大野の旧集会所の前に「倉田氏功労碑」という高さ150pの花崗岩の碑があります。碑の表面が風雨にさらされて大変読みにくくなっていますが、この碑は七久里の和泉屋の4代ほど前の倉田弥八という方の功労をたたえるために、大野区の方が建てたものです。
ときは明治のはじめ、大野の人々の生活が派手になり、田畑を抵当にして金を借り利子が嵩(かさ)んで破産寸前となったとき、時の戸長平野多郎九がこれをみて倉田氏にその打解策を相談したところ、倉田氏はこれを引き受け、一年ほどの間「東西に奔走して甲を説き乙を諭し家政を顧みず事に従い」その難局を救いました。
大野の二十余戸の人々は皆歓んで、その功績を長くたたえるためこの碑を建てたと刻されています。
(S61・10)