熊谷傳兵衛筆塚「一元塋」

 伍和上郷の屋号「源垣外(げんがいと)」熊谷さん宅前の村道脇に、写真のような石碑があります。東に向いた表面に「一元塋(いちげんえい)」と大きく彫られ、その左に小さく「盤丘」と揮毫者の署名があります。
 「塋」というのは墓のことですが、墓地には立派な石塔がありますので、これは筆塚(報徳碑)で、一元は雅号、本名は熊谷傳兵衛重具(しげとも)といい、同じ上郷の平野家から源垣外の熊谷久右衛門の養子となった人の報徳碑です。

 傳兵衛は弘化元年(1844)と嘉永5年(1852)に向関村の名主役をつとめていますが、弘化初年から明治初年まで自宅に寺子屋を開設し、多くの子女に読み書きを教えました。この碑はその筆子(教え子)たちによってつくられた報徳碑で、明治4年(傳兵衛71歳)の建立です。台石には世話人10名と筆子49名の氏名が刻まれています。
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