堂角の石幢

 前に栗矢の石幢(せきどう)を紹介しましたが、これは智里の伏谷部落西端の堂角(どうかく)という地名に残る石幢です。中央の部分を「龕部(がんぶ)」といいますが、六面に一体ずつ地蔵尊が刻まれているので、「六角地蔵」とも呼ばれます。
 この石幢は、これが建立当初の形態なのかどうか少し不審ですが、栗矢のものに比べると脚部「竿(さお)」が省略されているようです。よく調べれば台座に刻字があるのかも知れませんが、たぶん元禄ころかその少し後ぐらいの建立と推察されます。

 この石幢の特色は、地蔵菩薩の像に朱を塗った跡が残っていることです。その意味はよくわかりませんが、あるいは疫病除けのまじないの跡かもしれません。ここには石仏や名号石等も10基ほどあって、芝生の中央に、葬式の時柩を安置する「壇場石」があります。「堂角」という地名から推量して、古代東山道にかかわるお堂があったのでは、と思いますが決め手になる資料がありません。  (S63・12)

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