駒場上町の町中に、「八軒屋敷」という8戸〜13戸という極めて小さなムラがあり、慶長年中以来明治維新まで、駒場村とは別の支配者によって領有されていました。
これは全国にも特異な事例で、年貢皆済目録(天明8年)に「御拝領御屋敷地」と書かれているように、多くのドラマ的要素を秘めた由来をもつ地区です。
その「八軒屋敷」の領主であった旗本沢氏の公用に使われた飛脚札が、上町の正木屋さんに保存されています。右の小形の方が古く、「甲府御城内、沢甚之助様御内、伊東庄右衛門様、信州駒場村山田玄永」とあり、左の大形には「飛脚、表二番町、沢錦太郎家来」と書かれています。中間の白い貼紙は、沢氏の系譜が菅原氏を祖とすることから、紋章的な意味をもつものかと思われます。
沢甚之助宥則は沢氏の二代目で、延宝元年(1673)から貞享四年(1687)の当主、沢錦太郎は寛政譜編成以後の人で詳細不明ですが、他の文書により明治維新直前の最後の領主と推定されます。 (H3・3)