種シリーズ小話:紅譚
▼ 小種16『初恋?』

 エミル様が気に掛けていらっしゃるから仕方なく。

 そう! 仕方なくだ。
 それ以上でも、それ以下でもなく……それは当然の行動なハズだ。

 なのにどうしてこんなに割り切れない気持ちになるのだろう?
 種屋の店主に理不尽なことを投げ掛けられ、面白くなかった。でも、あの瞬間、彼は自分を殺すつもりがあった。
 殺気なんて今まで向けられたことはないが、あの背筋が凍るような冷たい視線、まだ何もされていないのに身じろぎすら出来なかった……あれがそうなのだろう。

 だとすれば、冷静な判断で行けば自分はあの場から立ち去るべきだった。離れていく相手を追い掛けてまで止めを刺そうなんて考えている風ではなかったし、彼女に危害を加える風でもなかった。

 でも、動かなかった。

 それどころか、たてついた上に睨み上げてしまった。

 愚かだ。

 自分は薬師以外の素養は持たず、簡単な護身術なんかも会得しては居ない。だから、護ることにかけてはかなり劣っている。
 だから結局彼女に護られた。

「はあ……」
「あれー。シゼ、恋煩い?」

 ―― ……がしゃん。

 突然背後から掛かったラウの言葉にシゼは手にしていた三角フラスコを取り落とした。いつも慎重で几帳面なシゼがやってしまうミスにしては珍しい。
 わたわたと焦った様子で片付け始めるシゼを眺めながらにやにやしているラウにシゼは怪訝そうな視線を投げた。

「こんな時間に戻ってくるなんて珍しいですね」
「んー、シゼがぼーっと館内放浪してたって聞きましたからね? 心配でしたし」

 面白そうだったので。と、締め括ったラウに最後が一番重きを置いた部分だろうとシゼは溜息を重ねた。

「そうそう、シゼがマシロとデートしていたというのは本当ですか?」
「デ、デートっ?! まさかっ! するわけありませんっ! どこからそんな馬鹿な話が持ち上がるんですかっ!」
「マシロが話してましたよ?」

 にこにこと口にしたラウの話にシゼは、がくーっと肩を落とす。

 ほんっとうにわけが分からない。理解出来ない。こんなに嫌っているのにそんな相手を連れまわした挙句、勝手にそんな話まで吹聴しているとは。

「散歩してカフェでお茶して、手を繋いで帰ったんでしょう? デートじゃないですか」
「な、何か色々と誤解があるようですが。その一つ一つにはちゃんと理由があってですねっ!」
「良いよ良いよ。シゼだって青少年だ。女の子とデートの一回や二回したいですよね?」
「だからっ!」

 いつも大人ぶって落ち着いているシゼが声を荒げ取り乱している姿はとても楽しいのだろう。ラウはシゼが高潮している顔を隠すことなく否定している姿を眺めて楽しんでいた。

「マシロにたまにはシゼに光合成をさせろっていわれましたよー。日がな一日授業と研究室と寮に篭りっぱなしは身体に良くないって、子どもはもっと外で遊ぶべきだといってました」
「僕は子どもではないです」

 声を大にして怒っていたというのに、子どもという単語が出たとたんシゼはむっとした表情でそれだけ告げて押し黙り片付けの続きをはじめる。

「そこ片付けたら、これ返却してきてください」

 子どもは総じてそうあることを拒む。
 それが分かるからこそ、ラウはこみ上げる笑いが堪えきれずに、それだけ告げると戸口に立つ。どこに行くのかと問われて「温室の様子を見てきます」と応えて部屋を出た。
 序でがあるなら返却もしてくれば良いのにとシゼは思うことなく、分かりましたと部屋の主を見送った。

 

 * * *

 

「ええっと、これは第五資料室……ちょっと、遠いな」

 ラウが残していった大きな筒を五、六本抱えて持ち出しリストに記載されている保管場所を確認し足を進める。

「……筒が歩いてる」

 掛かった聞き覚えのある声をシゼは無視した。一つだけのはずの足音が二つになる。

「少し持ってあげようか? 私、今日は珍しく暇だけど」
「暇なら自習でもすれば如何ですか? 全く学習が足りていないようですが」
「あー、ん。まぁ、それはそれ」

 どれがそれなんだ? シゼはマシロの珍答に心の中だけでちょっと噴出した。

 その隙に、ひょいと指先だけで支えていたリストを抜き取られ、あっ! と声を漏らすとばらばらと抱えていた長筒を取り落とす。 凄い勢いでマシロを睨みつけるとマシロは肩を落として、ごめんね? と謝罪する。割れ物が間に入っていたりしなくて良かった。

 そして結局どんなにシゼが拒否しても、マシロはシゼの荷物を半分持ち並んで歩き始めた。

「変な人ですよね」
「え? 何が?」
「僕を手伝っても何の得もないでしょう? 貴方にとって時間はとても貴重なはずだ」

 シゼの辛辣な言葉にマシロは軽く首を捻っただけだ。暫らく黙って足を進めていたがふと思いついたのかマシロは嬉しそうに口を開いた。

「あ、そうだ。シゼとあんまり会うことないからこうして話せるのはお得だと思うよ?」

 人を勝手に天然記念物指定の珍獣か何かのような扱いにするマシロに、シゼは益々深い溜息を吐いた。

 到着した資料室に持ち込んだ筒を定位置へと押し込みながらシゼはふとラウの言葉を思い出した。

「僕は子どもではありません」
「え?」
「マシロさんは僕を子どもだといったそうですが、僕は子どもじゃない」
「そうなの? 私はまだ子どもだよ。こっちでは特に……何も出来ないし分からないし、それに……一人を寂しいと思っちゃったりするし、ね?」

 よいしょっ、と、最後の一本を押し込んでそういったマシロをシゼはまじまじと見詰める。

「寂しい?」
「うん。寂しいよ。だって、私はこの世界に居ても居なくても良い存在でしょ? どちらかといえば居ないのが普通。そう思うと凄く怖い。エミルたちやシゼがこうして構ってくれているときは、そんなこと考えなくて良いけど、一人になるとやっぱり駄目。怖いよ。自分が消えそうで……消えてしまうことで、この夢が覚めるなら良いけど、そうじゃなかったら、とか、誰かと一緒に居るときだけ自分に居場所があって、自分に意味があるような気がする。元の世界では一人も気楽だと思っていたけど、それは違うんだって初めて痛感したよ」

 って、何か語っちゃってごめんね? とへらへら笑ったマシロにシゼはなんと応えて良いか分からず黙した。

 そして、どうして自分がマシロに対して割り切れないと思うのかも何となく分かった。

「だ、大丈夫です!」

 急に張り上げた自分の声にも驚いたが、その声にきょとんと眼を丸くするマシロにシゼは話を続ける。

「人体消失なんて聞いたことありませんし、いくら違う世界とはいえ何の理由もなく人が消えたりしません。エミル様は素晴らしい方です。エミル様が尽力するというのならば僕も手を貸します」

 だから大丈夫といい切ってしまってシゼは、はっとした。ラウに「恋煩い?」とからかわれたことを思い出す。

 違う。

 これはそんなものじゃなくて……。
 赤くなる顔を隠すように逸らすとマシロは何を思ったのかにこにこっと笑みを零した。雰囲気で伝わるその様子に、心臓が五月蝿い。何か、変だ。

「そっか、シゼは本当にエミルが大好きなんだね」
「え」
「大丈夫っ! シゼの大好きなエミルをお姉ちゃんが盗ったりしないから」

 え、え、ええぇ??

 黙してしまったシゼにマシロはどうしたの? とその顔を覗き込んでくる。シゼは、うっと息を詰めたあと

「僕は貴方みたいな人が大嫌いですっ!」

 と吐き捨てて、脱兎の如く資料室をあとにした。

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