種シリーズ小話:紅譚
▼ 小種10『子どもの嫉妬』

 最近エミル様の周りが騒がしい。
 いつも静か……とはいい難いけれど……その殆どはエミル様の斬新な新薬開発(物凄く前向きな見解)の結果だから僕も納得していた。

「ねぇねぇ」
「なんですか。お話の前にこの辺り片付けていただけると助かります」

 このところ不機嫌な僕を察して、ラウ博士はガンガン絡んでくる。
 そっとして置いて欲しいときに、そっとして置いてくれないのは彼の優しさでしょうか?
 彼専用の研究室ラボの机上が今日も乱雑になっているのを一つ一つ確認しながら整頓していく。

「シゼは、マシロに会いましたか?」
「会ってません。興味ありません」

 どさっ! 大きな音を立てて本を積み上げたのに、ラウ博士はそのことを咎めることはなくにこにこと話を続ける。

「そういう食わず嫌いみたいなのは良くないなぁ。そんなに悪い子じゃないよ? というかそんな深く考えてる子じゃないと思うし」

 それは彼女に失礼なのでは……?
 僕は人垣が出来ているのしか見たことがないけど、その人垣にすら気が付かないほど周りを見ていない人だというのは良く分かった。
 噂でしか聞いたことはないが、闇猫の妾とか……でも、闇猫が誰かと婚姻を結んでいるという話は聞いたことがないので、いきなり妾呼ばわりされるのはいかがなものかと思う。

 種を飲んでまで病気がちな弟を助けたいとか……種を飲む妥当な理由だとは思うけど、それで莫大な借金を背負って首が回らなくなっていたら本末転倒だとも思う……実際のところは情報が錯綜していて分からない。だから彼女に関しては得体が知れない。

 それに何より彼女を傍置くことによって、エミル様が他から在らぬやっかみを受けているのは事実だ。本人のみ気が付いていないと思うけれど。

 色々思案した結果、はぁと嘆息した僕をラウ博士はくすくすと笑いながら見詰めたあと

「こっちは返却してきて」

 と新たな本の山を持ってきた。
 それを抱えて中階層へと足を運んだ。視界を時折完全に遮られながら何とか本の山を運んで歩く。

「本が歩いてる……」

 ぽつっと聞きなれた言葉に足を止めると、ふっと腕の中が軽くなって視界が開けた。その先に居たのはやはりエミル様だ。

「やっぱりシゼだね?」

 と微笑んだエミル様に軽く頭を下げた。
 持ち上げられた本を、また積むようにいったけどエミル様がそれをするはずもなく、結局手伝わせてしまう。

 エミル様はお優しい。

 ここに来るまでに何人もの生徒と擦れ違ったが、僕に足を止めたのはエミル様だけだ。

 最後の一冊を所定の位置に戻して終了すると次はエミル様が何かを探しているようだった。
 そして、数冊、抜き出したタイトルを目で追う『毎日使える薬草事典』『誰でも分かる薬草の見分け方』『重用される生物百科―薬剤編』どれも今更エミル様が必要とするものとは思えない。

「それ、どうされるんですか?」
「んー? ある程度、専門用語に触れておいたほうが良いと思って……大分文字は書けるようになったんだけど、ね」

 よいしょともう一冊重ねる。

「は?」
「今は、マシロがギルド依頼をこなすのに出掛けているからその間に資料を集めて、抜粋しておいてあげようと思ってね?」

 ギルドのほうに手を貸すとカナイが五月蝿いんだよねー。と苦笑しながら、抜き出した本の中身をぱらぱらと確認する。

「エミル様がそこまで手を尽くさなくても……」
「僕が好きでやってることだから良いんだよ」
「ですが、エミル様は」
「シゼ、駄目だよ。ほら、僕はいつもなんていってるかなぁ?」

 こつんっとエミル様に鼻先を弾かれて眉を寄せる。

「柔軟な思考をしろってことですか?」
「そうそう、シゼはまだまだこれからなのに頭が固いよ。柔らかく、穏やかに、まずは全体的に物事を捉える。断片的に捉えてばかりでは、見えるものも見えなくなってしまうよ?」

 まぁ、ラウ博士ほどやわやわにならなくても良いけどねー、と笑ったエミル様に僕は不服そうな顔しか出来ない。

「エミル様は柔軟過ぎます」

 僕の暴言にも、えーそうかなぁ? と笑顔を崩すことなく応えてくれる。

「ねぇ、シゼ。初心者にこの教本は分かりやすいかな?」
「え? えっと、それはちょっと古いです。こっちのほうが……」

 突然問い掛けられて反射的に応えてしまった。
 得体の知れない人に協力するつもりなんて微塵もないのにっ! 

 かぁっと、顔が紅潮するのが分かった。エミル様はその様子ににこにこと微笑んで「ありがとう」と僕の頭を撫でる。

 エミル様にそうされるとなんだか毒気が全て飛んでしまう。エミル様は不思議な人だし、僕から見てもとても魅力的な人だと思う。
 出自を思えば彼が王位継承権から程遠いなんて信じられない。

 やはりそんなエミル様に取り入ろうなんて! 不届きものに違いないっ!

「エミル様っ!」

 思わず語気荒く呼んだ僕に、きょとんと目を丸くする。

「僕もその方に会わせてください!」
「良いよ」

 うわ、あっさりだ。

「マシロもシゼに会えたら喜ぶよ。また今からはラボに篭るんだよね。じゃあ、明日のお昼にでもどうかな?」

 にこにこと予定を決めたあと、引っ張り出した本を抱えて寮棟へ戻るエミル様と途中まで同行して別れた。
 このあとの予定を考えつつ、明日対面するだろう相手への猜疑心を新たに僕がエミル様を護らなくてはと、ぎゅっと拳を握り締めた。

 

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