投稿(妄想)小説の部屋・別館

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宝石旋律 〜嵐の雫〜

 
【16】

 ・・・・・・・・カシャン チリリン ・・・ ・・・
 遠くで、水晶の転がる音がする。
 不思議な音色を響かせるそれは、聞く者が聞けば快い音として微笑むだろう。・・・だが魔刻谷の底で身を寄せ合うこの魔族の兄妹にとっては、背筋を震わせるほど恐ろしい音としか、水城」
「・・・・・全身であたしを庇っておいて、何を言っているの? 氷暉こそ大丈夫なの?」
 抱き込まれた腕の中からごそごそと動いて腕を伸ばした水城が、確認するようにそっと氷暉の背を撫でる。
「・・・ものすごい力だったわ。 中継の切断があと少し遅かったら―――」
 氷暉の背に腕をまわした水城がかすかに震える声で言った。
「・・・衝撃波の余波もな・・・。衝撃が後少しでも強ければ、水晶の雨霰だったろう。地中だか ら助かったんだ。・・・が、さっきの黒髪の攻撃で、あちこちがゆるんでいる。次に同じよう な衝撃を喰らったら―――」
 目を開けば 禍々しいほど赤い光を放つ水晶群の連なり。
 深紅に沈む魔刻谷の底で身を寄せ合う魔族の兄妹の目には、ただ、ただ恐ろしいものとし か映らない。
 天界人には清浄の証。 だが魔族には――――
 水城が無言で背にまわした腕に力を込めた。
「・・・これからどうするの、氷暉? 中継は途切れてしまったし、なんの指示もないわ。」
「・・・さあな」
 氷暉はかすかに苦笑した。
 水底の修羅達を統べる魔王の考えなど、氷暉にはわからない。
 おそらく今回はただの様子見と言ったところだろう。 天界の武将の力量をある程度見極 められた事でもあるし、帰還命令が出ればそれで良し、氷暉は、命令に従うだけだ。
 だが闘いになれば、妹を危険にさらす事は極力避けねばならない。
(・・・やはり来させるべきではなかったか)
 だが、安全な場所など、どこにもありはしないのだ。
 天にも 地にも――――死んだあとですら。
 ふいに氷暉が顔を上げた。
「・・・氷暉?」
「――――来る」
 
 そして 天主塔の執務室。
「・・・アシュレイ」
 遠見鏡に張りついて一歩も動こうとしないティアの背中を半ばあきらめ気分で見つめつ つ、桂花は拾い上げた書類を分別し、執務机に並べ終えた。
 守天が遠見鏡に張りつく程心配なのは、遠見鏡に映し出される画像がひどく荒れているせ いもある。思うように映し出せないばかりか、時折かすれたようなスジが遠見鏡の画面を断 ち切るかのように何本も入る。心配でないはずがない。―――とはいえ、張りついたところ でそれが改善されるわけではないのだが。
「・・・守天殿、少し休んで下さい。お茶をお入れいたします」
 巨虫は柢王が倒した。 もうサルにも柢王にも危険はないだろう。後の捜索作業は兵士達 に任せればいい。
 むしろこれから大変なのは守天のほうだった。
 桂花はティアを遠見鏡から引きはがすと、長椅子まで誘導した。
 気分を入れかえることが必要だ。
「・・・ ・・・そうだね。兵士達の治療もあるし、二人が帰ってきたら報告事項や今後の対策で きっとお茶を飲むヒマもないね。大急ぎでティータイムをしようか」
 長椅子に腰を下ろすさいに、その隣に置かれっぱなしになっている、使い女が三人がかり で抱えて運んできた大壺に満たされた水を見てティアは苦笑した。
「カルミアから初摘みのいい茶をもらっているから、それを淹れてくれる?」
 それに応えず、桂花が弾かれたようにバルコニーの方角を振り向いた。
「桂花?」
 紫色の瞳を見開いてバルコニーの方角を見つめていた桂花が、突然頭を護るように両手で 両耳を塞ぐと、見えない何かに突き飛ばされたかのように後ろによろめいた。
「―――桂花?!」
 そのまま身を折って床に両膝をつき、荒く息をつぐ桂花のもとに あわててティアが走り 寄る。
 かたかたと震えながら冷たい汗を流す桂花が、切れ切れの息の底から言葉を絞り出す。
「・・守天殿、・・遠見鏡を・・!」
「遠見鏡?――――あっ?!」
 桂花の肩を支えながら、境界の光景が映しだされた遠見鏡を振り返ったティアが、小さく 鋭い驚きの声を立てたまま、凍りついた。
  
  
「・・・・・するってーと何か? 俺が野菜も肉も入った鍋を用意して後は火を通すだけ、の状 態で放置してたそれを、お前が火を通して喰っちまった。・・・みたいなかんじか?」
 アシュレイの言葉に、雷霆の直撃を受けた地表があまりにもの高温でいったん溶けてしま い、陶器の釉薬のように表面がガラス化している地面をブーツの底でバリバリと踏み砕きな がら柢王が笑う。
「・・・何で例えが鍋になるんだか。 いや、むしろぐつぐつ煮えた状態でお前がどっか行っ ちまったそれに、俺が調味料入れて喰っちまったっていうほうが近いな。・・・まあ、言って しまえば、あの攻撃は俺とお前の合作みたいなもんだ」
「そしてその合作鍋をお前一人が喰っちまったと。」
 柢王が隣で吹き出した。
「いいかげん鍋からはなれろよ。ただでさえ暑いってのに。腹へってんのか?」
「・・・そーいや、昼メシ喰ってない・・・・」
「俺は朝飯もまだだ・・・・」
 午前中からのゴタゴタで走り回っていたアシュレイと柢王だった。
「・・・・・」(×2)
 二人は顔を見合わせた。
「・・・・・いったん帰るか。お前、ホントに顔色悪ぃし。大丈夫かよ柢王?」
「・・・・・腹はあんまり減ってねえけど、喉は渇いたな。そうだな、帰るか」
 そうして二人は深く頷きあったのだった。
「そんじゃま、ぐるっと一巡りして帰るか。―――」
 柢王の言葉にうなずいて、その横に並びかけたアシュレイが、ばりばりっと足元で派手な 音を立てるガラス化した地面を踏んだその途端、はっと顔を上げた。
 ずっと感じていた かすかな違和感。 何かを忘れているような―――
「・・・・・!!!」
 周囲を見回す。 乾ききった地面はところどころガラス化して陽光を照り返している。
 ここはもとは木々と下生えが地を柔らかく覆い尽くす場所であった。今は何もない。 ただ 乾いた風が吹きわたる以外は。炎と雷が一瞬にして燃やし尽くしたのだ。 地表が溶 けるほどの―――それは、周囲一帯が恐ろしいまでの高温だったことを物語っている。
 突然立ち止まったアシュレイに、柢王が「どうした」と振り向いた。
「―――思い出した。柢王」
「何が」
「―――岩だよ! そして、森だ! ・・・熱いはずなんだ! 溶岩や火山灰が固まったモノ だぜ? 森なんかに落ちてみろ、下手をすれば山火事だって起きる。 仮に燃えなくたって 周りの木は熱さで枯れちまう! 元に戻るまでに何年もかかるんだ、鳥が棲んでいるはずが ない!」
 振り向いた柢王に、勢い込んでアシュレイがまくし立てる。
「―――岩? 19番目か?」
「そうだよ! ―――っ?!」
 なおも言いつのろうとしたアシュレイの体が跳ねた。 同時に柢王が片耳を押さえて上空 を振り仰ぐ。
 水音―――・・・ ―――たくさんの 
「・・・雨じゃない! どこから?!」
 ―――降り注ぎ ―――流れ込む ―――――水の
「傷を負った兵士が言っていた ―――このことか?!」
「・・・あのデカ虫が出てくる前に、そんな音が―――でも もっと ―― 」
 二人は背中合わせになって周囲を見渡す。
 水音は止まらない。
 周囲はどこまでも乾ききった大地。水などどこにも存在しない。 にもかかわらず、水音 は二人の耳元で鳴り響いているのだ。
 ―――鳴り響きながら、近づいてくるのだ。
 
 ―――小さな雫が ・・・ 集まり 小さな流れとなり ――――・・・――――
 ・・・・・・・・小さな流れが集まり・・・ ―――――集まって 奔流となり ―――――
 ―――――――な が れ ―――――――――――く だ る ――――――・・・・・!
 
「―――――ッ?!」
 流れ込むひときわ高い水音と、足にまとわりつく目に見えぬ冷たい水の感触。それらは渦 巻きながらひたひたと水位を上げ、彼らの全身をひたしはじめる。
 
 ―――――おしよせる   みちる    あふれる――――――――・・・・・・・・・・・!!
 
「・・・・っ まただ!!」
 不可視の水に全身を押し包まれた瞬間、柢王がのど元を押さえる。
 ここに来る直前。結界を突き抜けるような感触と息苦しさを思い出す。
(前の時の比じゃねえ!)
 ―――――笑い声が、聞こえたような気がした・・・・・・・・
「柢王!」
 アシュレイの呼び声に、柢王は振り向いた。
 彼らからわずかに離れた場所の、ガラス化した地表にピシリと音を立てて蜘蛛の巣のよう な亀裂が走る。―――まるで、地中から押し上げられるように、亀裂は広がってゆく。
「アシュレイ! 跳べ!」
 飛び離れた二人の場所を土埃と土砂がなだれ込み、土埃にまぎれるようにして黒光りする 長い巨体が地響きを立てて滑り込んできた。
「・・・出たぞ 一頭!」
 土埃の向こうでアシュレイが叫んでいる。目をすがめた柢王が、さらに声の聞こえた後方 から土砂が高く巻き上がるのを見た。
「アシュレイ! お前の右後方! そっちにも出たぞ! ―――逃がすな!」
「二頭も?! ―――逃がすか!」
 上空に飛び上がったアシュレイが、斬妖槍の槍先を地面に向けて円を描くように一振りす る。 地面に円を描くように炎が走り、描かれる円の両端が閉じた次の瞬間、炎の壁が立ち 上がった。
 直径100メートルにもおよぶ、炎の結界。
 魔族をここより外へは出さないための措置だ。
「!」
 空に浮いたアシュレイに向かって土埃の下から巨虫二頭が躍り出る。
「――――来い!」
 アシュレイは斬妖槍を構えて吼えた。
「・・・アシュレイ! 無理するな!」
 地上の柢王が叫ぶ。 その背後で轟音が上がり、土埃と土砂と共に躍り上がってくる黒い 影が見えた。
「・・・まだいたのか?!」
 ―――――さらに二頭!
 土砂を巻き上げて躍り出たそれらは、剣を構えた柢王の両脇を大きく迂回して一気にすり 抜けた。
「・・・・・っ!」
 振り向いた柢王が、巨虫の向かう先を見て目を見開いた。 二頭とも―――すでに二頭を 相手に闘っているアシュレイの方へ向かっている。
「―――馬鹿野郎! 半分は俺と遊べ!」
 柢王の両手から放たれた、青い細い稲妻が二頭の巨虫の動きを封じるべく絡みついた。
 
 

【17】

 ―――――突然だった。

 己の中に押し寄せてきた力の奔流に、氷暉は全身を硬直させていた。
 耳を聾する水の音。地を削り、巨岩を押し流し、全てを粉砕しながら―――氷暉の思考を ぐずぐずに押し潰しながら流れてゆく 激流――――――
 力を通すための管の役割として配置された時から、ある程度の覚悟はしていたつもりだっ たが、氷暉は己の認識の甘さを呪った。 ―――圧倒的な力だった。 氷暉の中に流れ込み、 あふれ、奔流となり、全てを押し流してゆく。 息すら継げない。 そこには慈悲も許容も ない。
 氷暉の腕の中の水城は、黒い水が流れ込んできた瞬間に気を失った。 意識を空にした方 が力を流しやすい。女というのは本能的に賢くできている。 ・・・氷暉はなまじ意識がある だけに、 激流のただ中に立つの木のように、 自我を保とうと耐える苦難を強いられてい る。
(・・・だが、今さら意識を手放したところで、ただ押し流されてしまうだけだろう。)
 そうなれば、次に目覚めた時に自分は自分で在ることができるのか。
 氷暉は恐ろしかった。 それゆえに耐え抜くしかなかった。
 腕の中にある妹のかすかな体温だけが、氷暉をつなぎ止める全てだった。

 瞳を見開いたままの氷暉の目前を―――映し出される魔刻谷の深紅の光景と、境界の光景 のさらにその向こう ―――ありとあらゆる光景が 泡沫(うたかた)のように現れては消 えてゆく―――・・・
 見知らぬ男の顔 女の顔
 笑う顔 怒る顔 泣き顔
 若い者 老いたる者
 見知らぬ風景 聞き慣れぬ言葉 どこか懐かしい異形の神々
 笑い声 雨上がりの匂い 音楽 土の匂い 剣戟 祈りの声 花の香り 睦言
(―――これは黒い水に溶け込んだ記憶か)
 その思考すら、引きちぎるように押し流される。
 自我を保つので精一杯だった。
 いや、そもそもこれを見ているのは自分であるのか。
 ――――― これは誰の思考であり 記憶であるのか。
 弦をつま弾くこの指は 剣を握るこの手は 赤子を抱くこの腕は 肩に食い込む天秤棒 の重さは 背で冷たくなった老母の軽さは 床を踏みならす絹の靴を履いたこの足は  ――――― これは誰の肉体であり 感覚であるのか。
 氷暉は魔刻谷の底にいながら ありとあらゆる過去の場所を見、黒い水に溶け込む全ての 思考と感覚を共有していた。 
「・・・・・ッ!!!」
 ―――ふいに氷暉の眼前から、泡沫の記憶の光景が消え失せ、天界の境界の光景だけが はっきりと映し出される。 水の流れは止まらない。 氷暉の見ている光景は水の流れであ り、 水の映し出す光景であり 、氷暉の意識は水の流れと同化し、氷暉は意識は水の流れ のひとしずくでありながら、水の流れ全体の動きを認識していた。―――そしてそれらは  その流れは 目指す場所へと たどり着く―――――
 ―――――――― 一つの流れとなって、結界へと流れ込む ――――――――
 たちまちのうちに天界の地に染み込んだ黒い流れは、その地に散らばる、かすかな妖気を 放つ小さな小さなカケラを探り当てた。
 ―――水の流れは止まらない。
 氷暉は境界の光景を見、小さなカケラに力を注ぎ込みながら――― 一つの小さな流れが、 奔流から弾き出されるようにして別の場所に向かうのを、同時に見ていた。
 森の上空を飛び―――広い庭―――高い建造物の―――バルコニーの―――開かれた窓 の―――(不思議なことに 窓の向こうの光景は、輪郭の全てが曖昧に見える)―――白い 服 白い髪の―――――(これだけははっきりと見える)紫色の瞳が 驚いたように こち らを向いた。
  
   
 ―――――最初に聞こえたのは水音だった。
 波立ちながら押し寄せてくる水の音。
 それもあり得ない方向から。
 バルコニーの方角から。
「・・・・・ッ?!」
 バルコニーを振り向いた桂花は、森を越え庭を飛び一直線に地上よりはるか高みにある執 務室に流れ込んでくる一筋の水の流れを―――見たような気がした。
 それは鳴り響く水音による錯覚だったのかもしれない。
 しかし桂花は、周囲の景色を歪ませ水の流れにそって泳ぐ水蛇のようにゆらぎながら、バ ルコニーを越え、執務室に流れ込んできた、それを確かに見た。
 ―――そして それは 一瞬にして桂花を押し包んだ。
(―――――・・・!!!)
 息をつぐ事すら出来なかった。
 桂花を押し包み、流れ込んでくる 圧倒的な 力―――
 人の声 水音 咆哮 水音 歓声 水音 呪詛 水音 神楽 水音
 個は全であり 全は個であった。
 桂花は それを見た。 氷暉が見ている同じものを 見た。
 訳が分からぬまま 己が何を見ているのか解らぬまま それを見た。
 ――――― おしよせる みちる あふれる ――――――――
 ・・・ ――― ・・・ 人人人 魔魔魔 。 人界 魔界 それらすべてが―――――桂花の 中に、凄まじい勢いで、流れ込んでくる―――――――!
(喰われる―――!)
 思考を浸食される。
 感覚を浸食される。
 それは 己を生きながらにして喰われてゆくに等しかった。
 声をたてる事も出来ず 立ちつくしたまま ―――その おそろしさ おぞましさ
(やめろ!)
 桂花が恐怖を感じ、渾身の力で目をきつく閉じて耳を塞いだその時、突然それは桂花を解 き放ったのであった。いや、解き放ったのではなく、弾くように飛び離れたような―――
「・・・ッ!」
 呪縛が解けた瞬間、桂花は膝をついていた。 空気が喉の奥に流れ込んできた。
 冷たい汗が背中をつたうのがわかる。立ち上がろうにも体が震えて止まらない。
「桂花!」
 守天が隣で自分の名を呼んでいる。肩を掴んだ手が温かい。己の名を呼ぶその声と肩から 伝わるその温かさが、桂花の恐怖をわずかに和らげた。
 ・・・恐怖が和らげられる事により、思考が戻ってきた。
 流れ去る光景の中でかいま見えた――――
(・・・あれは、境界の)
 柢王がいた。 南の太子がいた。 そして地中に散らばる小さなカケラが――――
(・・・なぜ、あんな光景が・・?)
 わからない。わからなかった。
「・・・守天殿、・・遠見鏡を・・!」
 境界にいる、彼らの無事な姿さえ確認できれば、この恐ろしさは消えるのだろうか。
「遠見鏡?――――あっ?!」
 境界の光景が映しだされた遠見鏡を振り返った守天が、小さく鋭い驚きの声を立てた。 肩を支える手に力がこもる。  桂花はのろのろと顔を上げ、遠見鏡を見た。そして力尽きたかのように瞳を閉じた。
(―――いいや、消えたりなどしない。)
 何一つわからない。それがおそろしいのだから。
  
  
    そして境界。
「―――馬鹿野郎! 半分は俺と遊べ!」
 青い細い稲妻が柢王の両手から放たれた。長く綱のように一直線に伸びた稲妻は、巨虫の 体に触れた瞬間そこから木の根のように細かく分裂し、動きを封じるべく二頭の巨虫に絡み つく。
 たちまちのうちに全身に絡んだ稲妻により動きを封じられた巨虫は、柢王の引く腕の力に よって、地響きを立てて横倒しになった。
「・・・さすがに、重いな」
 巨虫二頭を引き倒した柢王が、腕に青白い稲妻を鎖のように絡みつかせたまま息をついた。
 霊力しだいでどのような力業も出来るとは言え、さすがにきつい。
柢王が咳き込んだ。
(ちくしょう! この空気!)
 空気が重い。 熱があるせいもあるが、この空気を吸い続けていると、体まで重くなって くるような気がする。
 土埃の立ち上がるその向こうで軽々と宙に舞うアシュレイをちらっと見上げた。
(何であいつは 平気なんだ?)
 水音は、まだ続いている。
 柢王はかすかな額の痛みに顔をしかめ、手を額にやろうとした。その時。
 ―――突然、水音が激しくなったような気がした。
 いきなり巨虫が動き出した。腕を引かれ、体ごと前に引きずられた。
「・・・・っ!」
 柢王は体勢を立て直し、霊力を両腕にこめてさらに引こうとした ―――その腕その体を さらに引かれる。
 両肩に引き抜かれるような衝撃が走った。
 柢王は顔に叩き付けるような風圧を感じた。
 青白い細い稲妻の縛鎖を全身に絡みつかせたまま、二頭の巨虫は身をくねらせながら地を 這うように泳ぎだしていた。
 それは、腕に稲妻を絡みつかせたままの柢王もろとも、すでに二頭相手に闘っているアシ ュレイ目指して一直線に突き進んでいる。
「・・・この・・・っ!」
 ブーツの踵が地を削って砂埃を上げる。
 巨虫二頭に引きずられながら柢王は上空を見上げた。 炎を身にまとい、躍り上がる二頭 の巨虫の連携攻撃を流れるようにかわしながら斬妖槍をふるうアシュレイの姿が見えた。
 アシュレイは強い。3頭ならば、身が軽く勘のいいアシュレイなら凌ぐだろう。
 ―――しかし、4頭もの連携攻撃は、いくらアシュレイでも凌ぎきれるとは言い切れなか った。
「・・・・・ッ!!」
 アシュレイに負担をかけるのも足手まといになるのも論外だ。 何よりも己自身の武将と しての矜持がそれを許さない。
 何としてでも この二頭はここで止めなければならなかった。
 柢王は両腕に力を込めた。引きずられてゆく体勢のまま、片足を上げて思いきり打ちつけ、 地面にかかとをめり込ませて体を一瞬固定した。
 両腕に凄まじい負荷がかかった。 巨虫二頭分の重みとスピードをほとんど両腕のみで支 えるのだ。耐えきれず両腕の筋繊維のあちこちが引きちぎれる音がした。 脳天にまで来る 激痛に柢王は歯を食いしばった。 痛い。だがまだ動く。 構わずさらに腕に力を込めると 渾身の力で柢王は腕を後ろに引いた。
 両腕に絡んだ稲妻が負荷に耐えきれずに腕に食い込み、血をしぶかせる。 骨が軋む感触 があった―――そしてそれらの感覚が一瞬にして消え失せた。
 腕にかかる全ての負荷が消え失せた瞬間、頭上が暗くなった。 顔を上げた柢王の前方に 直立する二本の巨大な塔があった。それが柢王に向かって倒れかかってきている―――
 それが二頭の巨虫だということに柢王はようやく気づいた。
 あまりにも巨大だったため、認識が追いつかなかったのだ。
 急激に後ろから引かれた力によって 力の拮抗に負けた巨虫達がもんどりうってのたう ちながら 柢王の両側に地響きを上げて地に倒れた。
 暴れる巨虫に稲妻をさらに絡ませ、二度と動き出さないよう地に縫いつけながらさらに締 め上げる。
「・・王族をナメてんじゃねえぞ!」
 さすがに息の上がった柢王がそう言い放ったその時。
 背後の瓦礫が轟音を上げて跳ね上がった。
 振り向く間もなく黒光りする長大なモノが身をくねらせて飛び出てきたのは次の瞬間だ った。
 
 

【18】

「・・・・・ッ!!!!」
 背中に衝撃が来た。巨虫がかすっていったのだ。
 背後から現れた巨虫は、地上に躍り出たその勢いで柢王をかすり、地に縛り付けられた 巨虫の上を飛び越えて一直線に他の二頭と闘うアシュレイ目指して滑るように泳ぎだす。
「・・・アシュレイ!そっちに一頭行ったぞ!」
 全身が痺れる。立っていられずに勝手に両膝が地に着いた。
 倒れ込まなかったのは巨虫に絡みついた場所からぴいんと伸び出た稲妻が腕に食い込でい るため、逆にそれが支えのようになっているからだ。
(・・・畜生!しくじった!)
 背後に迫った巨虫から脊椎を守るために、とっさに体をひねって腕で攻撃をうけたのだ。 ―――左腕は完全に砕かれた。
 それでも衝撃で背骨が痺れている。 肋骨も、やられたようだ。
 かすっただけで、この衝撃だ。あの巨体にまともにぶつかられていたら、おそらく柢王で も命はなかっただろう。
(・・・運がよかったわけだ・・。 ・・・・・左腕は完全にイッちまってる。あと肋骨の何本か  ―――内臓も、ちょっとイッたな・・・ ・・・肉体的には戦闘不能状態って訳だ)
 かすっていかれた衝撃でズタズタに破れた上着と、口中に広がる血の味に柢王は顔をしか めながら、己が負った傷の検分を他人事のように下した。
「柢王?! どうした?!」
 呼びかけられて振り返り、地に膝を突いた柢王に気づいたアシュレイが、砂埃に煙る上空 から叫ぶ。 周囲が砂埃に満ちているのは、柢王にとっては己の醜態を見られずにすんで幸 いだったが、それは同時に地上を走る巨虫の姿も、アシュレイの視界から隠されているとい う事だった。
「もう一頭がお前の真下にいる! ―――出るぞ!」
 柢王が叫び返した瞬間、 地上の砂埃を割って伸び上がってきた三頭目にさすがのアシュ レイも目を見開く。  三方から同時に攻撃を受け、避けたはずの巨虫の顎があり得ない角度から反転もせずにぶ つかってきた。避け損ない、顎の端がかすっていったふくらはぎから血が流れ出した。
「・・・こ・・・の・・っ!」
 続けさまに三方からの同時攻撃を受け、休む間もなくそれを凌ぐアシュレイが歯がみする。
 アシュレイが創り出した周囲を取り巻く結界である炎の壁の高さが急激に下がった。
 巨虫との戦闘に意識の大半を持って行かれる分、結界の維持が難しくなっているのだ。
「・・・・くそ・・・っ!」
 アシュレイが危機に陥っているというのに、一歩も動けはしない己の不甲斐なさに、地上 から見上げる柢王も歯がみする。 背骨はまだ痺れたままだ。回復するかどうかもわからな い。
(・・・肉体的に戦闘不能状態だとすると、・・・あと俺に残ってんのは、意識と、霊力だけって ことか。 ―――情けねえ・・この俺が後方支援しかできないとは!)
 柢王の周囲に風が巻き起こった。 旋回するその風はアシュレイの炎の結界に吸い込まれ ると、次の瞬間、空間を揺るがす巨大な旋風となって結界の外周に沿って立ち上がった。柢 王の風に煽られたアシュレイの炎が勢いを取り戻す。
「柢王!」
「結界の炎は俺が支えててやる! とっととやっちまえ!」
 しかしそれは同時に周囲をおおっていた砂埃を一掃する事になり、アシュレイは地上の柢 王の姿を見て息をのんだ。
「柢王!お前、・・・その傷・・・・・腕・・・! ・・・・・・!」
 遠目からでもわかる。満身創痍の、その姿。 ズタズタになった上着。両腕に稲妻が滅茶 苦茶に喰いこんで血が滴っている。左腕の形が変だ―――。
 身を翻して降下しようとするアシュレイを、柢王が怒鳴りつける。
「・・・馬鹿野郎!人のことを構っている場合か! 動きを止めるな! 囲まれたら終いだぞ!  動き回って死角を作るな!」
「・・・・・!」
 背面から来た一頭をかわし、横合いから来たもう一頭の外殻甲の継ぎ目にすれ違いざまに 斬妖槍を突き立てた。炎を叩き込む前に二頭の連携攻撃を受け、一頭はかわしたものの、も う一頭の攻撃を避け損ない、はじき飛ばされる。
「ちくしょう!」
 かろうじて斬妖槍の柄の部分を間に挟む事で直撃を避け、空中で体勢を立て直しながら、 歯がみする。
(くそ・・・! 早く終わらせたいってのに・・・!)
  
   
   ・・・・・ ピシャン・・ ――――――

「・・・真っ二つになると思ったが、黒髪め、腕一本で凌いだか。 あの体勢から防ぐとは、 なかなかやる。とどめが刺せなかったのは残念だが、その傷ではもう動けまい・・・」
 黒い水の満ちる水面に映し出される境界の光景に、教主は冥い色の瞳をゆっくりと細めた。
「―――状況は膠着したな。」
 喉の奥で低く笑いながら、教主は水面から手をゆっくりと引き抜いた。指先から滴り落ち た黒い水滴が 金の波紋を生み出す。
「地上の黒髪は動けない。 赤毛は地上の黒髪を巻き込むことを恐れて大技を繰り出すこと が出来ない」
 階に深く座り直し、水面に映し出される光景を見つめる教主が、笑みを深くした。
「―――氷暉、水城。虫たちの操作をお前たちに渡す。使いこなして見せよ」

 ―――そして、魔刻谷の底。
「・・・あの赤毛、あたしが殺しちゃってもイイかしら?」
 教主の声に目覚めた水城が、両手をゆっくりと顔の高さまで持ち上げ、ニッコリと笑いな がら言った。
 ―――右腕に二頭 左腕に一頭。手や指の動きをもって操るというより、感覚―――思念 で操るといった方が正しい。実際に水城は手の動きを伴うことなく思念のみで操っている。 手は触媒に過ぎないが、感覚を繋げているため、そういう風に感じるのだ。
「3頭を同時に操るのは、お前にはまだ無理だ。片腕に一頭ずつにして攻撃に専念しろ。 一頭は助勢として引き受けるから、俺に渡せ」
「・・・ いやよ!」
 ―――そして、境界。
 アシュレイは急に動き方が変わった巨虫三頭に首をひねりながらも、好機と取った。
 他の二頭に比べて、三頭目の動きがぎこちない。 ぎこちない分、動きのアラが良く見て 取れる。そのうちアシュレイは、巨虫の頭部を取り巻く気管の存在に気づいた。
「・・・・良くわかんねーけど、アレが変な動きをさせてんのか?」
 口中で小さく呪を唱えると、巨虫の動きにタイミングを合わせて槍を振るう。
 ―――突如として、巨虫の気管近くに火球が出現した。
 南の王族の炎をまともに吸い込んだ巨虫は、頭部を取り巻く気管や大顎から炎を噴き上げ、 金属がこすれ合うような音を立てて滅茶苦茶に暴れだした。
 ―――そして魔刻谷の底。 腕の一部に走った激痛に、水城が押し殺した悲鳴を上げた。 むき出しの白い腕に焼けただれたような傷が浮かび上がる。 巨虫と感覚を繋げているが為 に起こる現象だ。
 ――― 心とは おそろしい。
 実際に火に触れたわけでもないのに、そう思いこませるだけで、実際に手で火に触れたよ うな傷が皮膚に浮かび上がる。
「だから言ったろう!・・・早く、燃えてるヤツの操作権を俺に渡せ!」
 氷暉の声に、水城が涙の浮かべた目で悔しそうに唇を噛んだ。そして一頭の操作権を氷暉 に譲り渡した。 ―――健常な、傷のない巨虫を。
 自分の過信から負った傷は自分だけのものだ。氷暉には渡せない。
(・・・くやしいけど、氷暉のほうが上手だわ!)
「水城!」
「ほらほら!また攻撃が来るわよ! 早くしないと、やられちゃうわよ!」
 水城はわざと蓮っ葉な口調で言い放ち、傷の痛みをこらえながら、腕を持ち上げた。
 ―――そして境界。 ・・・巨虫の動きがまた変わった。 離れたところから見上げている 柢王には、違いがよくわかる。火球を喰らった一頭は頭部を炎に包まれながらも、まだアシ ュレイに襲いかかっている。
(・・・とはいえ、三頭相手に、良く凌いでいる・・・―――)
 死角を作らないために、三頭の間を休むことなく飛び回り、決定的な攻撃は出来ないものの、隙あらば斬妖槍を突き立て、少しずつ相手の力を削いでいる。
(・・・デカイ技を放てないのは、・・・・・俺が動けないせいだな―――)
 左腕は砕け、あちこち傷みっぱなしで血は流れっぱなし背骨も痺れっぱなし。倒れ込まな いのがやっとの己の状態を、柢王は嘲るように笑い、そして唇を噛みしめた。
 ・・・・・ また 額が 熱を 持ちはじめている。
 柢王は天を仰いだ。 そして両脇に倒れ伏す、間近で見ると意外なまでに体側が平たく、 体長が長いため、黒光りする石を連ねて作られた巨大な橋のように見える巨虫を見おろし、 血の味のする舌を動かして言った。
「―――俺の意識のあるうちに、潰させてもらうぞ」
 ・・・そして魔刻谷の底。
「――――ッ ツッ!」
 ―――突然、左腕に一気に圧力が来た。地面に縫いつけられそうなその重みに耐えて氷暉 は腕を持ち上げた。 左腕一面に網の目のように青黒い筋が走り、ところどころから血が滴 り始める。
「氷暉?!」
「―――構うな!」
 赤毛を攻撃する一頭と繋がっている右腕はどうということもない。しかし黒髪が押さえ込 む二頭と繋がっている左腕にかかる、腕ごと引きちぎれそうな、この凄まじい負荷は。
 巨虫の内部の圧力を上げて機能を護りながら、反撃の機会をうかがうので精一杯だ。
 ・・・そして境界。
 稲妻に巻かれた両側の巨虫が身じろぎするたび、みしみしっと音を立てて外甲殻のカケラ が砕け落ちる。
 柢王はさらに霊力を送り込む。 霊力を注ぎ込まれる稲妻は、そのまま巨虫を地面に押し つけ、なおも暴れる巨虫の黒光りする外甲殻に食い込む。 巨虫の下のガラス化した地面が、 圧力に耐えかねて音を立てて砕けた。 それでもなお、巨虫は暴れ続けている。

 結界を維持しつつ、上から押さえつけ、押し潰そうとする力と
 巨虫を操りつつ、束縛を引きちぎって襲いかかろうとする力と

 ――― 一瞬たりとも気を抜く事の出来ない力の拮抗を繰り返しながら、境界と魔刻谷と いう離れた場所で、柢王と氷暉は同時に叫んでいた。
「――――虫ッケラの分際で暴れんじゃねえ! おとなしく潰れろ!」
「――――この死に損ないが! いつまで足掻く気だ! 早く死ね!」

   ・・・・・ ピシャン・・ ――――――
「・・・ハッハ――― なかなかやる」
 境界の光景と、黒き水の中継を通して繋がっている氷暉達の闘いぶりに、教主はわずかに 首をのけぞらせて笑った。
 教主は階から湖へと足を進める。黒水を踏む白い足にはわずかの乱れもなく、足下で波紋 が次々と生まれて金色に沸き立つ。
 湖の中央に腰を下ろし、結跏趺坐の形に足を組むと、長い腕を伸ばして体の両脇に湖に両 手をひたした。
 ひたされた所から、黒水は金へと色を転じ、波紋ではなく小さな渦となり、教主を中心に ゆるりと弧を描き出す。
 
「―――では 天界の至宝に拝謁を賜るとしようか」
 
 


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