江戸時代の駒場村は、上町と下町の二つに分かれていて、それぞれに庄屋などの村役人がいました。このうち確実な記録に残る下町の庄屋は、廷宝元年(1673)以降70年間を家号「下町(したまち)」といった熊谷氏が独占して勤めています。
「下町」という家号は駒場村下町を代表するような旧家だったようですが、現在は家もなくなって駐車場になっています。その下町の何代目かに「小笠原氏に仕えた」という文伯という人がいて、次のような辞世の漢詩と和歌を残しています。(文化2年11月18日没)
辞世(この辞世は軸装になっている)
楽聖独居窓(せいたのしむどっきょのまど)
避賢陋巷中(けんをさくろうこうのなか)
今生離別酒(こんじょうりべつのさけ)
飲尽一瓢空(のみつくしいっぴょうむなし)
重任おろし今日ぞ安気(やすけ)の華々月々
雪と消行(きえゆく)身こそ涼しき
この詩と歌は、浄久寺の大井端にある熊谷氏の墓地の「文伯碑」の碑陰にも刻まれていますが、よほど酒の好きな人だったとみえて、碑の正面に瓢が浮き彫りにされています。
(H5・7)