一石三十三所観音

 観世音菩薩は三十三の姿に変化して庶民を救う仏とされていたので、三十三個所の寺堂を霊場として巡拝する西国巡礼、または坂東・秩父等の観音霊場を身近にセットした、たとえば伊那西国・伊那坂東、伊那秩父といった寺堂も設定されて、江戸後期にはこの巡拝がよく行われました。

 その霊場めぐりをさらにミニ化したものが三十三体の石仏で、これは長い坂道などに配置されて、登坂の苦労を<観音様が見ていて下さる>という精神的な支援にすると共に、その番号によって登坂距離の目安にもしました。

 写真は大野の元薬師堂の前にある一石三十三所観音で数少ない石造物ですが、1回拝礼すれば三十三観音がいっぺんに拝めるとは、少し便利がよすぎるように思われます。文政9年(1826)3月の造立。
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