小野川関所の石臼

 網掛峠の東側の麓にあった小野川の関所は、戦国末期の弘治2年(1556)に、神坂峠越えの通路の守りとして、武田信玄が設置したと伝えられています。

 しかしこの道は険難のために通行がさびれて、江戸時代には廃道にひとしい状態でした。正保4年(1647)に作成された「信濃国絵図」(上田市立図書館蔵)にも、関所の絵が描かれ、「御番所 知久内蔵之助」と支配を預る阿島の知久氏の名も書かれていますが、関所から西の方の道は描かれておらず、「薗原越之古道今ハ人通なし」との記載があります。

 その関跡から数十m離れた田中氏墓地の横に、「御関所○○」と刻字のある写真のような臼の形の石があります。通行人のない関所の役人が、暇をもてあまして米や餅をついたのか、または墨やすすで変装して来た通行人を取調べるときに、「そこなる水にて顔を洗え」と命ずる手洗いの水鉢であったのか、手洗石とすれば、もとは関所の前にあったはずです。   (H2・7)

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