伍和の宗円寺の裏山に、江戸時代初頭から百年ほどの間向関の領主であった旗本宮崎氏の墓所があり、村の史跡になっています。その宮崎氏墓所の下に、昭和七年衆議院議員に当選された平野桑四郎氏の家の墓所があります。平野氏は旗本宮崎氏の重臣で、宝永四年宮崎氏が改易された後は、向関村に帰農して村のリーダー格となった名家です。
その墓地に、あまり見かけない様式の墓石が二基並んでいます。一見五輪塔を模したのかと思われますが、笠石の形をした「火輪」がないのと、上端の「空・風輪」となるべき石が、のっぺりとした砲弾型で、五輪塔の部類には入りません。刻字もなく、時期も決め手がありませんが、感じとしては幕末でしょうか。
お家の方にもわからないといいます。博識の方、教えて下さい。 (S63・11)