投稿(妄想)小説の部屋・別館

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宝石旋律 〜嵐の雫〜

 
【11】

 ・・・・・ ピシャン・・ ―――

 金に光り輝く黒き水が、また ひとしずく 暗い虚空へと立ちのぼっていった。
「・・・反応が悪いな。補助脳の一つもつけてやれば良かったか?」
 暗い水面に映し出される巨虫の姿を見据えながら、教主は手に持つ扇を音を立ててとじた。
 巨大化しすぎて神経系統に命令が行き届かないのか、動きが今ひとつ悪い。水面に映し出 される巨虫の動きを目で追いながらさらに言葉を継ぐ。
「動きの悪さはこちらで補ってやればいいのだが・・・」
 閻魔の助力を得て魔刻谷より運び出させた、魔族のカケラを埋め込んだ岩を基点に直径5 00メートルの円筒形状の結界を教主は展開させている。
 結界に満たされたのは、冥界の黒い水だ。
 冥界から力を通し、天界に巨大な水槽を展開させた教主は、水槽の底に沈んだ巨虫の姿を 苛立たしげに見つめた。
「さすがに結界内といえど、泳ぎ出すまでにはいたらぬか・・・」
 天界に力を渡し続けることは教主の力をもってしても、なかなか思い通りにはならなかっ た。力を通すための『管』の役目として、力のある魔族を冥界の道をはじめ、魔風窟、そし て魔刻谷には最強の兄妹を中継として置いてなお、困難だった。
 最大の障害は、結界で緩和されているとは言え、結界内に満たした黒き水と天界に満ちる 霊気とが、干渉、相殺し合って刻々と蒸散し続けていることだ。
 そのため、結界内部に満ちるのは、水と言うよりは濃霧に近い。それゆえに、黒き水の中 でこそ真価を発揮するはずである水棲の巨虫の動きに生彩がないのだ。
「・・・力が足りぬ」
 教主が時を置かず力を渡し続けているのはそのせいでもある。嘆息に混じる苛立ちに、 李々がわずかに肩を引いた。
「・・・シュラムは良かったな。」
 根の先から岩をも溶かす成分を分泌し、岩盤の内部に根を下ろす種目の植物を基にして作 らせた、水陸両用の植物系魔族。
「・・・それに比べれば、これらのものなど屑にすぎぬ」
 シュラムのように霊気を即座に察知して自ら攻撃し、意志のあるように動く何十本もの触 腕をもっているわけでもない。
 冥界の水を得なければ動くこともかなわない出来損ないたち。巨虫達はシュラムが創り 出されるまで、創っては廃棄されてきた、いわば試作品だ。
「・・・結界内の濃度を上げぬ事には話にならぬな・・・」
 階から身を乗り出して、教主は水面に手をかざした。・・・新たに湖面に立つ波紋を見つめ、 李々はかすかに息を詰め、瞳を閉じた。
 
 
「南領および天主塔の各隊長、点呼ォ! 被害状況を報告しろ!」
 なおも吼え続けようとするアシュレイの頭を押さえつけ、柢王が空中にひとかたまりにな っている兵士達に向かって言った。その声は大きかったが決して鋭いものではなく独特の 深みのあるその若い声は、恐怖による恐慌状態の兵士達の目を覚まさせ、安堵の念を引き出 すのに十分なものだった。
 恐慌状態から抜け出せば、兵士達の行動は迅速だった。各隊長の指揮の下、隊列を組み直 した兵士達が空中にそろう。
「・・・・・」
 柢王の横で、アシュレイが小さく笑うような吐息をついた。
 ・・・あの状況下にもかかわらず、信じがたいことに全員がそろっていた。
 死者がなかったことが奇跡のようだ。
 おそらく狭い範囲でかたまって作業していた事が幸いしたのだろう。各自がとっさの判断 で、それぞれ手近の者を助けあげて空中に待避していたのだ。
「・・・兵士の一人が片足を喰われました。それから、崩れ落ちた瓦礫に巻き込まれて骨折 した者数名、全身を強く打って意識がない者もいますが、これは救助済みです。あと、瓦礫 の破片で負傷した者多数です。 ・・・その、足を喰われた兵士が、最初にあの化け物を見ておりますが・・」
「・・・その時の話を聞きたいが・・・話せるか?」
「はい・・・」
 膝上から下を無惨に喰われた兵士は、かろうじてまだ意識を保っていた。
 傷口から上の腿の部分を止血のために幅広の剣帯できつく締め上げられ、その痛みにうめ きながら、血の気を失った唇をふるわせて必死になって語ろうとした。
「・・・さ・最初に瓦礫からアレが出てきた時は、もっと小さかったんです・・ ・・妖気が・・・ 2メートルくらいのヤツで・・・  ・・水音が・・・  俺が警戒の声をあげたら・・・ みんなが こっちを向いて・・・ そうしたら、見てる間にヤツが大きくなって ・・・水音が・・・ なりな がら・・こっちに向かってきて・・ ―――俺の、俺の・・足を」
 血の気を失ってがたがた震えながら必死に語る負傷者に柢王は携帯していた小瓶の聖水 を1/3ほど飲ませる。
「残りは意識のない奴らに等分して含ませろ。口を湿らせる程度だぞ。飲ませようとはする な、つまらせるからな。・・・負傷者達を天主塔に運べ! ゆっくりとだぞ、意識のない奴らは 特に慎重に運べ。」
 柢王がティアから受け取った書状を隊長格の男に押しつけるように渡し、矢継ぎ早に指示 を飛ばす。その的確さにアシュレイが目を丸くした。
「・・・うちの優秀な副官の真似事さ」
 小声で言って、柢王は片目を瞑って見せた。
「ま、悔しかったら、お前もメチャクチャ頭がよくて気がよく回って、自分に惚れてくれて る、三国一の美人副官を捜すんだな」
 誰よりも頭がよくて、気が回って、自分に惚れてくれている天界一美人の上司ならいるの だが・・・とそこまで考えて、アシュレイは我に返った。
「・・・何言ってやがんだぁぁ!」
 真っ赤になって怒鳴るアシュレイをほっといて柢王は最終指示を飛ばした。
「ティ・・守天殿がこの状況をごらんになっておられれば、救援を寄越して下さっている。 さあ、怪我しているヤツは全員ここから離れろ。かすり傷のヤツもだ! 残りの兵士は半径 200メートル地点まで後退、上空で待機! ―――アシュレイ! 待て! 一人で行くなっての!」
 20名にも満たない無傷の兵士達が遠巻きに見守る中、アシュレイと柢王は地表近くに浮 かび上がった。斬妖槍を構えたアシュレイと剣を構えた柢王は1メートルほど距離を取る と互いに背を向けた。つまり互いの背中を守るようにして戦闘に備えたのだ。
 土埃が立ちこめた地表は、奇妙に静かだった。アシュレイが ふいに低く言った。
「昔に帰ったみたいだな。・・・魔風窟や魔界でさ、多勢に囲まれた時はいつもこうしてた」
「・・・ああ」
「柢王、・・・何か策はあるか?」
「あるわけ無いだろ、あんなデカブツ相手に。・・・けど、思ったよりも動きが早い。気をつ けないと、かすっただけでも吹っ飛ばされるぞ」
「でも、シュラムほどでかくねーし、シュラムみたいに何十本って素早い動きをする触腕が ついてるわけでもないし。・・・ま、いけるんじゃねえ?」
「行き当たりばったりってのはいつものことだしな」
 柢王が笑いながら言い、アシュレイに提案を持ちかける。
「あいつの頭に近い方が主戦権握るってのはどうだ? で、残った方がフォローと万が一の ための結界を張る役に回る」
「フォローはともかく、何で結界?」
「あんなデカブツ、大技でぶっ飛ばす以外ないだろ?」
「・・・おまえ、もしかしてそのために兵士達をあんなに後退させたのか?」
 返事はなかったが、こちらを向いてニヤッと笑ったその表情で解る。
「ま、200メートルも離れてりゃ大丈夫だと思うがな。おい、アシュレイ、俺になら遠慮 はいらないぞ。ガンガンいけ」
 アシュレイがどれほどの大技を放とうと、柢王ならば闘いながらでも完全に防ぐ。
 だから安心して思いっきり闘え。・・・柢王はそう言ってくれているのだ。
「・・・やっぱ、そーこなくっちゃな」
 正面に向き直り、斬妖槍を一瞬強く握りしめ、アシュレイは肩をすくめて低く笑い声を立 てた。
 柢王も笑っている。こんな状況で笑っていることを異常なことだとは二人とも思わない。 武者震いと同じようなものだからだ。
 ―――体の奥から、突き上げてくる震えがある。
 叫び出したいような、この衝動。
 ―――ぞくぞくするような この感じ。
 ここでしか、この状況でしか、味わえない。
 危険の中に身を置き、その中で己の命を見いだす。
 そうすることでしか、己の存在を確立できない―――。
(・・・・・餓えに餓えた獣だな。あいつの戦闘霊気ときたら)
 背を向けていても柢王はアシュレイの戦闘霊気が暴発寸前まで高まっているのを感じ取 ることが出来た。
 ・・・アシュレイの、飢えに似たその衝動を、一番近くで共に闘ってきた柢王はよく知って いる。彼もまた同じような衝動を深いところに隠し持つ者だからだ。
「アシュレイ、おまえ、ここんとこ やりたりてないんだろ?」
「―――な! な、な、何 言って・・っ!」
 柢王の笑いを含んだ声に、何かを勘違いしたアシュレイが真っ赤になって振り向く。感情 の混乱ぶりに彼の戦闘霊気がボンッと音を立てて吹き出した。突然の霊気放出に柢王も面 食らった。背中に押し寄せてきた熱気に何事かと振り向く。
 ―――この時、アシュレイは柢王の背後の瓦礫が弾きあげられるのを、柢王はアシュレイ の背後の瓦礫が弾きあげられるのを見た。・・・そして かすかな水音を 聞いた。
「そこかあっ!」
 斬妖槍を構えたアシュレイが柢王の方へ完全に体を振り向けるのを、アシュレイの背後を みていた柢王が叫んだ。
「ちがう! こっちは尾だ! ―――アシュレイ! 後ろだ! 来るぞ!」
 瞬間、大量の瓦礫をはじき上げて巨虫の頭部がアシュレイの背後に迫った。
「・・っ!」
 振り向いて頭部に炎を叩き込もうと狙いを定めたアシュレイが、わずか一瞬で眼前に迫っ た一対の巨大な大顎に目を見開いた。
(加速した・・―――!?)
 横合いから来た衝撃にアシュレイは弾き飛ばされて地面に叩き付けられた。
「・・って・・」
 とっさに受け身すらとれなかった己の間抜けさを呪い殺せるものなら呪い殺したい。
 素早く身を起こし、周囲を見回し、上空を見上げる。
「―――柢王!」
 巨虫は長い巨体を地中から引きずり出して上空へ伸び上がっていた。
 柢王がいない。
「柢王!」
 とっさに横合いから自分を突き飛ばして巨虫の大顎から逃してくれた彼が。
「―――柢・・」
 上空に伸び上がった巨虫の周囲から降り落ちてきたものがアシュレイの頬に落ちる。
「う・・・」
 ぬぐい取った手についたものを見て、アシュレイは叫んだ。
「うわあぁぁぁぁっ!」
 叫びながら、凄まじい早さで巨虫の巨体の上を駆け上がる。
(嘘だ!)
 手についた、赤黒い液体―――・・・
(嘘だ! 嘘だ!)
「柢王!」
 一気に巨虫の頭部を飛び越えて上空に飛んだアシュレイが、巨獣の口元を見て青ざめ、 言葉を失った。
 
 

【12】

「柢王様!」
 200メートル離れた地点の空中から柢王とアシュレイを見ていた兵士は、空中へ伸び上 がった巨虫が目の錯覚を思わせるような急激な動きで二人を襲い、さらに上空へ巨体を立て るように伸び上がるのを、そして一瞬だが大顎の部分にマントがはためいたのを見た。
「柢王様が!」
「・・い、いけない、すぐお助けせねば!」
 口々に叫んで空中を飛び出しかけた兵士達は、しかし次の瞬間 それぞれ体の一部を突き 飛ばされて後方へ吹っ飛んでいた。
「・・・総員退避―――っ!」
 兵士達の間に目にも留まらぬ速さで飛び込んできた南の太子が、彼らを突き飛ばしたと気 づいたのは、再度後方へ突き飛ばされてからだった。
「あ、アシュレイ様っ?! 何を・・・ 」
 空中で体勢を立て直した兵士が抗議の声を上げかけるその横を、尻を蹴飛ばされた兵士が 回転しながら吹っ飛んでいった。
「後退しろ―――っ!」
 真っ正面に南の太子の顔があった。力強いとか(凶暴とか凶暴とか凶暴とか)など闘う王 子のイメージが非常に強いので、間近で見た華奢な顔立ちのその意外さに兵士は一瞬見とれ、 そして今はその顔が、焦りに青ざめている事に気づいた。
 左腕にズタズタに裂けた布にくるまれた大きな包みをかかえている。よく見ればそれは 柢王元帥のマントであり、赤黒い染みがじわじわと広がっているのが見えた。
「―――ま! まさか、柢王様がお怪我を・・っ?!」
 慌てて近寄りかけた兵士の肩をアシュレイは掴んで方向転換させると押し出すようにし て自分も走り出す。
「逃げろ! とにかく速く走れ! あいつが術を抑え込んでいるその間に!」
「あ、あいつとは? それよりアシュレイ様! その包みは?! 柢王様がお怪我なさっている のではないのですか?!」
 アシュレイが兵士の顔を一瞬ぽかんとした顔で見た。
「な・何を言ってやがんだぁぁ! あいつなら怪我どころか、かすり傷一つなくあそこで ぴんぴんしてる!」
「・・はっ?! しかし その包みは」
「まだ気づいてないのか?! ここら一帯の霊気が、あいつの戦闘霊気に反応して全部“雷”の気に変わろうとしている! ここにいたら確実に巻き込まれるぞ、早く退避しろ! 急げ―――っ!」
 アシュレイのその言葉に、わけの分からぬまま走っていた兵士達は、ようやく周辺の空気 が殺気立っていることに気づいた。
「・・・うわっ!? 服が体に張りついてくる!」
「・・な、何だこれ・・? か・髪が・・逆立って・・?!」
 電荷を帯びた服が体に張りつき、また髪が逆立ち始めるのに兵達は動揺し、あわてて走る 速度を上げた。
「・・・・・!」
 走る兵士達の殿(しんがり)に付いて走りながら、アシュレイは後ろを振り返り、そして 上空を見上げた。
 渦巻く凶暴な霊気の中心に巨虫と柢王がいる。 ・・・その上空に凄まじい速さで黒い雷雲 が広がって彼らの後を追いかけてきている。雷の気を孕んで重く高く立ち上がるその巨大な 姿にアシュレイは息をのんだ。
(・・・心臓が止まりそうなくらい人に心配をさせたと思ったら、次はこれかよー!)

 ・・・あの時。巨虫の頭部を飛び越えて最初にアシュレイの視界に入ったのは、巨虫の大顎 の下にある巨大な開いた口に、肩口まで頭を喰われた柢王の姿だった。
「・・・ ・・・ 柢王・・・・・ うそ、だろ・・・ ? 」
 巨虫の大顎にまで飛び散って滴り落ちる血と、あたりに満ちる血臭に、言葉を失い絶望に 青ざめ、斬妖槍を取り落としかけたアシュレイの目の前で、しかし次の瞬間、てっきり喰 われているものと思われた柢王の頭が口からひょいっと抜けだしたのだ。
 さらに巨虫の口元に添えた左手で体を支え、右腕を肩口まで真っ赤に染めながら、巨虫の 口の中から何かを引きずり出した柢王が、そこでようやく側に浮いてあんぐりと口を開けて いたアシュレイに気づいて笑いかけたのだ。
 アシュレイは再び斬妖槍を取り落としかけるほど安堵すると同時に、周囲に満ちた戦闘霊 気と、巨虫の巨体を幾重にも縛り付ける青白く細い稲妻に気づいたのだった・・・。

(・・・そりゃ、確かに頭部に近い方が攻撃して、残った方がフォローに回るって承諾したさ! けど! こんな広範囲に攻撃領域を設定する必要がどーこーにーあるんだよ!)
 兵士を押しだして走りながらアシュレイは柢王の凄まじい力に背筋を震わせた。いつも より術の立ち上がりが早い。それに攻撃範囲も広い。しかし何よりもすさまじいのは、その 広範囲に満ちた術の発動を、アシュレイが兵士達を逃がすまで、柢王が抑制し続けていると いうことだった。
 術の発動を途中で抑え込むと言うことは、ヘタな大技を放つよりも難しく危険であること をアシュレイは知っている。
(クソッタレ・・! あいつの霊力は,そこまで上がってるってことかよ!)
「やりたりてねーのは、てめーのほうだろーがー! ばかやろーっ!」
「・・はっ?! アシュレイ様? 何か言われましたか?!」
 アシュレイに肩口を掴まれて走り続けながら問い返す兵士に、アシュレイは左腕に抱えた 大きな包みを押しつけ、そのまま肩を押し出した。
「なんでもないっ! これを持って先に行った負傷者達を追いかけろ! こいつは食いち ぎられた兵士の足だ! ティ・・守天殿なら、つなげてくださる! 足を止めるな! このま ま天主塔へ行け! 高度を下げるな! あいつが誘導するから雷の直撃を受ける心配はな い! 怖いのは、落ちた後に地面に跳ね返ってジグザグに飛んでくるヤツだ! ・・・!」
 周囲に満ちた“雷”の気が急激に震えて光を放ち始めた。
( ・・・もう限界だ! )
 アシュレイは足を止め、兵士達に向かって叫んだ。
「耳を塞いで目を瞑れ! ―――来るぞ!」

 ・・・柢王の周囲は彼の戦闘霊気と“雷”の気の共振で青白い光を放ちながら凄まじい勢い で振動していた。空中に浮いた彼の足元で、巨虫がギチギチと音を立てて身じろぎしよう としているようだったが、巨体に幾重にも巻き付いた青白い細い稲妻がそれを抑え込んでい た。
「・・・無駄無駄。親父直伝の縛雷術だぞ? 暴れたぐらいで解けると思ってんのか?」
 アシュレイが兵士を逃がしているのを目の片隅で追いながら、柢王は笑った。
 ・・・兵士の足を見つけられたのは幸いだった。アシュレイを突き飛ばした時、開いた大 顎のその向こうにある巨虫の口の中に何かが見えた。巨虫が伸び上がろうとするのを幸い 大顎の端に掴まって反動をつけると巨虫より先に上空へ飛びあがり、巨体が伸びきったと ころを稲妻で縛り付けて動けないようにしたのだ。
 口を無理矢理こじ開ける時に血が派手に飛び散ったのと、兵士の足がかなり奥の方に引っ かかっていたので、頭まで口の中に突っ込んで手を伸ばさなければ取れなかったことには閉 口したが、これで少なくともアシュレイの心の重荷が少なくなるのなら、血で汚れることな ど安いものだった。
「・・・それにしても、アシュレイ様々、だな。まったくあいつの霊力ときたら・・」
 頭上に広がる雷雲を見上げ、柢王は苦笑した。アシュレイは、術の発動を抑え続ける柢 王の霊力のすさまじさに驚いていたが、実際のところ、柢王はほとんど霊力を使っていなか った。アシュレイの炎術と違い、発動の臨界点まで達する前に少しずつ霊力で中和してや れば、ある程度まで抑え続けることは可能なのだ。ましてや、彼の頭上に広がる雷雲は、 柢王が霊力で一から創り上げたものではないのだった。
 ・・・アシュレイが劫火で粉砕した現場あたりの上空は、立ちのぼる水蒸気と熱気で霊気が 非常に不安定になっていた。人界ではこのような状況下では雷雲が発生しやすいと教えて くれたのは彼の副官だ。もちろん天界と人界の気候のシステムは全く違うが、霊気が不安 定なことによって、“雷”の気を精製しやすかったのは事実だった。
 つまり柢王はもともとあったものにわずかに手(霊力)を加えたに過ぎない。それがここ まで 巨大化するとは、正直柢王も予想外だった。それだけアシュレイが振るった力の余波 が凄まじかったと言うことである。
 ・・・頭上の雷の気の振動が激しくなった。柢王の体内の戦闘霊気も爆発的に高まっている。 術を支え続けるのもそろそろ限界だ。
 体内に満ちた霊気を放出して雷霆を導こうとした柢王は、一瞬めまいを感じた。
(・・・あ、そっか、熱があったんだっけか。とっとと終わらせて早く帰らないと あいつ がまた怒るな・・・―――)
 怒るとますます美しい愛人の姿を思い描いて、こんな時に、と柢王は小さく笑いながら咳 き込んだ。
 空気が重い。息苦しい―――。 柢王は眼下の巨虫を見おろした。
「・・この クソいまいましい濃霧もろとも消え失せろ」
 ――― 力の放出と、額に凄まじい痛みが走るのとは 同時だった。
 
 
 ―――周囲は一瞬にして白熱する光に包まれた。
 術の発動と同時に放たれた轟雷の、その数億ボルトに達する高熱の電気によって 周囲の 大気は瞬時に数万度という高温に跳ね上がった。
 そして熱せられた大気は光を放ちながら爆発的に膨張し、周囲に強い衝撃音波を放ったの である。
(――― こ・これが、王族の力!)
 背後から押し寄せてきた、目もくらまんばかりの光と灼熱の大気と轟音は、瞬く間に兵士 達を押し包んだ。目を閉じる寸前、彼らの眼下の森が、見えない巨人の手で払われたかの ように次々となぎ倒されていくのが見えた。そのすさまじさに彼らの足は震えてすくみ、 走ることを止めていた。目を閉じ、耳を塞いでも、凄まじい衝撃と熱気と轟音に押し包ま れた恐怖感を緩和できるものではない。
 周囲に満ちる熱気、衝撃そして轟音―――。
(・・・?)
 そこでようやく彼らは何故灼熱の大気に包まれているにもかかわらず、熱さは感じるもの の火傷を負うわけでもなく、衝撃で足元の木々が倒れて行くのを見ていたにもかかわらず、 自分たちがその衝撃で吹き飛ばされているわけでもない事実に気づき、そろりと目を開けて 周囲を見渡し、彼らの周囲に張り巡らされた結界と、そして彼らの上に立つべき少年が結 界の端で彼らに背を向け、次々と押し寄せる熱気と衝撃に真っ向から立ちふさがっているの に気づいたのだった。
「・・・・・!!!!」
 背中に注がれる兵士達の感謝と畏敬のまなざしに気づく余裕は今のアシュレイにはなか った。地面に跳ね返って飛んできた雷霆が結界に衝突し、その衝撃に結界がびりびり震える。 一瞬たりとも気が抜けないこの状況に、アシュレイは戦慄しつつ困惑も覚えていた。
(あの巨虫を倒すためとはいえ、いくらなんでもこれは過剰攻撃だ! ここまで凄まじい攻撃 を本当にする必要があるのか?!)
 また一つ、雷霆が結界に衝突し、光と熱気と衝撃が結界を突き抜けた。
「・・・やりすぎだ! 柢王!」
 
 
 ―――・・・・何かが歓喜している。いや、狂喜している。
 絶え間なくわき起こる激情の深いところから、腐臭のような負の感情を噴き上げながら、 どろりとしたマグマのような赤黒い熱の塊が、せり上がってくる。
 もっと力を使えと、もっと力を見せろと、狂喜するそれは『彼』を捕らえて焼き尽くそう と見えぬ凶暴な手を伸ばす。
(コンナモノデハナイダロウ オ前ノ『力』ハ!)
(全テノ枷ヲ解キ放テ! シガラミナド切リ捨テテシマエ!)
(躊躇スルナ! 感情ノオモムクママニ破壊シロ!)
(壊セ 殺セ 天界人ヲ全テ滅ボセ! オ前ニハ ソノ『力』ガアル―――!)

「―――――止めろ!」

 叫ぶと同時に、周囲の音が突然戻ってきた。 柢王の攻撃意志が消えると同時に周囲の “雷”の気が、潮がひいてゆくように鎮まってゆく。
「―――・・・・・ッ」
 空中に仰向けに倒れ込み、集中するために止めていた息を一気に吐き出す。
 耳鳴りと酸欠で頭ががんがんする。激しく息をつぎながら、あえぐように半ば呆然と柢王 はつぶやいた。
「・・・なんだ? さっきのは・・・」
 割れるように痛む頭を抱えて、うめくように言葉を継ぐ。
「・・俺じゃ・・・ なかった・・・?」
 
 

【13】

 ・・・・・話は 少し前に戻る。

 天主塔の執務室。
「お待たせいたしました」
 アシュレイと柢王が飛び出していった直後、先行して水棲昆虫に関する資料をかき集めて おいてくれとティアがナセルに指令を通しておいた本を腕いっぱいに抱えて執務室に入っ てきた桂花は、執務机の背後で遠見鏡の画面いっぱいに静止画像として映し出されている 奇妙な虫の姿に目を奪われつつ執務机の上に置き、守護主天と二人して遠見鏡と交互に見比 べながらページを忙しくめくり始めた。
 ところどころ掠ったようなスジの入る画面に、「最近 遠見鏡の映りが悪い」 とぼやき つつ見比べていた昆虫図鑑のページをめくるティアが眉根を寄せた。
「・・・予想はしてたけど、陸上の昆虫に比べてやっぱり水棲昆虫の項目が少ないね」
 陸上の昆虫に比べ、水棲昆虫の扱いは小さい。しかも載っているもののたいがいがどれも 似たり寄ったりの形状なのだ。
「完全変態してしまう種が多い上、水中となると観察が難しいからでしょうね。・・・あの形 状からして、てっきりゲンゴロウの幼虫かと思えば大顎の下に別の口がある全くの別物だっ たとは」
「動き方も変だよ。妙に直線的だし。というか、そもそも水の浮力を得るためのあの平たい 形状なのに、水のないあの場所でどうやって巨体を支えているんだ?」
「吾もそれが不思議なのですが・・・・でも、あの虫を何かの本で見たような気がするんです。 ―――あ!」
 桂花が資料の中をかき回したと見るや、小さく声を上げると一冊の本を取り上げ慌てて ページをめくった。
「―――あった! さすがナセル! これです、ヘビトンボの幼虫!」
 桂花が取りだしたのは図鑑ではなく民間療法を取り扱ったものだった。
「吾は虫類は取り扱いませんが、植物由来の薬の後ろのページにあったので一応読んでいた んです。」
 ティアも図鑑の索引で探し出すとページを広げ、二人それぞれに本を覗き込み、遠見鏡と 見比べる。
 本や図鑑に紹介されている特徴とほぼ一致しているように見える。
「・・・巨大化しすぎてるから断定は出来ないけど、たぶんこれだね。すごいよ桂花! 良く憶 えていてくれたね」
「民間療法の薬の原料として紹介されていたんですよ。―――思い出しました。サルの口に 突っ込んでやりたいと思ったから憶えていたんです」
「・・・・・なぜアシュレイ?」
 ぽかんと聞き返すティアに桂花は一瞬言いにくそうに口を閉じ、遠見鏡の巨虫をちらっと 見てから小さな声で言った。
「・・・・疳の虫(小児のヒステリー)に効く薬の原料になるのです」
 答えに絶句したティアは、同じように遠見鏡に映る巨虫を見た直後に吹き出した。桂花 も肩をすくめて小さく笑う。
「そ・そういう意味なら、とってもアシュレイ向きの対戦相手かもね」
 ティアの言葉に応えるかのようにバルコニーの方角から小さな爆音が響いた。
「・・・辿り着いたようですよ ・・・・・何て速さだ」
 天主塔から境界線までの距離は遠いが、視界は開けているので音が良く通る。
 ティアが慌てて静止画像を切り替えると、ちょうど炎をまとった南の太子が巨虫に向かっ て飛び込みかけたところを、柢王が間一髪で割って入ったところだった。
「あ・・?」
 巨虫が身を翻した瞬間、頭部の付け根あたりに奇妙な波紋が立つのを桂花は見た。波紋と いうよりは、空間そのものが歪むような―――例えるなら、水の中に度数の強い酒を垂らし た時に出来るような・・・―――
「守天殿! 画面をもっと近づけて下さい。頭部の付け根あたりに!」
「付け根・・? ちょっと待って!」
 ティアは動き回る巨虫に苦労しながら遠見鏡を操作する。
 わずか一瞬だったが、地中に没する直前に遠見鏡がとらえた画面には、大写しにされた 巨虫の頭部の付け根をぐるりと取り巻くようにして、管を数十本束ねた気管のようなものが ならんでいたのを、目のいいティアと桂花はしっかりと確認し、・・・そして混乱した。
「何・・?! さっきのは・・・ 図鑑の虫にはこんな気管みたいなものは付いていないのに」
「魔界の生物だから、やはり既知のものと似て異なるものかもしれません・・・ それにさっ き動いた時に見えた、波紋のようなあの歪み―――もしかしたら・・・いや、でも・・・」
「何? 桂花」
「・・・・・同じ水棲昆虫でトンボの幼虫であるヤゴは、尾の付け根に気管鰓があって 水を吸 い込み吐き出すその推進力で移動しているそうです・・・・・もしかしたら、それと似たような もの、かもしれません。右に動くのならば左側にある気管鰓を作動させ、左に動くのならば右側を、と・・・気管鰓から吹き出す水流の量や勢いを調節できれば、たいがいの動きは可能と思われます。 ・・・あくまでも想像に過ぎませんが・・・」
「・・・ああ、なるほど・・それならあの、奇妙に直角的な方向転換も納得がいく。もしかした ら、頭部だけでなく、体のあちこちにその気管があるかもしれないね・・・あの巨体を持ち上 げられるのはそのせいかも・・・・」
 二人の言葉の歯切れが悪いのは、何一つ確証がないからだ。
 桂花が本を閉じ、机の上に置いてため息をついた。
「・・・しかしそれが本当だとしたら、ますますやっかいになりますね。動きの予測がつか ないぶん 彼らが闘いにくくなる」
 ティアも図鑑を置くと、手を振って、巨虫が潜ったあたりに据えられていた遠見鏡の画面 を、境界地を全体的に俯瞰する場面へと切り替えた。
「・・・あ、でもやっぱり変だね。あの虫が気管鰓で水を吸って吐き出す推進力で動くことを 前提にしても、あの場所に水はないよ? 空気と水じゃ密度が違いすぎるし・・・。何が何だか―――あっ?!」
 突然、遠見鏡の画面にかすれたようなスジが何本も走った。ティアが叫び、桂花も同時に 声を上げた。
 彼らの眼前、境界が映し出される遠見鏡の乱れた画面にアシュレイと柢王が映し出されて いる。空中に浮かぶ彼らの背後の地中から尾が打ち上がる様が見えた。そして巨虫の頭が跳 ね上がるのが。
 二人の動きが乱れた。
 ―――次の瞬間 巨虫が急激な動きで二人に襲いかかった。
 
 
 ・・・そして北領。
 北の武王と誉れも高い若き毘沙王は、本日執務を放り出して長年の伴侶である黒麒麟と 共に城を脱走していた。
「・・・こんな霊気の荒れている日に、執務をしろと言う方が間違っている」
 見晴らしのいい高山の空き地に腰を下ろして山凍は ぼやく。
 戦闘霊気に鈍感な文官達には感じられないのかもしれないが、武人―――しかも最高クラ スの霊気を持つ武将である山凍にとっては、自分と同じくらいの高レベルの戦闘霊気が発 生すると、どうにも落ち着かなくなる。武人のサガというヤツなのかもしれないが 血が 騒いでしまうのだ。
 げんに北領にいて、中央と南の境界からこれだけ離れているにもかかわらず、山凍は 戦闘霊気がもたらすチリチリと肌を焦がすような感覚を感じている。
 これがふつうの武将―――いや、ふつうの元帥レベルならばまだ良かったのかもしれない が、王族の戦闘霊気とくれば もはや座っていろと言う方が無理だ。半径一メートル以内 で大暴れされているに等しい。
 もともと地・水・風・火の元素を司る王族の霊気はただでさえ天界の霊気と馴染みやすい。 それが凶暴な戦闘霊気となると、天界の霊気と混ざり、乱し、揺るがせる―――。それは 大きなうねりとなって遠くまで轟く―――・・・。それの規模が大きければ大きいほど、 共振共鳴反応が過剰になり、時には気象すらも狂わせるのだ。
「・・・それが二人分とくればな・・・・・」
 隣の孔明が落ち着かない様子で鼻を鳴らし、蹄を地面に打ちつける。遙か南の空が黒々 とかき曇り、霊気が反応して時折紫電を走らせるのが遠目にもわかった。
「・・・昼前に南のヤツが派手にやっていたと思ったら 今度は東のヤツが派手にやり始めた  か―――」
 荒れ狂う周囲の霊気をねじ伏せて自らの支配に置くなど、なかなか面憎いやり方をす る・・・と山凍が苦笑した時、 ふいに隣の孔明が咆哮を上げた。
「孔明?!」
 こんな風に孔明が咆哮するのは近くに魔族がいる気配を感じた時だ。
 だが立て続けに咆哮を上げる孔明の底深い光を宿す瞳は、戦闘が行われている南の境界の 方向を見据えている。
 孔明を落ち着かせようと腕を伸ばした山凍の視界が一瞬 銀色に染まった。

 ―――音は後から来た。 天界中の霊気が一斉に身震いした。
「―――・・・」
 音が周囲の山嶺に跳ね返って まだ響き合っている。
轟音に一瞬思考を根こそぎ持って行かれた山凍は、指先に当たった柔らかなものが孔明の たてがみであったのにようやく思い当たった。
 南の地ではまだ放電の余波か、銀光が瞬いている。
(・・・・・巨大な一撃だったな)
 もう片方の手で山凍は自分の首を撫でた。肌が粟立っているのに気づき、山凍は低く笑 う。・・・それは、巨虫の攻撃に備えてアシュレイと柢王が背中合わせになっていた時に見せ た笑みと全く同じものだった。
「それにしても、あいつにしてはめずらしく―――」
 瞬く銀光が収斂して天と地をつなぐ 幾本もの禍々しい光を放つおそろしい柱となるの を山凍は見た。
「―――・・・ッ?!」
 ―――音が来た。 そしてまた 次の音が。
 孔明のたてがみに添えた手に力がこもってゆくのを、山凍は気づいていない。
 ―――音が 後ろから 押し寄せてきた。
 周囲の山嶺に音が反響している。
 彼を取り巻く山嶺が 咆哮を上げているかのようだ。
 前と後ろから押し寄せる 音と音の間に、別の音が混ざっていることに山凍は気づいて横 を向いた。
 境界を見据えて、孔明は まだ咆哮をあげ続けている―――・・・
「・・・何故・・・・」
 東の王子の攻撃による、立て続けに光る凶暴な紫電と肺腑に響く轟音が押し寄せてくる 境界の方角へ向き直り、山凍は問いかける。
「なぜだ?!」
 孔明のたてがみを鷲掴んだまま、今なお攻撃が続いている南の境界線を睨むようにして 山凍は叫ぶように問いかけた。
「なぜそのように力を見せる! お前の兄たちがどう思うかなど―――・・・それが分からな いお前ではあるまい!」
 
 

【14】

 ―――そして東領。
 蓋天城の執務室では、次期蒼龍王たる翔王と、その補佐であり弟である輝王がともに二人 して書類に目を落としていた。
 書類に目を落としていた翔王が ふと顔を上げて窓の方を見た。
「・・・兄上?」
 と呼びかけてそこで輝王はハッと窓の方を見た。窓に駆け寄り開け放つ。
「―――――・・・っ!!」
 なぜ今まで気づかなかったのか これほどの破壊的な霊気を。
 自分と根を同じにしながら、全く異質の力。・・・いや、異質ではなく大きすぎて同じもの に感じられないだけなのか。
 天に浮かぶ城である蓋天城からは、天界の景色が一望できる。その、南の地。天主塔に 近い境界線で炸裂する巨大な戦闘霊気に輝王は息をのんだ。
「・・・柢王だな。派手な奴だ」
 席を立とうともせずに やれやれとため息をついて書類を揃えて横に押しやる兄の姿を 輝王は振り返って愕然と見た。
(・・・派手だと?)
 確かに派手だ。兄の目にはそう映るのだろう。・・・まだそう言えるだけの余裕が、兄には あるのだ―――。
「・・・・・・」
 だが 輝王には 脅威だ。
 これが文官を目指した者と武官を目指した者との力の差というものなのか。
 いつの間に、これほどの力を備えていたのだろう。
(・・・闘っても おそらく勝てないだろう な。)
 だがそれはいいのだ。自分は血と泥に汚れる武官など、もともとなる気はなかった。力に など頼らなくとも、相手を打ち倒す方法などいくらでもある。だから別に柢王に力の差で負 けたところで輝王自身は特に悔しいと思わない。
 ・・・だから問題はそこではない。脅威は別のところにある。そしてそれは自分だけの問題 ではない。
(柢王はまだ若い。)
 つまり 今の時点でこの威力だというのならば、まだまだこれから力が伸びる可能性が 大いにあると言うことだ。
 ―――現に、あれだけの攻撃を続け様に放ちながら、力は一向に衰える気配がない。
(・・・いつの日か、兄を超える可能性が・・・ないとは言い切れない)
 輝王は翔王を見、そして窓の外に視線を戻した。

 ・・・・・昔から兄は次代の王として 輝王の前にいた。
 父の跡を継ぐのは兄だと。弟である自分はその下について生きていくのだと。周囲の者達 は皆そう言った。
 それが定められた道だと。
 別に、それをいやだとは思わなかった。兄のことは好きだったので、むしろ輝王はすんな りとそれを受け入れた。
 ・・・兄は優秀なくせに、人の上に立つ者の鷹揚さと言いきれない妙に抜けているところが あった。そして輝王はそういうところが放っておけない性分だった。
 そんな輝王を、翔王もすんなりと受け入れた。
 それが相性というものなのだろう。
 ―――実際、執務の補佐は、輝王にとっては楽しいとさえ言って良かった。
 下にいるからこそ、見えてくるものは多い。兄に任せられるのは最終的な決断だけで、 それに至るまでの諸々の経緯や情報はすべて輝王のもとに入ってくる。
(仕える者こそが、真の主人なのだ―――と 錯覚すら覚えるほどに・・・)
 輝王はすぐに、情報を操作することや他人を動かす術を覚えた。
 東国の利になることなら、禁忌に触れるようなこともやった。
 最終的には、兄さえ裏切っていなければそれでいいのだ。
 ――― 天界の 一角。
 東国という名の領域―――次期蒼龍王である兄のもとで、輝王は思いのままに采配を振る うことが出来た。
 それがずっと続くのだと思っていた。
 年の離れた弟が生まれるまでは―――。
(・・・昔からそうだった。なぜか気に入らなかった。)
 こちらの思惑など一顧だにせず、好き勝手に動く。そのせいでこちらにまで敵が増える こともあった。
 最大級にひどかったのは、天界のタブーである魔族を人界から連れ帰ったあげく、己の 副官に据えるなどと言う暴挙に出、しかもそれをほとんど力業に近いやりかたで、周囲に 認めさせた。
 そのせいで弟に対する周囲からの風当たりはいっそう厳しいものになった。
 ・・・それでもいつの間にか弟の周囲には、人が集まっている。
 敵も多いが、損得勘定抜きの味方も多い。
 自分とはどこかが違う 弟。
 自分が気に入らない者はすべて顧みなかった輝王も、どういうわけか柢王の存在だけは無 視できなかった。
 それは柢王が文殊塾を卒業し、元帥の地位についたあたりから特に顕著になった。
 目障りだと思いつつも、それは血のつながりゆえのことだと、ずっと思っていた。
 だがそれは間違いだった。
 なぜ今まで気づかなかったのか。
( ・・・・・無視など 出来ないはずだ )
 柢王は、自分の前にいたのだ。―――後ろではなく。
 着々と力をつけ、いつの間にか自分を追い越し、その前へ―――。
 幾本もの光柱が立つ暗い境界の光景を見据える輝王の手の中で、 窓枠が みしりと音を 立てた。
 ・・・これで わかった。
 あれは 敵だ――― 。
「・・・・・一つの地に 王たる獣は 二頭も 必要ない―――」
 自分の前に立つ者は―――聖なる獣を戴いて立つ王は 兄だけでいい。
 それ以外は 要らない。
(・・・私の領域に これ以上踏み込ませるものか―――)
「・・・何か言ったか?」
 翔王の問いかけに、別になにも、と輝王は美しいがゆえに寒気すら感じさせる笑みを浮か べながら窓を閉めた。
 その背に翔王は何か言いかけ、弟の笑みに気づくと黙って書類に視線を落とした。
  
  
  ・・・・・ ピシャン・・ ―――

 黒い水の上を、陰鬱な気配を漂わす風が吹き抜けてゆく。
 その風は階に座す教主の髪をゆらしていったが、教主の瞳は湖面に映る光景を見つめたま ま動こうともしない。
 ふいに扇をもてあそんでいた教主の手が引きつった。手に持っていた扇が階に音を立て て落ちる。背後に控えていた李々がふっと頭を上げた時、教主が何かを断ち切るように拳を 握った。
「―――教主様?」
 わずかに膝を進めた李々の視界が、一瞬白く染まった。
 ・・・―――湖面が、光り輝いていた。
 冥界の底が、一瞬 白々と輝いた。
 それは、天界の光景を映し出している湖面から発されているのだった。
 光の中心に、微かな影があった。
「・・・・・・っ!」
 李々はようやく、その光源が―――湖面が映し続けている―――天界の境界の光景そのも のだということに、気づいた。

 ――― 凄まじい大気の振動と、まばゆいばかりの光芒の中央に、不吉な塔のように  黒々とそびえているのは、あの巨虫だ。
 周囲をなぎ払うかのような光の中で、なおその存在を誇示しているかのように見えた その巨虫は、次の瞬間 人界の伝え語りにあった、雷に撃たれて崩れ落ちる、禍咎の塔その もののように その内側から白い光を迸らせて砕け散った―――。

「――――・・・」
 わずか、数瞬の出来事だった。
 光の弱まってゆく湖面に目を吸い寄せられたまま、威力のすさまじさに息をのんで体を固 くしている李々の耳に、微かな音が届いた。
「・・・・あの黒髪も一撃で倒すか―――。」
 ―――低く教主が笑っていた。
 握り込んだ拳をもう片方の手で抑えつけるように包み込んでいる。
 拳の方の指先がかすかに痺れたように感じるのは、黒い水を通じて巨虫に感覚の一部を繋 げていたからだろう。
 巨虫を操作する力の糸(のようなもの)を切断するのがもう一瞬遅ければ、少々危なかっ たのかもしれない。
 足元に進み出た李々が扇を拾いあげ、膝をついて差し出したのを教主は黙って取り上げか け、ふと視線を湖面にもどした。
 ・・・・・湖面が、また瞬いていた。
 間をおかずして、瞬く銀光が収斂して天と地をつなぐ 幾本もの禍々しい光を放つ柱とな る光景が、湖面に映し出された。
「・・さながら 雷の神殿だな・・・・・」
 扇を取り上げながら、教主が呟いた。
 冥界を薙ぐ白光に、待機していた魔族達が何事かと対岸に集まりだした。教主の姿を認め ると、次々に膝を折って頭を垂れる。
「・・・あ」
 李々が声を上げて立ち上がった。
 水音が響いて次々と湖面に浮かび上がるものがあった。
 力を通すための『管』の役目として配置していた魔族達だ。
 ・・・突然の中継の切断に対応しきれなかったのだろう。感覚を繋げたままだった彼らは、 巨虫を襲った雷撃の衝撃を、そのまま『体験』したのだ。
 見た目は無傷だが、全身を駆けめぐる力の逆流に耐えきれず、精神を焼き切られた者も多 いだろう。
(正気を保って目覚められる者は、おそらく数名・・・)
 無意識にもてあそんでいた扇が、高い音を立てた。
 ・・・・・いまいましいことだ。
 これで使える者がさらに少なくなった。
 李々が一礼すると湖面を飛んでその者達をすくい上げ、対岸に集まってきた魔族達に指示 を出しながら引き渡し始めた。
 約半数が、脱落したようだが、湖に浮かび上がった者達の中に、氷暉と水城の姿はない。
(とっさの判断で、感覚を遮断したか・・・。当然と言えば当然だが)
 あの程度で倒れるような力量なら、最初から最前線に配置したりはしない。
 少なくともあの二人がいるならば、戦局に大きな乱れは生じないだろう。
「・・・赤毛と黒髪の力量も測れたことだしな」
 手元の扇を鳴らした教主は、始まった時と同じように、急激に収束に向かう境界の光景を 見おろして、ふと眉根をひそめて呟いた。
「・・・・あの 黒髪の霊気―――」
 天界の王族が持つ、強大な霊気。
 爆発的に膨れあがり、轟雷が放たれる前の一瞬―――繋げていた感覚を断ち切る寸前に 感じた、・・・あの、違和感。
(・・・・・むしろ 魔族に近い・・・?・・)
 
 

【15】

「・・・ものの見事に全部吹っ飛ばしてしまいましたね・・・・・」
 かすれたようなスジのはいる遠見鏡の画面に映される境界の光景を見据え、桂花はため息 をついた。
 後先考えない壊滅攻撃をするのは南の太子だけではない。柢王も一見冷静に見えて頭に血 が上ると手に負えないことがある。
(・・・まったく、バカばっか・・・)と、もう一度桂花は小さくため息をついて、同じように遠 見鏡を見つめる隣のティアを見た。
「二人に帰環命令をだされますか? 守天殿。 今回は目撃者もあることですし、瓦礫の山 をかき分けて例の岩を捜すにも、いったん編隊を組み直す必要があると思われます」
「・・・・・ああ、そうだね・・」
 遠見鏡の画面を見つめるティアは心ここにあらずと言った様子で、応えた。
「それから、あと20分もすれば負傷者が天主塔に到着します。守天殿、どうぞご用意を」
「・・・・・ああ、そうだね・・」
「・・・守天殿? どうかなさいましたか?」
 ぼんやりと同じように返事を返したティアに、桂花が聞き返す。
 ティアは桂花のほうをゆっくり振り向き、それからまたかすれたスジのはいる遠見鏡の画 面に向き直った。その顔はかすかに青ざめていた。
「・・・・なんだろう、遠見鏡の調子がずっと悪い・・・ 嫌な予感がする」
  
  
 そして 中央と南の境界。
「・・・何だこりゃ」
 空中で柢王はあっけにとられて周囲を見渡した。
 土煙が漂っている地表は 見事なまでに更地になっていた。
 衝撃音波で瓦礫がことごとく吹っ飛んだせいである。
 アシュレイの技が直撃した場所に立ち上がっていた蒸気や土煙、熱い瓦礫もことごとく吹 っ飛んでしまっている。
 吹き飛んだ瓦礫は柢王のいる場所を中心として、かなり離れた場所に更地を取り巻くよう にして積み重なっていた。
「・・・なんだこりゃ、じゃねえだろう!」
 いきなり後ろから頭を思いっきり叩かれて柢王は前のめりになった。
「・・・ゲホッ! お前だって人のことを言えた義理じゃねーだろーがー! ゲホゲホッ!  前に言ってた“証拠の岩”があった場所ごと吹っ飛ばしてわからなくしちまったのは、お前 も同じだろーがー! ゲホゲホゲホッッッッッッ! ゴホッ!」
 振り返った柢王の背後で、アシュレイが盛大に咳き込んでいる。慣れている柢王は気づか なかったが、特有の刺激臭が周囲に満ちている。アシュレイはそれをまともに吸い込んでし まったのだ。
「オゾンだ。吸うな。 さっきの放電で発生し・・・・・・なんだ?」
 周囲を風で吹き払う柢王の肩をいきなり掴んで振り向かせ、顔をまじまじと見つめてくる アシュレイに、柢王が怪訝そうな顔をする。
「・・・いや、さっき、お前の目の色が何か鉛色に見えたような気がしたから」
「―――――」
 無意識に額に上がりかけた手を、柢王は途中で押しとどめた。
「どしたんだよ?」
「何でもねーよ。お前が頭突きをくらわせてくれた頭が痛てーだけだ」
「イヤミをいうなぁ!」
 軽口を返されたが、さっき掴んだ肩の熱さや、顔色からして、柢王の体調はどうもよくな いようだ。そういえば今朝天主塔に呼び出された時に、柢王も帰ってきているが体調を崩 している、とティアが言っていたことをアシュレイはようやく思い出した。今までのごた ごたですっかり頭から抜け落ちてしまっていたのだ。
(・・・それでもあの威力かよ・・・)
 自分の結界にぶつかってきた攻撃の余波(そう、あれで余波なのだ)の衝撃の感覚を思い 出して、アシュレイは唇を噛んだ。その隣でのんきに柢王は周囲を見回している。
「・・・あれ? 兵士達はどうした?」
「あいつらはな〜〜〜! 俺が目を瞑れって言ってんのに、おまえの雷光をまともに見ちま ったのさ! どいつもこいつも涙ボロボロの雪目状態になっちまってるからしばらく使い モンにはならない。南領へ全員直行させた! ・・・それにしても、お前ちょっとやりすぎだ ぞ! あれは! 最初の一撃であのデカ虫は粉々になったってのに、後から後からじゃんじゃ ん雷霆を落としやがって! おかげで俺は大変だったっての!」
「・・・・・ふ〜ん。そりゃ気の毒なことをしたな。・・・けど、アシュレイ。お前怒ってるけど、 俺の雷霆攻撃の規模があそこまででかくなっちまったのは、お前のせ・・もとい、お前のおか げでもあるんだぜ? ・・・な〜んてな」
 笑って柢王は身を翻した。地表へとまっすぐに降下して、その姿はあっという間に土埃に 隠されて見えなくなった。
「ああ?! ―――おい、柢王?」
 降下してゆく柢王の後を慌ててアシュレイが追う。

 ・・・降下しながら柢王は額に手をあてた。
 布ごしに伝わる熱さは熱のせいなのかそれとも―――
(・・・憶えていない)
 記憶が完全に途切れていた。まともにあるのは、最初の一撃―――いや、もともと一撃 しか攻撃する気がなかったのだが―――だけだ。しかしそれすらも記憶が途中で薄れている。
 そして周囲の光景を見れば、一撃だけで終わらなかったのはすぐわかる。
(・・・俺の意志じゃない)
 戦闘の達人が意識を失っても闘い続けるという例は、たまにある。柢王も魔風窟などで 一対多の混戦になれば、ほとんど本能だけで闘っている時はある。しかしそれは、敵をどう 斬るか、そしてどう敵の攻撃を避けるか、ということをのんきに頭で考えている場合でない 時の話だ。 けれど 感覚の内側に残る 獣のざらつく熱い舌のような――――あの、狂喜 の感触は―――・・・
「―――・・・!」
 地に降り立った足から力が抜けてゆきそうになるのを、柢王は必死で耐えた。
 額の布に当てた手の指に力がこもる。布ごと何かをもぎ取ろうとするかのように深く額 に食い込むそれは、鋭く曲がった鈎のように強いものだった。その爪先がまさしく額の皮膚 を割って血を溢れ出させようとするその寸前―――
「・・・・柢王!」
 名を呼ばれて柢王は上を見た。アシュレイが後を追ってくる。
 アシュレイの降下が巻き起こす風で周囲の土埃が晴れ、彼の背後には広がる青空が見えた。
 上空をおおっていた土煙や蒸気がきれいサッパリ吹き飛んで、青空が広がっている。
 何一つ隠すもののない、抜けるような青空だ。
 その青空の向こうから、アシュレイが心配そうな顔でこちらに向かってくる。
(あいつは感情がすぐ顔に出るな・・・)
 それがうらやましくもあり心配の種でもある。柢王はアシュレイに向かって手を振った。 ちゃんと笑えていることを祈りながら。
  
  
   ・・・・・ ピシャン・・ ―――

 冥界を渡る風は重く水気を含んでいる。
 肌に優しく触れて通るが ひやりとしている。
 その白い肌や髪に触れて通り過ぎる風のことなど一顧だにせず、階に座る冥界教主は金黒 色に光る眸で湖面を見つめている。
 浮かび上がった負傷者達を回収し終え、冥界を薙いだ光に何事かと集まっていた魔族達も すでに姿を消している。湖面は再び静謐を取り戻していた。
 李々は対岸に座し、階に座る教主の姿を深い紅色の瞳で見つめている。
 教主の手元の扇がぱちりと音を立てて閉じられた。
 今、教主は黒き水を天界の結界内に送ることを止めていた。
 先の柢王による猛攻撃で、「力」を通すための管の役の魔族達の大半が脱落したと言うこ とと、 結界こそ揺らぎはしていないが、中に満たした「水」が、ことごとく蒸発してしま ったためだ。
「――――・・意外だったな。」
 手元の扇をもてあそびながら、教主が呟いた。
 李々は応えない。あれは独り言だ。対岸に座した李々は静かな表情でただ黙って深い知性 の宿る瞳で教主を見つめている。見守るかのように――――あるいは探るように。
「・・・天界人にも 牙と爪を持つ者がいる ということか」
 ぱちりと音を立てて扇を開く。そして閉じる。
 教主は湖面を見つめたまま、数度それを繰り返し、やがて高い音を立てて扇を閉じると、 それをそのまま階に置いた。
「・・・カケラはまだ残っていたな」
 教主は階から手を伸ばして黒い湖面に指先をひたした。
 ―――静謐な湖面の中央にふいに波紋が生じた。
 その波紋は消えることなく、その中央部からさらなる小さな波紋を生み出しながら湖の面 に広がってゆき、対岸に座す李々の膝元まで小さな波を寄越した。
「李々」
 湖面に指先をひたしたまま、顔も上げずに教主が呼んだ。
「はい」
 その声に李々が すっと片膝立ちの姿勢になる。
「正気で目覚めなかった者達は 全て殺せ。」
「!」
 李々の見開いた瞳に動揺が走る。
 柢王の猛攻の際、巨虫に感覚を繋げていたがために、その雷撃の衝撃をそのまま『体験』 してしまい、感覚神経や精神系を焼き切られて湖に浮いた『管』の役目をしていた魔族達の ことだ。今は李々の与えた鎮静剤で眠っている。
「・・・し、しかし」
「恐怖と狂気と幻の激痛だ。おまえの作る薬では治せまい。」
 ・・・―――――・・・・・!!!!!
 教主の言葉に呼応したかのように、叫び声が轟いた。鎮静剤が切れたのだ。
ただひたすらに何かから逃れようとする恐怖の叫び。一人のものではない。二人・・三人・・・ 時を追うごとに叫び声は音量を増してゆき、打ち寄せ返す湖面と唱和するかのように冥界の 底を揺るがせてゆく。
「・・・・・・」
 叫び声の上がる背後に顔を振り向けたまま、李々は動けない。
「一時眠らせても同じ事だ。目覚めれば同じ恐怖と苦痛を繰り返す。」
 李々は教主を見た。水面に視線を落としたままの教主は、一瞬だけその金黒色の眸を李々 へと向けた。
「―――お前なら、わずかな苦痛すら感じさせることもなく、一瞬で終わらせることが出来るだろう」
「―――――」
 わずかな逡巡の後、全ての感情を深く奥底に押し込めた能面のような表情で、李々は教主 に深々と頭を垂れた。
「・・・―――御意 」
 李々は立ち上がり、教主に背を向けた。艶やかな光を帯びて背に流れる赤い髪はすぐに 冥界の薄暗がりの中に溶け込んで見えなくなった。
 教主は一人になった。
 階から身を乗り出し、指先だけでなく手首まで黒き水に差し入れる。背に流していた金の 一房が肩口を流れ滑って湖面に落ち、扇のように広がった。
 波紋は生まれ続け、岸辺に打ち寄せ、帰ってくる波とぶつかり合い、湖面全体を揺さぶり 始めた。
 黒き水の飛沫が金色に輝いて湖面に降り注ぐ。
「一対一ならば、たやすく勝てるか。 ―――では、複数を相手にすればどうだ?」
 金に輝く黒き水の下で、教主の手が何かをつかみ取るように握り込まれた。
 ―――水面に打ち寄せ返す波紋の中より生まれ出た  数多の金の飛沫が一斉に上空へ 駆け上っていったのは、次の瞬間だった。

 

続く。


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