駒場の浄久寺の本堂前にあるこの石仏は、駒場の人々には「歯の神様」として知られていたようです。私もこの石像を見るたびに「むし歯の神様」という言葉を思い出していたのですが、それは熊谷元一先生の写真集「会地村」の中(161ページ)に「歯の神様」として載っていたのが、いつしか記憶の底に定着していたからのようです。
右ひざを立て、ほっぺたへ手をあてているのは、いかにもむし歯の痛みをこらえているように見えますが、これは「世の人々の悩み苦しみをいかにして救ったらよいのか」という遠大なことを考えている「思惟像」という像形で、「如意輪観音」という仏様です。あるいは釈迦の入滅後五十六億七千万年の後に再び現世に出現して衆生を救う未来仏の弥勒菩薩という見方もありますが、いずれにしても「神様」ではなく「ほとけ様」の方が正解のようです。 (H5・2)