種シリーズ小話:紅譚
▼ 小種21『旧友』

 雨が王都を濡らすことは少ない。雨季の頃はそれこそレンガ道に絶えず流れる雨水が小川のように見えるが、今はそんな季節じゃない。
 それなのに、今日は空が泣いている。

 ―― ……退屈だな。

 ラウ=ウィルは幼い頃、図書館で薬草学を学んだ。しかし、あの頃の自分は大嫌いだから図書館のことも毛嫌いしていた。そんな自分が、今ここで副学長なんてことを代理とはいえやっているというのは妙な気分だ。

 面白いことが起こる下準備。

 そう思ってここに入り込んだ。しかし、なかなか面白いこととは出会えない。時折一緒に連れてきた王子が騒動を起こし愉快にさせてくれるものの、それもそう長くは続かない。

 基本的に退屈で平凡な生活だ。

「天井閉めないと温室が駄目になりますよ?」

 貴方が濡れるのは構いませんが……ぼんやりと空を仰いで雨に打たれていた自分。声を掛けられて初めて我に返り、馬鹿馬鹿しいことをやっていたと思う。

「そう思うなら、閉めてくれれば良いのに。エリーは冷たいな」
「エリーと呼ぶのはやめてください。好きでやってるのだと思いました。邪魔をしたのなら失礼」

 薬草籠にいっぱい摘みたての薬草を抱えて、ラウの個人的な温室の戸口に立っていたエルリオンをちらと見てラウは肩を竦める。エルリオンは、不愉快そうな表情を隠すことなくラウに向けるが、その程度気にするわけもない。

「その長い紐引っ張ったら閉まるから引いてよ」

 ラウにそういわれてエルリオンは視線を泳がせて、戸口の傍に垂れている紐を見つけた。しかし、自分の手元と紐を交互に見て首を振る。

「私は器用では在りませんから無理です。ご自分でなさい。これ以上私も濡れるのは嫌なので戻ります」
「はぁ、それが図書館の守護天使と呼ばれる保険医さんの言葉かなぁ」
「気持ちの悪いことをいわないでください」

 茶化したラウにエルリオンは素直に眉を寄せ害した気分を隠さない。ラウは濡れた肩を気持ち叩いてエルリオンに続いて温室を出た。

 ぱたんっと扉を閉めると同時に天井も閉まる。

 並んで廊下を歩きながら、外を見ると雨脚が少し弱くなったようだ。宛がっていた片眼レンズを外すと手持ち無沙汰に拭き、そっと元の位置に戻した。

「退屈そうでしたね」
「うん。退屈だよ。早く時代が動いてくれれば良いのに」
「自分でやれば良いじゃないですか。思うなら」
「それは駄目。私がすべきことじゃないし、機が熟す前に動くのは早計だ。もっと楽しくなくなる。それに係わるのは面倒だから見てるだけで良いんだけど」
「相変わらず悪趣味ですね」
「んー、エリーは相変わらず薬草漬けだな。楽しい?」
「エ・ル・リ・オ・ン です。これが私の持つ素養です。それにこれだけ長く係わっていると楽しいか楽しくないかなんて問題じゃないですよ。貴方はいつまでも子どもみたいなことをいうんですね」

 ふふっと笑ったエルリオンに、ラウはまあねと肩を竦める。

 ―― ……子どもみたい。

 本当に自分にピッタリの言葉だと思う。

「そういえば、エルリオンはマシロに会った?」
「会いましたよ。先日医務室に運ばれてきたので、普通の可愛らしいお嬢さんですけどね? でも、闇猫に関わり世界に関わる子です。貴方のいう楽しいことの前触れじゃないんですか?」

 誰にも気が付かれないくらい僅かに声の調子が変わったエルリオンにラウは瞳を細める。

「エルリオンはまだ、あれが憎いんだ?」

 人の心を抉るのに楽しそうに口にしたラウに、エルリオンは眉をひそめ、一度だけ深呼吸した。

「彼を快く思わないのは私だけではないでしょう?」
「私は別に嫌いじゃないよ。闇猫は面白い。きっと彼も私を面白いと思っていると思う。そして、侮れないとも……決して信用に足る人物ではないと、そう、思ってるよ。彼はね?」
「あまり深く関わりすぎると死にますよ? 私の弟のように簡単に、ね」
「別に消えるのを怖いとは思わないけど、面白いことを見届けるより先に逝くのは嫌だな」

 くすくすと楽しそうに笑うラウにエルリオンは呆れたように

「貴方を見ていると、私はいつも自分が凡人で良かったと思いますよ」

 と呟き嘆息した。そんなエルリオンを見ることなくラウは窓の外を仰ぐ。

「雨、上がるよ」

 退屈で退屈で堪らない毎日。

 もし、自分が獣族であったなら種屋の首を欲しがっただろう。
 もし、自分が王族なら国の頂点を欲しがっただろう。
 もし、自分が世界の中心なら、こんなくだらない世界さっさと消し去ってしまっただろう。

 そのどれでもない自分は、永遠に満たされることのない心を持て余し、一体自分にとって何が面白いのかすら分からなくなる。

 雲の切れ間から覗く太陽が、放射線状に世界を照らす。

 雨は珍しい。
 だからそんな日は好きだ。

 でも止まない雨はない。上手いこといったものだ。

「エリー……私はいつになったら美しいときに辿り着くんだろう」

 もう、与えられるのを待つのは嫌なんだ……。在りもしない幻想を抱くくらい自分は空っぽだった。

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