むかし、子供たちが「石やさこまんば、穴ほって通れ」と口ずさみながら、手に持った石で根気よく叩いて作った石の凹みが、いま改めて「盃状穴」という学術的な用語で呼ばれるようになっています。信仰的な遺跡として研究されている方もありますが、本誌の「伊那谷のわらべうた」で矢澤さんが指摘しているように、阿智村の場合では単なる子供の遊んだ名残と見るのが適切であろうと思います。
上の写真は阿智村備中原の春日神社の前にある石灯籠の基壇にあるもので、不規則に六個の凹みが見えております。おそらく、戦後生まれの方には、どうしてできた穴なのかおわかりにならないでしょう。
この写真の最も近い三つの穴は、わらべ唄を歌う子供の口と目のように見えますね。
(写真・矢澤 昇氏) (H8・8)