って「迎えに行ってくるよ」とそのまま踵を返した。
 うしろで「ご飯はー?」という声が聞こえたので「待ってて」と伝えたけど……どうだろう? 僕は苦笑して足を速めた。

 * * *

 マシロは嘘が下手だし、誤魔化すのだってあまり上手いとはいえないから、他の生徒から何か問質しにでもあっていたら困惑しているだろう。
 授業中ならまだしも自由時間に一人になるのはあまり得策とはいえない。

 我ながら過保護だと思う。思うけれど、どこを見ても彼女にとって異性しかいないこの場所では注意してもしたりないくらいだと思う。

「おや? エミル探し物ですか?」
「……ラウ博士。マシロは一緒じゃないんですか?」

 廊下の先からのんびり姿を現した見慣れた姿の傍に彼女が居ないことに眉を寄せると、ラウ博士は小さく肩を竦めて「ちょっと借りただけですよ」と零す。そんなことはこの際良いんだけど。

「少し前に先に出て行きましたよ。お腹がすいたーって騒いでましたから、食堂じゃないですか?」
「僕はその食堂から来たんです」

 ぶっきらぼうに答えるとラウ博士は「おや」と肩を竦める。

「じゃあ、どこかの誰かに攫われでもしましたか?」

 この人がいうと冗談も冗談に聞こえない。先を急ごうとすると止められた。

「今日は天気が良いですから、日向ぼっこでもしているんじゃないですか? 例えば中庭とか……」

 天気は基本いつも良い。
 でも、確かにマシロはよく中庭を散歩しているし、最悪昼寝してるときがあったとアルファがいっていた。僕はラウ博士にお礼を告げて中庭へと向かう。
 噂では確かこの時間、ここでは大抵の日”お茶会”が開かれていると聞いていた。

 * * *

 足早に中庭に到着すると人の気配と話し声が聞こえて自然とそちらへ足を向けた。予想通り彼女の姿を見つけて声を掛けようとしたら雲行きが宜しくないことに気がついた。

「―― ……ん、いやぁ、何っていうか、畑違いっていうか、なんで図書館になんて居るんだろーって感じだろ?」
「カナイって確か大聖堂の有名人だろ?」
「ああ、俺聞いたことあるよ。確か一時は研究所につめてたんだろ? あんなエリートコース歩いてて、わざわざどうして王子付きになるんだか」

 口々に出てくる台詞は僕自身聞き飽きているくらいなので気にならないし、アルファやカナイたちも微塵も気にしたりはしないだろうけれど、マシロに聞かせて気持ちの良い話じゃない。

 きゅっと下唇を噛み締めて俯いたマシロに心が痛む。

「アルファはあんな華奢くて女みたいな顔してるくせに本当に騎士階級持ってるのかねぇ?」
「使えないから、王位から程遠い王子のお守りなんてやってんじゃ……」

 止めたほうが良いかなと思って足を踏み出そうとしたら「五月蝿い」とマシロの声に足を止める。声と同時に手が出ていたらしい……って、隣の子が水筒を投げたのが目に入った。

 水筒はやめよう。

 当たり所が悪かったら事件だよ。苦笑してしまったけれどマシロに加担してくれたのだろうことは明らかだったから、もし何かあったら口添えしようと決めた。

 ざっと数えて五、六人いる相手に怯むことなくマシロは意見する。
 マシロが必死に僕らの名誉を護ろうとしてくれているのに唖然としていたら隣の子と目が合って苦笑した。そのときに丁度耳に飛び込んできたひと言。

「―― ……王位継承順位がどうというのにどれほどの価値があるのか知らないけど、そんなものはエミルを計る物差しにはならないでしょ?…… ――」

 心臓がとんっと跳ねたあとぎゅっと苦しくなった。

 マシロの目はいつだって真っ直ぐ僕自身を見詰めてくれている。
 見ようとしてくれている。

 それは彼女が暮らしていた世界が、この世界ととても掛け離れているということもあるのだろうけど、マシロのそういう部分は彼女の美点だと思う。そう思っていたし、分かっていたけど改めてそういい切られると、正直、嬉しすぎる。

 そんなことに気を取られていると、感情が高ぶってしまったマシロは今にも泣き出しそうになってしまっていた。僕は慌ててみんなに聞こえるように靴を鳴らしその場に踏み入った。

 僕の姿に気がついたマシロは明らかに拙いところへとショックを受けていた。もう随分前からいたから気にしなくても良いんだけど、ね。
 集まっていた生徒を見ると、見たことがある生徒がぽつぽつと居た。多分良い家柄の子。ということだろう。そんな彼らから出る話題なんて大抵が噂話だ。

 マシロに手を伸ばすと、少しだけ迷ったようだけどじわりと手を重ねて握ってくれてほっとする。

 一応、その場には釘を刺した。多分、自分より高位のものに対して従順だから大丈夫だと思うけどマシロのことは気に掛かる。幾ら僕らのためとはいえ……。

 ちらりと繋いだ手の先を見ると足元を見詰めたままだ。もしかしてまだ泣きそうな顔をしてるのかな?

「……エミル、もしかして聞いてた?」

 酷く気遣わしげな台詞だった。
 あの程度、陰口でも何でもないから気にしなくて良いのにと思うけど少しだけ甘えて曖昧に答える。
 マシロは僕の答えに繋いでいた手に力を込めた。

 気にすることはないとか、自分で発している有体な台詞に困惑し、他に何かないかと必死に考えているのが手に取るように分かる。面白くないことを聞かされて自分のほうが気分を害していたというのに、僕が聞いてしまっていたということへのほうが彼女にとって重いらしい。

 聞かなかったと嘘を吐けばそれで済んでいたのに、そう出来なかった自分に少しだけ戸惑う。僕は彼女に心配して欲しかったのだろうか?

「マシロが気にしなくても良いよ」

 そんなことを思うと自分の口から吐いて出た言葉こそ有体だった。
 それを詫びる気持ちも含めて、僕は彼女の手を握る手に力を込め向き合うと空いた手も捕まえた。

 予想していなかったのか、頬を桜色に染めたまま僕を見上げてくる彼女の瞳は黒い真珠のように綺麗でそこに映っている自分はとてもちっぽけに感じる。
 この瞳に、彼女の存在自体に心惹かれるものはきっと多い。僕自身もそうだけど、あの、心がないとまで囁かれている闇猫すら彼女に興味を持って離れることが出来ない。だからこそ、気をつけなくちゃいけない。

 ゆっくりと穏やかに説明したつもりだったけれど、彼女にとっては僕に責められていると思ったのか彼女の口から出た謝罪が、ほんの少しだけ寂しかった。

 なんとか分かって欲しくて言葉を繋ぐと、彼女はこくんっと可愛らしく頷いてくれた。そのあと彼女の脳裏を何が過ぎったのか僕には分からない。けれどとても辛そうな顔をしていた。
 彼女は時折そういう顔をする。

 何かを思い起こしているのか自分の今の立場を憂いでいるのかも分からない。僕は唯それを見ていることしか出来なくて、大丈夫だといってあげることしか出来なくてとてももどかしい。一時でも早く彼女の心の憂いが晴れることを心から望んでいる。

 小さく嘆息した彼女に、大丈夫かと問いかけようかと思ったら、ぐぅと聞こえた。彼女の顔が一気に真っ赤になるのを見て僕は我慢できずちょっとだけ噴出してしまった。

 もうお昼はとっくに過ぎている。
 
 僕なんて空腹を通り越して何も感じなくなってしまっていた。そんなことに気がつくと彼女の素直なお腹も余計におかしい。
 笑いながら食堂へと促して手を引くとなんとかフォローしたいのだろう彼女があたふたしているのが物凄く可愛かった。

 彼女は時が来れば、この手を離してしまうだろう。だけどそれまでの間、こうして繋いでいられるなら僕はきっと出来ること以上のことが出来るような気がする。

 ―― ……お前さ、もしかしなくてもあいつのこと好きだったり?

 ふと以前カナイにいわれたことを思い出した。
 僕はまだ誰かとそういう風に向き合ったことがないから、はっきりとは分からないけど、この気持ちがそうだったら素敵だなと今は素直にそう思う。



「二人とも遅すぎですーっ!」

 ぼやいたアルファを見て彼女と顔を見合わせ、笑いを零す。

「凄い、アルファがマテを守ってる……」

 彼女と居ると、こういう意外なことにも多々出会えるのはやっぱり凄く魅力的だ。

 

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