阿知川の中電三穂堰堤(中の橋下流)の左岸の岩上に一基の歌碑があり、碑表には「竣工を紀念して」と詞書があって「茂路人(もろびと)の心こめたる世紀止(せきどめ)に阿知の川神とわに宿らん」と、変体がなを交えた短歌が三行に刻されています。
碑の背面には「昭和四年十月、矢作・間組電ケ係一同」と刻されていて、建立の趣旨や時期・建立者等が明らかです。ただ、少し読みにくい文字があるので注釈すると、「世紀止」は「堰ぎ止め」でダムのこと、裏面の「電ケ係」は電気係と読むらしい。昭和四年の年号も、昭和め年というような書き方ですが、このダムから立石に至る隧道の通水が昭和5年1月なので4年竣工でよいでしょう。
作並びに筆者は名古屋市出身で間組工事技師の小出真太郎、この工事の最高責任者でもありました。
(牧常一氏・故人 談) (S61・2)