石碑や石仏などの石造文化財は研究者も多く、老人クラブなどの協力で地区内を調査して一冊の本にまとめたところもありますが、石灯籠となるとあまり興味がないのか調査の除けもの扱いになっていることが多いように思います。
駒場の浄久寺の本堂前に、写真のような一対(二基)の石灯籠があります。近世初頭の阿智地域の支配者であった宮崎氏の業績を解明するため、昭和47年に宮崎氏調査団が結成されて墓石や文書の調査に取り組んだ際に、この石灯籠も調査しました。
石灯籠は上から、宝珠・笠・火袋・中台・竿・基礎の各部分からできていますが、竿の部分に「桐林院殿・石灯炉」の刻字があり、裏面に「寛文五年七月四日、前田與左右門夫婦敬白」の刻字があります。桐林院殿は上中関村の領主市岡理右衛門の後室(後妻)といわれ、施主の前田與左右門は「開善寺過去帳」により前原の人(市岡氏家臣)と判明しました。桐林院の墓は市岡氏墓所から移されて、浄久寺裏山の新墓地に立派な宝篋印塔があります。 (H8・2)