栗矢の石幢

 写真のような石造物を「石幢(せきどう)」といいます。笠石の下の部分を「龕部(がんぶ)」といい、六面にそれぞれ地蔵尊が刻まれているので、「六角地蔵」などとも呼ばれています。石幢の原型は中国から伝来したといわれ、鎌倉時代以降は全国的に造立されていますが、その数はあまり多くないようです。

 写真の石幢は東栗矢の個人墓地の入口にあるもので、竿石の部分に、「元禄[?][?]年 奉[?][?]地蔵」と彫られていますが、[?]印は風化していて読めません。

 村内にはこのほかに、上郷の高越の薬師堂跡に1基、智里伏谷の小松幾男氏宅に近い草地(堂跡か?)に1基あり、栗矢のものが最も完全に近く、笠石の重厚さに特徴があります。高越のものは龕部が長く、そのまま基礎に据えた単制様式と思われ、笠石は他の五輪塔のものをのせたようです。伏谷のものも単制様式に近く、浮彫の地蔵尊には淡い朱塗りの跡が残存しています。  (S61・7)

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