安布知神社境内出土の境界石

 16ページで安布知神社境内から出土した11基の石祠を紹介しましたが、それと同時に写真のような石柱が同じ場所から出土しました。
 この石柱は高さが82p、そのうち17pほどは地中に埋める基部となっていて、四角の一面の幅は25p、頂部は尖る形(四角錐)となっています。

 どの面が正面かわかりませんが、最も大きな文字の面(写真正面)は「従是南方駒場内山」(是より南方駒場内山)と読めますが、「内山」の二文字は密着して一文字のようにも見えます。その右面に、「延宝六午年 境塚此度改、宝暦十二年、上中関村、駒場村、立会」。右の面は最も読みにくく、「[?]方駒場村分、十四丁三十三間」と読むのでしょうか。背面には「願主矢沢平八郎」とあります。

 これらを総合して判断すると、この石柱は共有林の境界を示す境石で、多分三ヶ入あたりに建つべきものが建てずじまいになったようです。
 矢沢平八郎は宝暦12年(1763)の駒場上町の名主でした。 (S61・12)

表紙に戻る 総合目次 足あと 5章 愛郷 8章 さんまのメモ 更新記録