富士山頂に建てた銅碑

 富士山頂の浅間神社奥宮の前に、「鎮国の山」という高さ1.5m、幅0.6m、厚さ0.3mのブロンズ(青銅)製の碑があるといわれます。明治31年の建立で、文字の揮毫は銀座の書聖といわれた中林梧竹、碑面は文字面が高くなっている陽刻です。建碑には当時不二教の後身である大日本実行会の教長であった伍和の原九右衛門と飯田の名士木下与八郎等が発起人でした。

 明治31年8月3日の建碑の日には、執筆の梧竹翁をはじめ、原九右衛門、木下与八郎、木下倭志雄、近藤政寛等飯伊の名士十数人が登山し、その写真も残っています。伍和の園原与一という若者が、背板で梧竹翁を背負い登山したといいます。その後、この碑は落雷で損傷しましたが東京へ運んで修理し、昭和42年7月富士山頂に再建したとのこと。テレビで富士山頂の放送があったとき、ほんの一瞬でしたが私も見ました。図版は千葉直視さん所蔵の掛軸にある拓本です。  (H5・6)

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